オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

今日はなんの日?

2014-12-09 | Weblog

12/9(火) 明け方前に目覚めた。夢のつづきを反芻しながら、何であんな夢だったかと考えた。今年の初春に急逝した従弟と、亡父に叔父が出てきた。剣道の防具をつけて、あれこれと話をしながら階段を登っていた。従弟は野球部だったので、ユニホーム姿なら分かるが、剣道姿とは?何故亡くなった者が、と思ったが・・・。

前夜帰宅すると、喪中の葉書がこの日も届いていた。が、驚いたのは、故上田雄一さんの奥様、晴子さん逝去の知らせであった。享年六九歳か、その突然の通知が胸のうちにわだかまり、冒頭の夢のような形で現れたのか、と思った。或いは、私を皆が呼んでいるのか。

ここ何日か、故上田雄一さんのことを思い出していた。後1~2年で十三回忌ではなかろうか?その折には、ご無沙汰つづきを詫びに奥様を訪ねようか、そんなことを考えていた矢先であった。春・秋の彼岸には墓参をするようにしていたが、父が亡くなり彼岸に帰省をするようになった。ここ二年、墓参が叶っていなかった。それが、今となっては心残りである。

上田さんは、サラリーマン時代の最後に直属の上司であった。現役で病を得た上田さんが、母校の北大病院に入院されていた時に、現役時代と退職後の二度、お見舞いに伺った。その折と、一周忌の法要で奥様の晴子さんにお目に掛かった。そして野川のご自宅に、お線香をあげに伺ったことがあった。

官僚生活を伺わせない、たおやかで上品な奥様であった。上田さんとは、北大時代の同級生だったそうで、法要の折に学友が「無骨な上田が、晴子さんを射止めたとは、皆が驚いたもんだった」と、若かりし頃を語ったことを思い出す。

年が明けて納骨が済んだ頃合いを計らって、狛江「千手院」に眠る、お二人の墓前に詣でようと思う。

 

そんなことで早くから目覚め、やることのないオヤジは台所に向かったのである。今日のメニューは、昨夜の内から決めてあった。安・短(食材が安くて、短い時間で出来る意)の、「蓮根の挟み揚げ」「茄子と牛蒡の味噌炒め」「焼き鮭」「卵焼き」である。

                        

揚げ物ついでに薩摩芋の素揚げを少々、味噌炒めに蓮根・ピーマン・茗荷が加わり、前日から晒しっぱなしの「イタドリ」を出汁ジャコ(鰺子)煮、白菜の豚肉挟み煮と、メニューが増えたのはご愛嬌である。

                    

今日は家人と長女の二人分ながら、たっぷりの菜が出来上がってしまった次第。私の弁当は、今日はお休み。代わりに久々のミックスジュースを作った。

                     

 

弁当箱に詰めている最中、電話が鳴った。郷里の老母からであった。「誕生日だね~、オメデトウ」なんて言いやがった。『ちっとも目出度くはね~が、ありがとう』と返した。こっちが幾つになろうと、親は親である。目出度いこった。

そんなことで、今日が誕生日だと思い出した。「目出度くもなし 一つ老いゆく 師走かな」だな・・・。FACE BOOKから、幾多の友人から義理のオメデトウが届いた・・・。

  - 余 話 ―

笑い話にもならぬが、昨夜はサラリーマン時代の後輩と渋谷で会った。

『処で、その後どうなったんだい?』と訊くと。「今月初めに、女房は出ていきました。何にも言わず、連絡先も残さずに、仕事に出てる間に荷物を運び、残った物は冷蔵庫と蒲団一つ。預金通帳とキャッシュカードは置いてあったが、残高ゼロ」とのこと。見事な三行半を喰らった報告であった。

数ヵ月前、離婚話を切り出されて、ついつい離婚届にハンコを押したが、何とかやり直せないかと思っている。との話を聞いてはいたが・・・。「結局、向うの言うとおりにしました。息子たちも女房のみかたなんで・・・」とは、男はつらい!

云う言葉もないんで『割り切って新しいのを見つけろよ。俺の知り合いのオジサンなんか、退職と同時にカミさんから別れると言われて別れたんだが。その後、飲み屋で知り合った年増と宜しくなり、挙句に前立腺を患って逃げられ。その術後、元気を取り戻して、また新しい年増と宜しくやってるぞ』と、励ました?

「とてもそんな気にはなりませんよ」と、元気がない。『時間が解決するよ。年金を半分持って行かれた分は、今のマンションを賃貸にしてそれで補うか、最後は田舎で安く暮らせばいいさ』なんて、役にもたたん知恵を授けた。

 

今日の昼、これも後輩と昼飯を摂りながら話を聞くこととなっていた。仕事が超繁忙で、体調が思わくないとのことである。話を聞いてやるだけのことであろうが、それで溜まっているものが軽くなってくれたらいいのだが・・・。

二時間弱、話を聞いた末に私が言ったのは、
『自分を中心に考えるな、仕事がどうすれば廻るか、部下の成長のためにどうすればいいのか。その上での組織・チームの在り方を相談したら?』であった。『精神科医なら知り合いがいるから、何時でも紹介するよ・・・。サラリーマンは辞めちゃ駄目だよ、行き先は幾らでも有るんだから』と、付け加えた。

人様のことは、何とでも言えるが・・・。残念ながらノー天気なOYAJIは、後輩のような、そんな経験がない。それって幸せ、それとも不幸か?ノー天気OYAJIには判らん・・・。それよりも、歯医者で歯を弄られて、辛いのだ!

 

 

 

 

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イタドリ煮

2014-12-08 | Weblog

12/8(月) 昨日の日曜日、朝と晩に飯を炊いた。朝は「カニ飯」を、晩は「五目チラシ」である。土曜日、金沢市に在住の家人の妹から「コウバコ」と呼ぶ越前カニのメスが届いた。このカニは小さい(その分安い)が、カニ味噌が美味く、子を持っている。身をほぐすのが大変だが、子も取り出して合わせて「カニ飯」を炊くのが、私の楽しみになっている。

土曜日の晩は、義理で「歌劇」を渋谷で鑑賞することになっていた。そんなことでカニ飯が出来なかった。オペラの後、「奈加野」で店主を相手に一杯飲んで帰宅。それからカニを喰ったが、専ら翌朝の「カニ飯」用にと身をほぐし、子をとった。そんな面倒をした末、日曜日は朝からカニ飯を炊いたと云う次第。

そして夜だが、長女が「オヤジの誕生会をやろう」と言い出した。三日早い誕生祝いだが、やると云うものを止めろと云うも大人気ない。勝手にやらすこととした。午後、会社に顔を出したが早目に帰宅して飯を炊く事にした。今年の柚子酢が採れたばかりなので、この酢を使った土佐風の「五目チラシ」だ。なんと言っても、自分の畑で採れた柚子だからネ・・・。

蓮根・牛蒡・人参・筍・油揚げを刻んで煮る。米に昆布を敷き、酒と塩を入れて炊いた。煮上がり、炊きあがったどうしを混ぜ合わす。この時に使う酢が「柚子酢」と云う次第で、至って簡単である。

長女一家に、次女も花なんぞを買ってやって来た。朝炊いた「カニ飯」と「「五目すし」何ぞを交互に喰って、菜の豚シャブには柚子酢でタレを作って喰った。自分で飯を作ると喰い過ぎるのが難点、そろそろ飯暮らしから卒業した方が身の為だが・・・。

 

そんでもって、今朝も飯作りである。思うこととやることが、これだけ乖離するオッサンであるが、致し方なし。

弁当用に「イタドリ」を少し煮ることとした。このイタドリ、今年の春に従姉が採って塩漬けにしたもを冷凍して在った。冷蔵庫で邪魔物になってきたので喰ってやることにした。イタドリは専ら保存食としての利用だが、子供の頃には川縁や山で採って食べたものだ。チョット酸っぱいので、砂糖を付けたりした覚えがある。

今朝は、一晩水に晒して塩抜きをしたものを、油揚げ・筍と一緒に煮るのだが、最初にごま油で少し炒めてから、酒と砂糖・醤油・出汁で薄味に煮た。久々の「イタドリ煮」であった。

今日のメインは、実は「鶏肉のトマト煮」である。鶏肉に人参、何故だか蒟蒻が加わり生トマトと一緒に煮る。これも最初に、オリーブ油とニンニクで香りを立ててから煮込んだ。仕上げに片栗粉を一匙いれてトロミを付けた。そしてもう一品は、豚小間とピーマン・エノキ・セロリの中華味炒めとなった。魚は冷凍の出来合品「ブリ醤油焼」とか云うやつで、弁当に入れるだけの優れ物ならぬ、何の面白みもない代物が加わった。

                

               晒し中のイタドリ             鶏のトマト煮          長女&家人の弁当  

以上であるが、私の弁当には昨晩の残り物「焼き豚」も二切れほど収まった。長女と私の弁当は、白飯と残り飯の五目チラシのハーフ&ハーフである。家人は、シンプルがもっとうなのだ。

以上、今朝のお仕事時間は45分であった・・・。

 

 

 

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トンカツ~カツ煮~カツ丼

2014-12-05 | Weblog

12/5(金) 昨夜は、サラリーマン時代最後の会社の剣道部忘年会であった。退職してから十数年も経っのに声を掛けて頂くのは有難い。これも余技の世界だからこそか。外出の時間になっても、昼から降りだした雨が止まない。靴底が濡れるのを気にしながら、NEC三田クラブの忘年会場へと向かった。

この夜の参加者は十七名。剣道部がお世話になりっぱなしの元社長TANAKAさん、現剣道部長の総務部長も出席された。後輩で、退職後は歴史小説を書いているSAITOU君とも久々に顔を合すことが出来た。然し半分は名前と顔が一致しない。無理もない、道場に立たない先輩等は畑の肥しにも、案山子の役すらも出来ないのだから。

帰宅は、雨も上がった22時であった。つい一月足らず前まで、玄関先で伸びていたMixが居なくなった所為か、玄関が妙に寒々しい。あいつも焼かれちまった、遠からずこっちもそうなるだろうが・・・。

今夕、目黒の名刹・円融寺で行われるお通夜に列席する。亡くなったのは、末娘がバレーボールでお世話になった地元の小貫さんだ。長い間、審判や監督のサポートをしてくれた方だが、癌のために逝去された。ご当人が、お見舞いを固く断っているとのことで、見舞いもせず仕舞いだった。ご冥福を祈るばかり。

 

さて今朝の弁当だが、「トンカツ」である。昨夜帰宅後に、冷凍庫からトンカツ用の肉を二枚取り出してあった。用意周到とは、このことだ。揚げ物ついでに、小イカのリング揚げも登場した。

他の菜は、「ター菜・シメジと豚小間の炒め物」「ペンネとブロッコリ・セロリ・パプリカのサラダ」である。揚げ物で残ったパン粉に卵を落として、チジミを焼く。自分用のトンカツは「カツ煮」にして「カツ丼弁当」へと変化させたが・・・・。

              

これじゃ、やっぱ喰い過ぎだぜ!

 

 

 

 

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鶏唐揚げ

2014-12-04 | Weblog

12/4(木) 昨日から急に寒くなった。こんな日に限り、首にぶら下げているマフラーの着用を忘れる。短い首を竦めての外出であった。外出先は、後楽園の東京ドームホテルであった。このホテルに入ったのは初めて、外国人の姿が目立った。

ここで、某保険会社が主催するセミナーがあり、参考のために参加した次第。それなりに参考となり、参加した意味はあった。

 

さて、今朝の起床は六時過ぎ。寒さの訪れとともに起床時間が緩くなった。まだまだ若いと云えるか?夢のつづきを反芻しながら暫し蒲団の中。弁当メニューを決めてなかったので、あれこれと思案するが・・・浮かばない。シンプルに鮭と海苔の弁当もありか、などと過ぎった。

台所に立ち、冷蔵庫の中を漁りながらメニューを考える。「鶏の唐揚げ」をメインにすることとした。これに、牛蒡と蓮根の唐揚げを添えることにした。牛蒡を斜きりにして酢水に晒した。

里芋が先日から転がっていた。これも煮っ転がしにすることにした。下茹でをし、あらためて味付けをするのだが、仕上げに胡麻を振った。こんなことをしている内に、ご飯を炊いてないことに気付いた。タイムリミットが迫っていた。手早く炊ける鍋で、ガス炊飯となった。

茄子が一つ、冷蔵庫で冷え切っていた。これも使ってやらなければゴミ箱行だ。茄子と挽肉の味噌炒めが追加となった。今日は卵を使わないことにしたが、特に理由はない。敢えて云うなら、これ以上は弁当に収まらんのだ。

                        

以上で、今朝のお遊びが終わったが、長女は今日も休暇だとのこと。娘のSORAがトビヒで保育園に行けないとかだ。折角なので、後から取りに来るようにと電話した。

                   

my弁当に、昨夜作った大根煮を加えた。横須賀の埼玉家で美味い大根煮を喰って以来、大根を煮るのが癖になっている。「俺の大根煮」も旨いぜ!然し、量が入らない弁当には不向きだな。

 

 

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炒飯弁当

2014-12-03 | Weblog

12/3(水) 師走だが、走り出すような忙しさも気配もない。悪戯に齢を重ねて来た所為か、足腰とともに脳味噌の方も弱りに弱った所為かもしれない。

昨晩は「ローカーボ」から「ちょっぷく」と、安酒を飲んで歩き帰宅は23時を大幅に廻っていたはず・・・。脳内神経がショートを起こして食い気モードが満開。零時になって焼きソバを喰い、更にパンなどまで喰ってしまう始末。挙句に気持ちが悪くなって、全部吐き出してしまったが、これはこれで大正解だ。胃が楽になって26時になって寝入ったようだ。

今朝の起床は7時になっていた、目覚める直前まで夢をみていた。その夢とは、忘れたはずのゴルフの夢であった。友人のOKAZAKI氏と、誰だか判らぬが後輩、もう一人は客先の人であったろう。やたら混雑するゴルフ場で、ハーフを終えてINのティーグランドまで来ると40~50分待ちとのこと。じゃあ私の下宿で一休みして待とうとなった。

私の下宿は、INのスタートの直ぐ脇にあった。何故か冷えたビール瓶が7~8本、二階の部屋の上り框に並んでいた。それを飲みながら、時間が有るから飯でも喰いましょうか、という。便利なことに、その下宿の一階は小さな食堂になっていた。『炒飯と肉野菜炒めをお願いします』と、食堂のオバさんに注文した。

炒飯は一皿600円と、下宿人割引が利いた値段。肉野菜炒めは700円であったが、何れも月末に精算することになっていた。『安くて旨いんだよ』なんて言いながら、皆に勧めていた。『未だスタートまで時間があるよ、ゆっくり食べましょう』と、テイーグランドの混み具合を二階の窓越しに眺めて喋っていた。

前半のスコアについて、あれこれと話していたが、このことについては割愛だ。冷えたビールを飲み、チャーハンを喰う処で目覚めた次第だ。

この時間が7時と云う次第で、弁当の制作時間のタイムリミット過ぎていた。飯を炊くのは諦めて、夢に出てきた「炒飯」を冷凍ご飯で作ることにしたのだ。夢のお告げのとおりとは、泣かせるぜ!

幸いにも長女は休みを取っているとのことで、家人と自分用の二人分でよかった。鮭炒飯となり、具のタマネギ・ピーマン・人参を刻んだ。菜の方は、中華風にとアスパラの肉巻焼き、白菜と豚肉の挟み煮、小松菜の卵閉じ炒め、冷凍シューマイとなった。時間が無い中では、上々のメニューではないか?

              

 

今朝は広島から牡蠣が届いた。後輩の鉄平が広島に住んでおり、この時期には必ず送ってくる。初夏には岡山の「白桃」、初秋には彼の在所の「二十世紀梨」と、もう何十年にも渡って届く。な~んにもしてやれないのに、申し訳ない限りだ。

お互いに若い頃、彼が田舎の高校を卒業して入った独身寮で一緒になり、剣道をやっていたと云うので、剣道部に入れた。そんな縁だが、彼が広島に転勤して東京を去ってから、四半世紀以上経つ。

何か届くたびに、郷里の鳥取で挙式した彼の結婚式に出るため、寝台車の大山だったか出雲だかに乗ったこと、土産に頂いたアゴ(飛魚)の竹輪などのことを未だ思い出す。極上の味がするアゴの竹輪や蒲鉾、出汁のことを知ったのはこの時からである。

 

 

 

 

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佐賀~そして弁当

2014-12-02 | Weblog

12/2(火) 五時前に目が覚めた、夢を見ていたのだが、昨日・今朝と面白い夢じゃなかった。ついては、夢の話は割愛する。五時過ぎから起きだして、台所遊びとなった・・・。

土曜の午後、佐賀に入りホテルにチェックイン前に、佐賀駅前に或る「ユニカレさが」で地球市民の会・事務局長OONOさんと、この夜に開かれる「古賀武夫物語(仮称)」出版企画実行委員会の件について事前打ち合わせをした。お互いの情報不足から、相当の齟齬があった。

                      

「ユニカレさが」(ユニーク・カレッジ)は、OONOさんが始めた福祉事業で、知的しょう害を持つ人たちの就職・自立・企業をサポートする学校である。佐賀県内では初めての試みだと思う。その志やよし、として僅かながらも出資者となっている。

19時から「世界平和道場」にて、出版企画のキックオフとも云える会が始まり三十数名が出席した。OONOさんの司会と進行で、概要・スケジュール・予算(資金=集め方)方針があり、了承されたと見えた。私は、この企画の必要性について簡略ながら話をした。平成27年3月の古賀さんの命日、或いは同月の生誕日(武桜会)には出版の予定である。

ライターは縁の深いHASHIMOTO君に、出版社は福岡市の石風社と、私の提案どおりに進むこととなった。これからは、肝心要の資金調達となる。相応の負担は覚悟の上だが「地球市民の会東京」の皆さんの協力を仰ぐことにもなりそうだ。これが一番心苦しいのだが・・・浄財と思って頂ければ嬉しい限り。

21時過ぎに会が終わり、その後は例によってNAKAMIZO女将の店「寄ん処」にて十名ばかりで懇談となった。女将の娘SHIHOちゃんが婚約したとのニュース、それに加えて市民の会IWANAGA君が先週華燭の典を挙げたとのことで、心ばかりのお祝いを進呈した。宴は、カボチャの馬車が出るまでつづいた。

                   

そして明けた日曜日、帰京である。ホテルをチェックアウトしたあたりから、朝方に射していた日の光が失せ、曇天になっていた。佐賀駅からバスセンターへとつづく、小規模なショッピング&飲食街で朝飯兼昼飯を、洒落て云えばブランチという処だが、腹に喰い物を入れることにした。数が少ない食い物屋、それに店開き前が多い。結局、腹に重いトンカツ屋しか選択肢がなかった。

ホテルの朝食、バイキングでは歯止めなく喰ってしまう(貧乏オヤジは、喰い放題だと意地汚いのだ)と、止めたのになぁ・・・である。これからが本領発揮、先ずは生ビール(これは休日の朝飯では習慣だから)、串フライ五本セットを摘みにした。飯の方は、親子丼となった。何処へ行っても食い意地が張ってるぜ!

                        

喰い過ぎの腹を抱えて空港行のバスに乗った。すっかり雨模様になっていた。バスから見える堀端の水面は雨粒が刺さるように落ちていた。前日、東京を発つ時も雨、佐賀に着くと晴れていた。この日、羽田に着くと曇り空であった。飛行機に乗るまでは江戸も佐賀も雨、降りれば上がるとバランスが取れていた?

 

昨日の月曜日は、夢見が悪くて寝坊してしまった。潔く、弁当作りを諦めたのである。その反動か、今朝は早起き。冒頭で述べたとおり、五時から弁当遊びをした。

冷蔵室の中を見ると、日曜日に買った鶏肉が残っていた。ソテーにするか、煮るか?否。鶏の混ぜご飯にした。鶏と牛蒡・人参・蓮根・薄揚げを甘口に煮上げて、ご飯と混ぜ合わすやつだ。そして、鶏肉を少し加えた大根煮。この大根煮をメインにしたいぐらいだが、味見はしていない。

そしてハンバーグとピーマンの肉詰め焼き。ホウレン草のお浸しオカカ掛け、千切りジャガとタマネギスライスを炒めたオムレツ風卵焼が今日のメニューとなった。

             

 

 

 

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