オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ホワイトデ―

2017-03-15 | Weblog

3/15(水) 昨日のお昼、日本橋の三越デパートに行った。目的は二つ、その一つが表題のプレゼントを見繕うことであった。会社から昭和通りを横断し、三越方向へと凡そ五分、コレド室町の地下街に下りて銀座線・三越前駅を横目に過ぎて三越本店の地下食品売り場に入った。

其処は紺・黒のスーツ姿の野郎どもが、狭い売り場売り場に列をなしていたのだ。「なんだ!これやぁ!」そのものの様相を呈していた。義理チョコの世界は、この日本橋界隈では廃れてなかったことを如実に表していた。

かく云う小生は、家族や飲み屋で頂戴したチョコのお返しが殆どだが・・・、それでも一応はひとり一人の顔を浮かべて、何にしようかと考えた。おサイフと相談しながら二品に絞って購入。その後、16日からの帰省用に、従兄姉達への土産品を見繕って送った。

日本橋コレドの地下を抜けて表に出ると「おかめ桜」が咲いてる通りに出る。この桜の花弁は小さく下向きに咲く。色は緋色で沖縄の桜を小さくしたような趣がある。毎年二月の半ばぐらいから咲きはじめるようだ。そろそろ終わりに近い、花びらが路上の隅に溜まっていた。

                           

会社に戻ると直ぐに外出の時間が。三時から五反田の旧逓信病院で受診することになっていた。一月前、咳が酷いので受診したが、その結果などを聞くためである。予定通り病院に着き、診察室に入るなり「肺活量の検査を受けて下さい」だった。その上で診察しますとの指示。肺と心臓は弱いのよ、これは重々承知しているが・・・・。

検査の結果、それ程悪区はない。一応は合格レベルと判明・・・と、自己判断した。診察室に戻り受診すると、肺活検査のデータを見たDrは、「喘息の傾向がありますね」と云う。そんなことは承知しているから受診してんだ!と、言いたいとこは胸に仕舞い『そうでしょうねぇ~』と、子羊ならぬオオカミのような声で応えた。

「もう一度レントゲンを撮りましょう」との指示で、再度検査室へ。正面と右側のレントゲンを撮った。再度診察室へと、今度は前回撮影のものと比較しながら聴診、「肺の変化はないですね。生理検査の結果は特に異常はありません。CTの右肺の下の陰が、なにか分らないので、五月の連休明けにもう一度CTを摂りましょう」と、なった。そして喘息用の薬(ステロイド系の吸引薬)を二か月分処方されて放免となった。

この間、一時間強。次の予定は6時で、渋谷「奈加野」にて、後輩たち五人との懇談会である。時間に余裕があるが、会社に戻り往復する時間はない。五反田駅からバスで渋谷に向かうことにした。電車なら目黒~恵比須~渋谷なので、五分強と僅かな時間だが、ぐるぐると廻って向かうバスは50分程を要した。

店に着くと、EBISUIが早々と手酌で燗酒を飲んでいた。「五時半からやってます」と、毎日が日曜日の優雅な男は余裕しゃくしゃくの体である。二人で先に飲んでいるうちに、YOSHINO,一日500円男のHAMANO、SAKAMOTOと続き、最後に一関市から上京中のCHIBA君が豊かな頭髪姿を見せた。

日々の暮らしや最近の状況、親の介護などあれやこれやで時間は過ぎていく。仕事をしていないのは、EBISUIとCHIBAの二人、後は未だ職に就いている。四十年以上も前に、津田沼の独身寮で、同じページに色を塗った仲間である。会社は同じであっても、年齢はもとより、職種や業務の内容、歩んできたコースも異なるが、同じ釜の飯を喰って以来、交流を重ねている。

誰かが「不思議なことに、未だ誰も欠けてないよね。高校の同級生で仲間だったのが二人も亡くなったのに」と言った。『そろそろ欠けるのも出るさ。俺が一番に行って皆の関を取っとくよ』と、すると「殺しても死にそうにないのがARISAWAさんどよ」と、世辞を云うやつが。

                          

こうして古い仲間と会えるのは楽しいものだ。後二人いるが、一人は広島だし、近場に会社があるYは、ほんの数年前に若いのと再婚してから疎遠になった。別れた奥さんのことは、結婚前から、皆で一緒に遊んだ仲間だったからな…、触れられたくないんだろう。別れたと知った時は、残念がったよ。

そんな諸々の思い出を語り合っているうちに、店主が顔を出して座りこんだ。『焼酎入れてやれよ』と云うと、すっかり仲間に入った。「俺の実家が銀座とすると、ARISAWAの実家は八王子だな」と何時ものセリを吐きながら、お開きまで喋っていた。オヤジ、それやぁ目くそ鼻くそを笑うと、云うんじゃねぇか、と悪態をついてやったが・・・・。

店を出ると、小雨が降りだした。何時もよりは人通りが少ないセンター街を駅の方に向かい。ハチ公前交差点の信号で「またな・・・」と、散会した。

 

今朝は、五時に一旦目が覚めた。これじゃ早すぎると蒲団を被ったが、次に目覚めたのは七時に十五分前。これはちょいと遅すぎるが、覆水盆に戻らずだ。

今日は家人用の一人分なので、時間も余裕十分。確か昨晩の帰り、弁当用の菜を東急ストアで買ったはずだだが?ホウレン草と椎茸。他に何を?暫く思い出せなかつた・・・・。

今日のメニューは、たしかホウレン草と椎茸のバターソテー、ブロッコリ・アスパラ・スナップのサラダ、菜花のお浸し、乱切り茄子と豚薄肉の素揚げのポン酢味、卵の出汁巻。なんか変だな?メインになるものがない。おかしいな~・・・。

てなことをしているうちに、漸く思い出した。生鮭のソテーだ、これ用に小ぶりの生鮭を昨夜、買ったのだ。ホウレン草と椎茸は、メインに添えるのだ!

本当に馬鹿だね、痴呆症・健忘症、ボケオヤジそのものだぜ。最後になって漸く思い出したが、これじゃ先が思いやられるな・・・。鮭を冷蔵室から取り出して軽く塩胡椒を振る。四切れあるので、二切れには小麦粉をまぶす、後の二切れはそのまんまソテー。オリーブオイルとバター、醤油をほんのひと垂らし・・・・。ハイっ、完成である。

                                      

今日も菜を弁当に詰めるに一苦労、押し込み押し込みになった。ちょいとイカンザキだね!

                           

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心配していたことが・・・

2017-03-14 | Weblog

3/14(火) 昨晩は19時から、銀座のクラシックなカフェ「モナリザ」で、モナリザ会という異業種交流会があった。前中央区区議の高橋氏が主催し、月例でこの店のB1ルームで行われる。今年の参加は初か?よく覚えていないが、三月例会に出席した次第。降りだした雨の中、パトロール仲間の悪徳チャン、ことMATUOKA氏も同道。

会の方は何時もながらの盛況ぶり、予定外の参加もあり活況であった。一時間程かけた自己紹介があり、その後は交流タイム&飲み会。ビールと焼酎・ワインは飲み放題。摘みはサラダの他に三種類ほどと少ないが、会費三千円とあっては致し方ない。飲み食いよりも、異業種・同業含めての交流がメインのはずだが・・・・。

私の方はそれほど熱心に交流はしない。何度か顔を合わす中で、自然な本当の交流が、そしてそれがお互いの為になればいいと思っている。緩やかな関係作りでいいと。だから、この面々とは二次会にご一緒したことがない。

二時間経ち、会は散会した。マッチャンと日比谷線のホーム降りると、下り方面行きが先に来た。外は雨かもしれない、歌の文句のように朝までとはいかぬが、人形町へと一緒に戻った。パラつく小雨の中を「ちょっぷく」へと・・・。店は何気か、鎮まっているように思えた。雨の所為か?

店内に入り、外国人アルバイトの娘に店長は?と訊くと「病気・・・」との返事が。『ヨッチャンは、何処なの?』と訊くと「奥」との応え。奥の狭い事務所で、ヨッチャンは書類仕事をしていた・・・・。

『YAMAちゃん、どうしたんだい?』と、「日曜日に予約客があって仕事だったの。私は娘の出産があるので、水天宮にお参りして店にはいったんだけど。夕方から店長が、ら行の発音がおかしくなって、どうも変だと云うことに。車で来てたので、そのまま乗って早くに帰えり、救急車を呼んだらしいの」

でそのまま入院となったそうだが、自分でメールをしてきて容態を知らせてきたとのこと。病院行きが早かったので、軽くてすみそうだと云うが・・・。

だから言わんこっちゃない。前はノンアルコールビールで済ませていたが、最近は日本酒を相当飲んでたから。その度に、危ないぜ、止せよと、忠告してたのだが・・・。とうとう脳梗塞が再発した、救いは軽いとのことだが。脳梗塞の再発は重篤が多いと聞く、それを思えば不幸中の幸いである。

後から『早く快復して、戻ってこいよ。皆、まってるぞ!』と、メールした。その夜「頑張るよ」との返信があった。メールが使える、早い快復を、復帰を祈る。

「ちょっぷく」で白ワインを軽くやる。HOYA兄いも合流した。では「SEIJU]だカラオケだが?兄いの偵察では、カウンターが満席とのこと。それじゃ空くまで「ちょっぷく」待機となった。

二十分ほどで空いたとの連絡が。それではと、助っ人のマッチャンママが仕切る(不動産屋じやないよ)「セイジュ」に移り、カラオケ大会となった次第。これも酒飲みボランティアだと云えるかな?ママが骨折入院中だからネ。マッチャンは店でボランティア、それができないオイラは、酒飲んで、カラオケ唄ってボランティア?なにをしてもボランティアって次第だ!

                             

HOYA兄いが、オイラの沖縄研修?を記念して、帰縄の歌を、シリーズで唄ってくれたよ。おおきに

ボランタリーな宵を過ごし、零時に五分前、学芸大学駅の改札を抜けると、そこには大粒の雨が、切れまなく降っていた。なんだ?この大雨は?と云う処だが、降りしきる雨の中を傘もささず、じゃねえ。ちっぽけなビニール傘を手に家路へと急いだ。こんなちっぽけな傘だけど、ちったぁ役に立つ・・・・。

と、云うことは、どんな存在だって役に立つと云うことだ。存在することは、すべてに意味がある。とも云えるか・・・・な?

 

前夜の疲れがあったのか?、起きたのは七時前だ。それも家人に声を掛けられた挙句さ。

今日の弁当は二つだ、大急ぎで台所に入る。先ずはご飯を炊かなきゃ・・・鍋で二合の米を仕掛けた。野菜中心の長女がいるので、冷蔵庫から小松菜・レタス・茄子・スナッピー・ブロッコリを。鍋で湯を沸かす。

根昆布出汁と酒・味醂・醤油少々で、小松菜と薄揚げの煮物。茄子の味噌炒め、沸いた鍋にスナッピ―とブロッコリを、そして塩を一つまみ。蒟蒻を千切り、赤唐辛子を細切してフライパンで熱す。そこに千切った蒟蒻を放りこみ出汁を加えて炒め煮。ピリ辛コンニャクの炒め煮が完成。こいつは旨かった!

                         

卵焼きは、厚焼きならぬ手抜き焼卵さ。溶き卵を、熱したフライパンに徐々に入れてかき混ぜながら、焼整えた。最後の一品は、石垣牛の焼肉だが、四切れだけ残っていたのを焼く。付け合せは、マッシュルームのソテー。以上、簡単ながら三十分コースのお弁当が仕上がった。

                                 

ここから、弁当箱に詰めるに数分を要したが・・・・・。なんとか、タイムオーバーしなかった。

                       

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兎も角弁当だ!

2017-03-13 | Weblog

3/13(月) 今朝の起床は、6:45分と遅い。昨夜は、平和島のボートレースの振り返りを小一時間し、零時にはスタンドも消した。六時前には目覚めるはずだが・・・、遅い。

とは云っても、ご飯は昨夕に炊いてある。菜の方も、昨晩の残り牛焼きを使うので余裕は十分。加えて、今日も家人用の一つ弁当なのだ。

暫し、なにを作ろうかと考える。九条ネギがあるので、酢味噌和えがいいか・・・。九条ネギとイカの酢味噌和えに決定。初めて作るかな?少なくとも弁当用としてヌタ味噌をするのは今回が初となる。

湯を沸かして、ネギを軽く茹でる。その後で冷凍イカを輪切りにして湯どおしする、そして氷水で冷やす。西京味噌を味醂・酒・酢で溶かし、砂糖を加えて味を調える。たったこれだけのことが、一番時間を喰った。味の方は75点ぐらいか?

                          

マシュルームをソテーし、牛肉を温める。冷凍の塩秋刀魚を焼く、ホウレンソウを胡麻・卵とじを作る。これに家人が作った煮卵を一つ使う。以上である。

                         

簡単ながらも、一応、弁当らしくなった。写真でkみると、弁当が三個あるように思えるか?

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オヤジ達の手遊び

2017-03-13 | Weblog

3/11(土) この日の午後、白金台のフードコーディネーターJIN先生宅のリビングにて、第二回のオヤジの料理手習い会が開かれた。初回に欠席した悪徳不動産屋は、マスクやうがい薬まで持参してやる気になっていた。前回に続き、料理写真家ながら料理が出来ないと云うHANADA女史、HOYA兄い、NAKAMURA大将、不肖ARISAWAを加えた五人が生徒であった。

オヤジ達は高輪台駅に参集し、雁首を揃えて先生宅へ。先生宅の玄関で靴を脱いだ処で、出迎えのJINNO助手から「あらっ可愛い」と、五本指五色の靴下に注目されたのはオイラさ! 読みとおりの初笑いをゲット。

めいめいが持ち寄った飲み物(アルコール)を、先ずは取りだして並べた。次いで、先生が準備をしてくれた資料を見ながら、本日の内容を聞く。手洗いを済ませ、先ずは先生がお手本を示しながらポイントの説明とお手本を見せてくれる。先生の旦那JIN・PAPAが、今日は最初から脇に居て講釈をする。

オイラが『門前の小僧、習わぬ経を詠むですか?』と、茶化すと「家内に料理を教えたのは俺だ、ボーイスカウトで鍛えてるからね」と、自信たっぷりな応えが。

今日のテーマは「鯵の捌き方と、揚げ物」と云うことで、捌いた鰺を”なめろう”と”アジフライ”にすると云うことになっている。個人的な視点で云えば、ナメロウは好きじゃない。魚を下ろすのも、フライを揚げるのも散々やっている。が、そこに何かを知る、或いは発見があればいいのだ。大人の遊び場の一つが、料理と云うことさ。

皆さん悪戦苦闘して鰺の頭を落とし、鱗や内臓を取っている。三枚に下ろす段では、早々と”なめろう”が出来上りそうなくらいに原型を壊したのはマッチャン。それでも二枚目に掛かると、俄然切れいになった。論ずるより慣れろだネ・・・。

                              

三枚に下ろした鰺を、今度はナメロウにすため刻む。酒・ネギ・味噌の香味料は、小分けをして準備が整っていたので、これらを載せて仕上げの叩き切りに。ナメロウでも、先日「高松」の三代目シュンちゃんが出してくれた、小口切りのナメロウの方が私的には好きだが・・・・。

                        

最後にフライだが、小麦粉・溶き卵・パン粉を、そして170℃にした少量の油で、それも蓋をして揚げる。これは知らなかったよ。油が撥ねない イイネ

添え物のキャベツの千切を前回につづいてやるも、幅が3~5ミリもあっちゃイカンザキだぜ、となる。勿論オイラは手慣れた手つきでと、トントントン~さ。

二時過ぎにスタートして終えたのは四時半になっていたか。簡単な料理ながら、全員が、ああだこうだと聞くし、途中でタバコタイムまであるんでね・・・。

さあ~、これから「ふりかえり」と称するタイムに入る。広げたテーブルに、鰺のナメロウ&フライが先ずは並んだ。そしてドリンクが。御試食と渇いた喉を潤す時間に突入した。JIN・PAPAも舌好調だ。頃合いになって先生の知り合いNANAさんが参加。前回はAYAちゃんだったが、毎回異なるゲストが現れて成果物の御試食?を共にしてくれる。先生の、皆で愉しい時間を過ごしましょ、とのご配慮であろう。

                        

出てくる料理は、今日の成果物だけではない。山菜の天麩羅、蕗と油揚げの煮物etcで、最後には珍味唐墨まで登場。七時を過ぎた頃合いに、そろそろお開きに・・・だが、更に時間が経って行く。

                            

料理の手習いが終わって三時間の振り返り。その頃になって、実より虚の方が、否、後の方の時間が実かもしれない。ならば、よしか

                        

                      HOYA兄いは、両手に花?で、ご満悦!

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図らずも・・・ &西表島 1

2017-03-10 | Weblog

 2月末の28日、16時50分波照間港を発ち石垣港に向かう。船は来た時と同様にエンジン音を轟かせ、ガタピシ音をさせて疾駆した。時折、後方から飛沫が舞ってきた。予定どおり、18時前に石垣港に入った。これまでは上々の経過と云えた。

さて、石垣港からホテルを取っている竹富島へ戻ろう・・・と、チケット売り場へ。なっなんと、連絡の船は既に最終便が発っていたのだ。訊くと、17:30分が最終であった。時刻表は見ていたが、午後の7時30分まであると勘違いをしていた訳だ。

これじゃ島に帰りようがない。諦めてホテルに連絡をし、晩飯の不要と帰れない旨を伝えた。すると、港の近くに系列のホテルが在るとのこと。これからホテルを探すのも面倒と、其処へ予約を入れてもらった。これじゃ波照間島に泊まっても同じようなものと、思いがちだがそうは簡単にいかない。と云うのも、海が荒れれば船が止まる。よしんば動いたとしても、翌日に石垣港に戻れるのは10時頃となる。遅くなるので、その日の行動が立ちずらい。

波照間へは、一日三往復の便しかない。いや飛行機便が石垣との間にあるはずだが、状況を把握していない。費用の問題も?

兎も角この日は石垣島泊だ。明日の行動予定を立てるべく、西表島への便や観光コースを確認する。と、朝、8時発で西表・大原港に向い、マングローブの仲間川をクルーズ、そこから由布島へと水牛車に乗って渡る「朝得コース」と云うのがあった。これだと、午後の13:30には石垣港に戻れ、市内を廻る時間も取れる。このコースを申し込むことにした。

案内所でコースの空き状況を訊く。と、「確約はできないが申し込は受けます。明朝の7時40分までに来てください」と、これまた心もとない話だった。今更どうしょうもない、明日明日の風さと、ホテルへ向かった。渡された鍵の部屋は、竹富島のホテルとは大違いで、これまで泊まったビジネスホテルでも最下位のクラスだった。

文句は言えない、5500円で朝食付だ。それに港に近いので明日の朝が心配ない。狭いバスだが、汐っ気を取るためゆっくりと温まった。肌寒いくらいの気温になっていたのだ。風呂の後は飯だと、外へ出た。波照間では飯を食いそびれ、な~んもないとこだったからね。

この食事&一杯やれるそうな店を探すのにひと苦労する。一人だかねぇ~、大きな店だと肩身が狭い。手頃な店を見付けて入ると、満席。遠くまで足を延ばすほどの気もない。結局ホテルの前に在った「ワンコイン食堂」(ラーメン屋のようなとこだった)と云う二階にある店に入った。

八重山ソバのハーフに、摘みは餃子と三点セットの小鉢。オリオンビールと泡盛二種、〆て4100円也。黒真珠という泡盛、度数43°が美味かったよ

                             

以上で、石垣島の夜は更けていった。しずかに閑に、と言いたい処だが。通りを隔てた向こう側に飲み屋が何軒かあった。ここに出入りの客の声が響いてくる。五階の部屋まで・・・・。深夜まで・・・。沖縄人の夜は遅いと聞いてはいたが、なんと起床した六時前までつづいたのだ。六時前「それじゃ~またね」とか言ってるんだ。元気あるよなっ!

  ― 西表島 1―

7:30港のチケット売り場に行き、西表島「朝得コース」なるチケット購入した。昨夕の話では、チケッの残枚数が僅かなようなことを言っていた。が、何の心配もなくチケットを渡された。8時初~13:30前に石垣港に戻る「マングローブクルーズと由布島」朝得コースと云うやつで、8900円也。

混んでいるかと思いきや、西表島・大原港に着き案内人の処に集まったのはたった7人、これに現地からマングローブ船に乗った3人の10人で直ぐに出航、といっても連絡船のような観光船。皆との右手が仲間川の河口で、緩やな川は喫水域が相当奥までつづいている。その河口からマングローブの林が、種類ごとに群落をつくってつづく。

              

薄日がさし、乗り合った人数も少なく、満潮と重なった穏やかな河口をゆっくりと船は遡上した。船長兼ガイドがマングローブやこの地域の植生について説明をする。落ち着いた声で、判り易い。地元出身者でなく、この土地が気にいって長く住み着いた。そんな雰囲気が漂う中年の男である。   

               

一時間足らずの短い舟遊びと云えようか。それでものんびりとしたひと時を、十分に楽しむことができた。これはお奨めできます。我々の乗船した船は、乗客はたったの十人、前後左右と、景色を堪能できた。クルーズ船が引き返す辺りの水の色は、それまでのブルーとは異なり、土色をしていた。

                         

 

我らが港に戻る時にすれ違ったクルーズ船は、どれもこれも満員。多分、旅行会社の主催するツアー客であろう。我等の、船での自由さと比べると気の毒になるほどだった。

出航した時の満潮から、徐々に汐水が引いて行く時間へと変わっている。干潮になるとクルーズ船は途中までしか遡上できないとのことだ。それでか、午後出発の「午後得コース」が全て中止になっているのは。と、合点がいった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一生に一度・・・

2017-03-10 | Weblog

3/10(金) 昨晩、高知で松葉焼きのカツオタタキを製造販売している四万十川物産の若社長、AMENOMORI氏が上京。昨年、奈加野で知人から紹介され、販売しているタタキを頂戴したことがある。上京の折には一杯やりましょう、と伝えてあった。上京のメールを貰い、土佐料理の銀座・祢保希(ネボケ)で待ち合わせた。

一杯やりながら商売のことなど聞き、感心した。うちの子供建ちの年齢ながら、二代目社長として家業の発展に尽くしておられることがよく分かった。飲食店への販路も開拓したいと云う。扱い量や価格面での難しさはあろうが、リサーチとしてなら役立つかもしれない、そんな思いから人形町の安酒場を紹介することにした。

銀座なので、「祢保希」から直ぐの「順」に案内する予定であったが、商売の方が先決と、人形町に戻った次第だ。和食の「うまし」に電話をいれると、満席とのこと。先ずは「ちょっぷく」にてと、そこに向かった。パトロール隊のHOYA兄い、マッチャンと下部チーム(年齢でだ)にあたる、IMAEも加わって賑やかな宴になった。

先ずはYAMAちゃん店長に、タタキのことをぶつけるが・・・・。予想したように、価格と客の嗜好がどうか?となった。サンプル商品を送り、是非を検討してもらうように押し込んだが・・・。摘みとして並ぶと、俺たちが喰わされるのは必定だネ!

一時間ほどし、「うまし」から席が空いたとの連絡が入った。全員で「うまし」へ移動。移動距離は100mほどなのだ。「うまし」の一番奥のテーブルに陣取り、マッチャンのボトルを飲んで店が隙くのを待った。若いIMAE君がすっかり肴にされる・・・。オイラも余計なことを云う「若い時は銭と時間を使って男を磨け」そんなようなことを言ったか。

                            

頃あいに店主にテーブルまで足を運んでもらい、カツオタタキのことをお願いする。ここにもサンプルを送ることになった。すっかり出来上がって、お開きにしたのはいいが、勘定をしようとしたら「若い人が払いました」とのこと。店主にひと言、余計なことを伝えた『俺が客を連れてきたときは、支払いは俺なんだ』と。

どうやらIMAE君が支払ったようだ。今夜ばかりは申し訳ないことをした。いずれ、倍返しをしなくちゃなるまい・・・。

連れ立って駅の方へと向かう・・・、「ちょっぷく」も店仕舞いの時間だが・・・。店長が客送って出てきたところにでくわした。これが運の尽きさ。他のメンバーは帰ったが、オイラは腕を取られて店の中へと拉致されてしまったのだ。前夜はこっちが居座ったが、その意趣返しとばかりにカラオケが用意された。

YAMAちゃん店長と、助っ人ミムラッチの三人の宴が始まってしまった。近頃、店長の酒がすすみすぎる。脳梗塞や脳出血をやっているので、飲み過ぎるなと忠告しているのだが・・・、心配するよ。

                         

銀座に向かう前、店先に寄って『今夜は銀座だ、人形町には戻らないからな』と、「近いじゃないか、来いよ」『駄目だネ、戻れないよ』 そんなセリフ吐いて出掛けたのになぁ~。

結局、終電ギリギリまで店に。店長は、今夜も店で一人寝・・・・だろうな?。

メトロ、東横線と終電を乗り継ぎ、今夜も25時を過ぎての帰還となった。終電に深く座って浮かんだのは、「明日は孫のSORAの卒園式だったな、行ってみるか」だった。一週間ほど前に長女から聞いたが、行かないよ、と応えたのだが・・・・・。

 ― 一生に一度だから・・・ ―

朝、弁当を作りながら『SORAの卒園式に行ってみるよ』と、家人に伝えた。「そう、お願いね」につづいて「自分の子供の時は、そんなことは一度もなかってのにね。変わるもんだね!」ときた。

『卒園式は一生に一度。今という時間も一生に一度だ。先が短くなった分だけ、その一瞬の時を大事にしたい。そんな風になったのかもな』そんな応えをした。十時からの卒園式、園に着くと子供建ちが清冽して会場に入る前であった。親たちは、母親は椅子に座って式の始まりを、父親たちは全員が立ってカメラを構えていた。

                                   

 さて、弁当だ。今朝の起床は、目覚めは遅かった。目が覚めて時計を見た。六時十五分か?起きなきゃ。そう思い、改めて時計を見た。なんと、それは七時十五分だった。大急ぎで蒲団をで、台所に向かった。今日も野菜中心か、なににすればいいんだ?と。

鍋で米を炊く用意をし、野菜を冷蔵庫から取り出す。トマト・シメジ・スナップエンドウ・タマネギ・ホウレンソウ・人参・ジャガイモと。鍋で湯を沸かす。茹でる煮る、両面睨みの体制だ。其処でハタと気付く。今日は長女の弁当が要らないんだと。娘の卒園式だもんな・・・・。

とは云っても、準備したものは戻せない。野菜メインの弁当だ・・・。肉系はアグー豚の「ハンバーグ」、そしてウインナーを炒める。ホウレン草のお浸しj「ジャーマンポテト」「茹でインゲン・スナップとセロリのサラダ」「茹で卵」、以上となった。

                        

 

かくなる優雅な朝と午前を過ごし、暖かな日差しのなかを会社へと向かう。人形町駅から会社までの五分程の中間に、スターバックスが在る。十年程前の有る不愉快な出来事を境に、スタバは使わなくなっていた。が、先日、SHIMADAさんからの便りの中にスタバのカードが同封されていた。

届いたカードはカバンの中に仕舞っておいた。今日のおだやかな気持ちと、陽気。プリペィドカードを贈ってくれたSHIMADAさんへの感謝もあり、これまでの禁を解いて、スタバの店内に入った。『こんなカード貰ったけど、使えるかな』と、カード出してカフェラテをオーダーした。

そしてカードと伴に、残額はこれにとレシートが渡された。なんと大枚の額が印字されていたのだ。

                           

有難とうございますと深謝するばかりだが、年金暮らしの方にお気遣いを頂いて申し訳がない。その気持ちの方が強い。便りには、膝が痛くなって散歩もままならいとあったが、何時までも元気でいてほしい。サラリーマンの現役時代、ご苦労を掛け助けて貰った方である。

礼の葉書に『酒ばかり飲んでないで、コーヒーにしなさい。ということかな ? 』と記したが・・・・・。もうそんなには飲めなくなりましたよ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野菜弁当Ⅱ&波照間サヨナラ

2017-03-08 | Weblog

3/9(木) 昨夕と云っても、八時頃のことだが。MITUHASHI君が寄ってくれた。寄らしたと云うべきか。一月だったか、一緒に飲んだ時に「文旦」の話をした。本格農業派になった彼なので、我が故郷自慢に文旦のことを伝えた。そして、苗木を送る約束をしていた。

一月の帰省で、文旦と小夏の苗木を農協に注文した。そんなことはすっかり忘れていたが、妹から電話があり、苗木が届いたとのこと。その送り先を確認するためにミッチャンにメールをした。併せて、収穫物となる「土佐文旦」を味見さすべく、呼んだのだ。

今が文旦の最盛期、我が家の文旦と、買った文旦の両方があるので、取りに寄るように伝えたのだ。年度末繁忙で時間外勤務があり、遅い時間になったが寄ってくれた。二人で「高松」に行き、ハイボールや金魚ソーダをやりながら、諸々の話を・・・。

                              

そんな中で、研究所を出た後に勤務した子会社でのことを話し始めた。彼は、研究系の会社に出したが、そこで昇格させて貰えなかったことを無念がった。高い評価はしてもらったそうだが、昇格はさせて貰えなかったと。昇格には累積の評価ポイント、面接や試験を経るが、その前に所属組織からの推薦がある。事務系の彼は、研究系会社にいたので、人事の事情・状況が分った上司に巡り合えなかったのだろう。縄のれん人事の犠牲とも云える。

彼とは研究所で二年、それからも付き合いがつづき、早や二十年近くになる。丁度会社の再編などの時期で、広報担当にいて研究系の仕事に明るかった彼を、そのノウハウを生かせる仕事がいいだろうと、転勤先を決めたのは私だった。『それゃあ申し訳なかったな』と、云しかなかった。

人事に関しては、似たようなケースはよくあることだが。望まれて行っても、必ずしもいい結果になるとは限らない。また逆も真なりと云うこともある。サラリーマンを辞めて十五年、今更ながらだが人事の難しさを知らされた。

明日も忙しいと云う彼と別れ、「ローカーボ」「ちょっぷく」と渡った。ちょっぷくでは、店長のYAMAチャンとカラオケ合戦?そんなことをして、帰宅は25時過ぎとなってしまった。ちょっと遅すぎるネ、SHIMADAさんやMIKOSHIBAさんから、「お酒はほどほに」の助言・忠告を貰ったばかりだったが・・・・。

                    

                        ジムコ NAKAMURA一家

 

今夜は程々にしますよ。23時までには切り上げます・・・。初めて一緒に飲む方なので、多分それくらいには終わるでしょう。

 

今朝は六時半の起床。前夜が遅かったので、こんなものでしょう。今日も野菜中心の弁当だ! これが意外に手間が掛かる。飲み過ぎの翌朝は、体が重い、頭も重いで、サクサク進まないんだ。

昨日と同じじゃ笑われるし、困ったねぇ~・・・・。長女は肉・魚・米は除外だが、家人の方はそうはイカンザキだからネ! ここは一石二鳥、一緒に作って弁当で別れる。二股膏薬、蝙蝠戦法に徹したいが・・・。結果は、以下のように!

                     

そんなことで、メインはピーマンの肉詰め煮。肉詰めは家人用、一緒に白菜を煮て長女に。胡瓜の塩麹揉みサラダ、アスパラと茸のソテー、茄子の味噌炒め、ベーコン&小松菜の卵とじ、以上です。

                      

 

 

 ―波照間島 最終編 ―

珊瑚礁の海岸を断崖の上から望み、またまたサトウキビ畑のなかを通る舗装道路を自転車を漕いで、一路最南端の場所へと向かう。ホンマにこの島には標識がない。無論、信号もない。後で判明したが、遅い時間に飯を喰うとこもなかった(探せなかったのか?)。

                        

それながら、何となくここだろうと思うとこへ行くとそれが目当ての場所。要はそれだけ判り易いと云うことか。 ― 昨日のBLOGに島の地図を載せたが、判り易いことは間違いない ― 。そんな感じで、いつの間にか最南端の場所に着いた。岬と云うよりは、ちょっとした出っ張り。そこが、人の住む所としては最南端であった。

駐車場に自転車を止めて、100mも海岸に進むと四角錐のコンクリートに「波照間碑」と記されたいたが、その直ぐ先に「日本最南端之碑」が建ち、ご丁寧にすぐ脇に日の丸の石碑まである。その他にも、大石に刻まれた「日本最南端 平和の碑」竹富町 なんて石碑が鎮座していた。この島も、竹富町になるんだ!

碑の直ぐ向こうは断崖、そして珊瑚礁らしき岩場がつづいて青い海に至る。そんなとこでした。

                  

 余談・・・

旅人らしき初老の男が、これも旅人らしき男に、大きな声で喋っていた。「マグロ丼のマグロが多くて多くて、食べきれないぐらい入ってんですよ。寿司屋の店主が旅人だと、サービスしてくれたかもしれないが。凄いマグロ丼で、是非行ってみてくださいよ」と。

そのオヤジに、すれ違いさまにオイラも茶々を入れた。『それって、一体どこの話ですか?お値段は?』と。すると「大間ですよ、大間。値段は1200円でっした」と返ってきた。本州の北のはずれ、大間のことを此処で聞いてもな・・・・。然し、大間で、本マグロの美味いとこをそんな値段じゃ喰えないだろう?

昨年の秋だったか、大間とは反対側の岬、龍飛岬に行った。突端にある食堂、TVなどでも紹介される「海峡亭」で飯を食った。名物だろうとメニューにあったマグロ丼を注文した。大した量もなかったし、メジマグロらしき赤身だった。その値段も確か1200円だったように思うが。

大間出身の知りあいがいる。尤も家人の友人だが、その人にオイラは云う『できれば土産は大間の本マグロにしてくれよ』と。彼女曰く「みんな築地に行っちゃうよ。マグロ祭りに出てても、高くて高くて手が出ない」と。小さなマグロは地元にも出るだろうが、いいものは高く売れるとこへ行っちゃうな。水は高かきら低きへ流れるに如かずだねぇ~。

このお喋りをしてたオヤジとは、帰りに港で会った。船では私のすぐ後ろに座って、やはりお喋りがつづいたが・・・・。

余談、おしゃべりが長くなった。本題に戻ろう。

 最南端の場所を現認した。後は集落へと上って目的の民宿を探すことだ。海岸から藪の中を登っていく狭い道を自転車をこいだ。電動の面目躍如である。そして灯台の下を廻って集落に着いた。目的の辺りを地図で確認する。予想以上に閑散とした集落、人口五百人の島とはこんなものか?

                            

物音が、車の音も子供の声もない集落を、狭い道を右往左往して目的の民宿を探す。誰かに訊こうにも人の姿がない。誰も通っていないのだ。港のレンタル自転車屋を出てから、レンタルの軽自動車のシニア二人、これもレンタルバイクに二人乗りの若い娘、海岸と最南端の碑に居た三・四人の観光客、そしてサトウキビを刈る五・六人の姿を見ただけだ。集落の路上を歩く人の姿はなかった。

                         

                             火番所跡

 地図を頼りに、目指す民宿を探す。どの民家も「民宿」の看板を掲げていると思えるぐらいに多い。ここは、サトウキビと民宿の島か?。同じ道を何度か行き来して漸く見つけけることができた。その民宿は集落の端に在った。

そこは、「民宿 あがた村」と云う。ここの主が、全て手作りした宿と聞いている。主は、この島出身のN社のOB、五十代前半に退職し、生まれた島に戻って民宿を自作したそうだ。火山岩を積んだ石垣と防風林であろう高い木が屋敷地を囲っている。台風と大陸からの季節風にさらされる島々の住いは、同じような作りが多い。

                         

訪なおうかと思ったが、二ヶ所の出入り口は軽自動車が駐車しており、塞いでいるかのように思えた。そんなことはなかろうが、訪いをためらわせた。写真を撮り、ひと回りして引き上げることにした。石垣港を出る時は、竹富島の宿をキャンセルし、この島に一泊してもいいかと思っていたが・・・・。家々は石垣に囲まれており、解放感に浸れない。そんな気がしたのだ。

                            

兎も角、訪ねようと思った処に辿り着けた。それだけで良しとしよう。そう決めた。そう思うと、腹が減った! 食堂を探そう、そう決めて狭い集落の中を自転車を走らせた。飯やお茶を出す店らしい案内を見付けた。そこを探してまたウロウロと廻ったが・・・。三線の音が聴こえてきた。其処だろうと辺りをつけ、その家の庭に自転車を乗り入れた。

コンクリート作りらしいがっしりとした建物、ここにも民宿の看板が出ていた。初老の男が、玄関先に椅子を出して携帯電話で話をしていた。こんな時間だが食事はできるか?と問うたら「できない、港の建物の中に食事ができる店がある」と、教えた。

帰り船の時間まで一時間以上あったが、店がない以上は仕方ない。早いが、港に戻って飯とビールをやりながら、出航を待つことにした。

                        

レンタル屋に自転車を戻しによると、入り口の鍵が掛かって姿が無い。自転車の鍵を差したまま、元の位置に置いた。港の建物に入り、食事処を探したら・・・・。なんと、カウンターはアコーデオンのカーテンで閉まっていた。売店の姐さんに訊くと「閉めて帰ったようですよ」との応え。酷いねぇ!

売店で缶ビールと、一つだけ残っていたサーターアンダギー(ドーナツみたいな揚げたやつ)を買って頬張った。向こうの椅子で、島人と泡盛を飲んで盛り上がっている初老のオヤジがいた。見ると、最南端の碑で会った、大間のマグロオヤジだった。俺も泡盛飲みたかった! 、流石にその輪に入って行くのは躊躇った。

                          

出航の時刻を見計らったかのように石垣港からの船が着いた。来た時の船、もっと小さく、旧型のように見えた。何時ものように、船倉のうな客室には入らず、後部のオープンな席へ。最後尾を、あのマグロオヤジが占拠していた。しょうがねぇや、そのオヤジの前に座った。これは結果的に正解だった。最後部は仕切りもなくオープン。そこから跳ねた波飛沫が、座席まで飛んだのだ。

16:50分波照間港を出航、17:50分予定通りに石垣港に入った。丁度一時間、エンジンの騒音とガタガタと響く屋根音、油の匂い、波飛沫に見舞われての帰還であった。

然し、本当の厄災はこの後に待っていた・・・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野菜尽くし

2017-03-08 | Weblog

3/8(水) 出社前、目黒税務署に立ち寄り確定申告の書類を提出した。これで、納期が来るとなけなしの口座から十数万円が引き落とされる。なにやら切ないねぇ~。とはいいながらも、一安心である。

昨夕、同郷の友人MATUMOTO氏と会う予定が彼の都合で延期となった。そこで、先々週から連絡を貰っていた後輩、YOSHINO君と会うことにした。17時半、駅で落ち合い「うまし」「ちょっぷく」にて懇談。「うまし」では日本酒好きの彼は、佐賀の酒を乾すと、我が郷里の「南」を旨いといってお代わりした。私はハイボールだった。

「南」の醸造元、玉乃井酒造は小さな蔵元なので東京で「南」にお目に掛かれることは稀だ。ベッタラ市で、我が社が出す屋台で「南」を飲んだ女将さんが、酒屋を探し廻ってみつけたと云うが、それでも限定数しか入手できないとか。『田舎に帰った時にでも、蔵元に在庫があれば手配しますよ』と伝えた。

南といい鮎といい、我が故郷・安田町においては鄙に希なる品だが、それを人形町の店が置いてくれるとは有り難い。その味、良さを認めてくれればこそである。いずれも紹介したのは小生、少しは郷里の役にたったか?

 

今朝の目覚めは四時半、ラジオを聞きながら時の経つのを待った。六時前に台所に入る。長女のオーダーで、今日の弁当は野菜中心とする。

冷蔵庫の食材を漁り、小松菜・ホウレンソウ・胡瓜・レタス・椎茸・大根・スナップエンドウ・インゲン・アスパラ・新タマネギを取りだした。これらを煮る、茹でる、晒す、などして菜にするのだ。白和えを作ろうとしたが、木綿豆腐が不在のため断念。

胡瓜&若布の酢物、小松菜と薄揚げの煮浸し、ホウレンソウの胡麻和え、鶏肉と大根&椎茸・インゲン・蒟蒻の旨煮風と、新タマとレタス・アスパラのサラダ胡麻ドレッシング掛け、以上が野菜メニュー。

                        

家人には、煮物の鶏肉を加えるが、他には冷凍の「チキンカツ」を温めた。そして、ベーコンとエノキのオムレツ、明太子を一欠けら焼く。

以上が本日のメニューだが、長女は小さい弁当箱にとの注文。四種の野菜系を詰めるにもひと苦労。家人用は、野菜にプラスして卵料理とチキンカツが加わる。これは更に一苦労で、ご飯の領分を相当に侵犯した。

                       

野菜中心の弁当も、捨てたもんじゃないと認識を新たにした。かくして、オヤジのメニュー構成が多彩となるのか?

土曜日は「オヤジ達の料理教室」第二回が予定されている。今回は魚の捌き方、捌いた魚で揚げ物作り。鰺のナメロウも作るそうだが・・・、私的にはこいつは好きじゃない。されど我儘は言えん、イカンザキだ。

 

 ― 波照間島 Ⅲ ―

この日の波照間は、昼過ぎまで雨が、それも激しく降っていたそうな。乗船した船が着いた一時過ぎには上っていたが、水溜まりがそこここに残り、サトウキビや樹木、叢はつややかに輝いていた。

オフホワイトの砂浜が広がり、透きとおるような水辺の先には珊瑚礁に白波が寄せる。そんな絶景に暫し見とれた。観光客らしいき姿が、三~四人いるだけの、寂とした最南端の海はおだやかで、騒音の船で疾駆してきた青黒い海原とは真逆の海だった。

                         

「ニシ浜」は厭きることなく眺めつづけられるであろうが、旅人には島内での時間が少なかった。風光を胸にしまいこんで、次のポイント「サンゴの浜」へと向かった。

 西の浜から程近い処にあったが、やはり表示がない。レンタル屋で貰った白黒地図を手に、甘藷畑のつづく中を走った。十五分ほど走ると、海岸へと降りる道らしきものが下っていた。ここらであろうと、赤土と石の凸凹を厭わず自転車を乗り入れた。30m程下りた先が少し広くなって、そこが行き止まり。

その行き止まりから、人が一人だけ通れるような、踏みにじった通路が・・・・。自転車を置いて、ままよ、と其処を進むと小さな入れ江と浜が現れた。それが「サンゴの浜」であった。

                         

サンゴの死骸で小さな浜は埋まっていた。男女の若者が二人、泳いだ後のような恰好でいた。『泳いだのかい?』と、訊く。「泳ぎました…、寒くて寒くて」と女性の方が応えた。『そうだろうな、唇が真っ青だよ』と云った。

                             

沖縄の海開きは四月、今の季節は大陸からの季節風と天気がよくない。私はTシャツの上に裏地がボアになったジャンパー。それもジャンパーのファスナーは上まで上げて自転車に乗っているくらいだから。若者の邪魔をせぬように、早々にサンゴの浜後にした。

そしてまた、延々とつづく甘藷畑の中の道をひたすら進む。二十分ほど走るとサトウキビ畑が終わり、原野と段丘から海原を望む光景に代わった。その光景から、珊瑚礁に囲まれた島だと云うことを実感する。

                   

今はサトウキビの刈り入れシーズンだとか。刈り取り最中の畑がある一方で、まだ植えつけてから日が浅いと思われる小さな甘藷畑も点在していた。昔、まだ幼かった頃に、我が田舎でもサトウキビを栽培して汁を煮詰め、黒糖を作っている処があった。サトウキビとは呼ばず、カンショと言っていた。一般的に甘藷はサツマイモを指すが・・・。敢えて、甘藷の字をあてて表現したが、サトウキビのことである。

                         

 愈々、最南端の岬が近い・・・・。八重山諸島や波照間島の地図を、パンフレットから撮ったので紹介する。

                     

                     八重山諸島                波照間島

波照間は、人口五〇〇人程度の島で、一番長い処を計っても5㎞ぐらいしかない。それに島の一部は立ち入れないのだ。勾配が少々あるが、電動の自転車で楽に廻れた。沖縄本島からだと500㎞ほど離れており、石垣島からは50㎞ほどのところだ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャベツの豚巻煮

2017-03-07 | Weblog

3/7(火) 今朝の目覚めは五時半頃、気が付けばTVもスタンドも点けたままで寝ていた。昨夜の酒精は、赤白のワインを三杯と、軽めにあげたのだが・・・。

昨日のこと、確定申告の準備が漸く整った。が、なんと国税を十数万円も納付する結果が出た。ウソだろ そんな思いで何度も資料を見直したが、結果は変わらない。不思議でしょうがない。されど、国民の義務として努めを果たさねばならぬか。出来れば非国民になりたいよ  。「この分はボートで取り返すしかない」と、YOSHIOは言うのが・・・・。そうはイカンザキだろうよ。暫く、ひもじい日々を送るか?

さて、今朝の弁当も一人分だ。メニューは、ロールキャベツなぬ、豚バラをキャベツで巻いた煮物にした。味付けはコンソメと塩胡椒・醤油を気持ちに酒と味醂が少々。

                            

「茄子&挽肉の味噌炒め」「アスパラ&新タマネギ・スナップとパスタのサラダ」「塩秋刀魚焼」と、定番の卵焼き。卵焼きに、塩麹を使ったのは云うまでもない。

                      

弁当が出来がった頃に長女が過を出して曰く「今週は白飯と肉・魚抜きで、野菜煮かなんかにして。お弁当はちっちゃいのでいいから」、そう言い置いて仕事に行った。今週いっぱい、ダイエットメニューを継続のようだ。ダイエットの目的は、週末にある娘・SORAの卒園式らしいが、おそらく、洋服が着れなくなっているのだろう? 俺と同じだぜ!

今日の弁当も家人用である。野菜弁当と云えども、明日は二人分の弁当が作れると思うと楽しみだ。弁当オヤジ極まりたか。                          

                           

 

  ― 波照間島 Ⅱ ―

だんだんと目的の島、波照間が近づく。島は蒲鉾を横から切ったよな形に見えた。竹富島や黒島、新城島は煎餅か伸し餅を横から見たように平らに見えるが。波照間は、海岸からの高低差があるようだ・・・・。

一時間以上、蒼黒く揺れる東シナ海を疾駆した手の平サイズの連絡船は、ゼイゼイと仰ぐようなエンジン音となり波照間港に入った。石垣港から56㎞、雨模様だった黒雲は少し高くなって明るさを取り戻していた。入港は13時過ぎ、石垣港を出て80分と、行程どおりであった。

入港すると、すぐさま港の前にある貸し自転車屋に直行した。無論急いだ理由があるが。この店は、石垣港を出る前に調べておいたのだ。

港からすぐに坂道となって集落に向かう一本道が。海岸や浜に下りるのは、ちょっときつそうだ。レンタルの自転車やバイク、自動車まで扱っていたが、車の免許を持参してない。周囲十数キロの小さな島と云え、高低差のきつい処を短時間で廻るのはきつい。迷わずに電動自転車を申し込んだ。千五百円也!これを手にするために急いだのだ。 

サービスマインドのない、レンタル屋の店主から島内の地図をゲット。先ずは、島内を巡るコースの設定をする。最初に目指すは「ニシ浜」~「サンゴの浜」へ。そこから半周する道路に戻り「最南端の岬」を目指す。そして、灯台脇を登り集落に入る。そして目的の民宿「あがた村」を探す。最後に遅いランチを摂ってから港に戻ることにした。

いざ出発、港からの坂道も楽に上って行った。ニシ浜や最南端の岬へと向かう一本道を、我が電動自転車は快調に走った・・・。午前中は激しく降ったと云う雨も上がり、曇り空も少し明るくなってきた。行きかう車はいない、人影もない。そんな舗装された農道(多分)をスイスイと飛ばす。周りの畑は、赤土質のようだ。

植わっている作物は・・・完璧にサトウキビだけ。左手に緑のサトウキビ畑が、ザワワザワワとつづく(森山良子の気分だ!)。右手の海岸側といえば、亜熱帯らしい植物が青々と茂っている。

                      

竹富島とは大違いで、浜への標識も表示もない。が、概ねの検討をつけて舗装された道路から、枝道を枝道を100m程下った。自転車を止めて、藪のような間を抜けると、そこが「ニシ浜」だった。違いないはず・・・。広い砂浜と遠浅の白い海が、限りなく広がっていた。

                    

北野武の映画、花火だったか、ソナチネか。あの沖縄の海、浜辺のシーンを思い出していた。透きとおった海辺、肌理細かな辛子色の砂が広がりつづく浜辺、遠浅の向こうの珊瑚礁の海。

これまでの一番きれいな砂浜が、海が、パノラマされた。日の光がもう少し強ければ・・・・。この海をもう一度見たい、目の前にしながらそう思うのであった。八重山諸島での短い体験ながら、この浜が、このシーンが一番心に残っている。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルビ焼き

2017-03-06 | Weblog

3/6(月) 昨日は啓蟄、昼頃から降りだした雨も春雨の趣か? さて、昨日は例によって平和島でのボート遊びに興じた。往復は、奈加野のオヤジの送り迎えなので楽だね~。肝心の勝負の方は・・・、我が戦いに利非ず。二人とも残にも敗戦となった。それもまた善し、と大様に構えたい処だが、小人はそうはいかない。この仕返しは次週と、心に誓うのであった。

夕食は、仕事帰りの家人と駅前で落ち合会って摂ることになった。第一候補は「双葉食堂」でのラーメンであったが、店を覗くと満席。駅前の何の変哲もないラーメン屋だが、人気がある。隠れた名店かもしれない。そこで、お好み&もんじゃ焼きの「らくらく」へ。私は初めてだが、この店は彼の”なぎら けんいち”氏が息子にやらせている。と、当人から聞いていた。地元なので、一度くらいは様子を見ておかなくちゃ、と云う次第。

お好み焼きともんじゃ焼き、牛バラ肉焼に生ビールを遣ったが、お腹は一杯、ポンポコリンになった。お好み焼きを食べるのは三年ぶりぐらい、一方のもんじゃは、ちょっぷくの土曜の夜の部で、ヨッチャんがよくやる。本音のとこ、粉もんでも、長~いのは好きだが、捏ねたようなものは好みじゃない。それでも一度は見ておかなきゃ・・・。店のとば口に、多分有名人であろう数多の色紙が並んでいた。ナギラオヤジの面目躍如だな。

 

さて、今朝の弁当はメインが「カルビ焼き」。前夜に食したカルビ焼き(980円)とは、月とスッポン。石垣牛の正統派なのだ。石垣島から帰った夜に食した(実に旨かったねぇ~)が、一部を冷凍にして弁当用に残したのだ。その一部を今日の弁当に・・・・。一人分なんだ、今日の弁当も。

家人には『口直しに、石垣牛だからな』と、厳かに伝えた。これに、茸・ピーマン・タマネギをソテーして添えた。

                            

他の菜は、「蒟蒻・薄揚げ・インゲン・小松菜の煮物」「ハム&ベーコンの卵とじ」「明太焼きを一欠けら」、以上で終わるはずであった。処が、昨晩、塩麹をひと瓶買ってあった。その瓶をみて思い出した「これを入れた卵焼きだ!」と。「塩麹を入れると、卵の白身が溶ける。と、TVでやってたと」家人が言うので買って貰ったのだ。

                            

そんなことを忘れ、今日の卵料理(らしきもの)が出来てから思い出した次第。急遽、塩麹を加えた、卵焼きを追加したのだ。出来は悪くなかったよ。

一つの弁当だが、三態で紹介しよう・・・・・。裸は裸でも、ハダカの弁当だ

                    

 

 ― 波照間島へ、1 -

八重山諸島・竹富島での二日目。早朝から行動し、七時半の連絡船で石垣島に渡るつもりだった。なんと、目覚めたのが七時半であった。我ながら驚き桃の木・山椒の樹木、こんなことがあるとは。 離島へと繫がる、石垣港離島ターミナルに着いたのは十時になっていた。

西表島への午後半日コースを申し込んだところ「午後の半日コースは休止です」と、つれない返事。ではでは、翌日に予定していた「波照間島」への便を訊いた。上手いことに、11:50発の船が出るとのこと。西表島・大原港を経由し、所要は80分とのこと。往復で六千円弱だったか、その乗船券を買った。

「場合によっては波照間に一晩泊まってもいいかな」そんな気もしていた。天候の方は曇りあるいは、薄日が差す。そんな塩梅がつづいている。薄日でも、差すと暑くなる。曇り空で風が吹くと、肌寒くなる。この季節はそんな繰り返しのようだ。

予定どおり船は出た。曇天で沖に出ると波が大きくうねっている。が、小さな船はエンジンを目いっぱいに蒸かし、ガタガタと煩く音を立てながら波間を疾駆した。後部甲板のベンチ椅子から、ひっきりなしに蒼黒くうねる波を眺めていた。船の立てる飛沫なのか、はたまた雨が降りうけているのか定かでない。

雲は重く垂れ込めて、遠くの波間との境はさだかでない。島を去る時に聞いたが、この日まで六日間、船は通わなかったと。波が高くて運休していたとのことだった。港の観光案内&乗船券売り場では、前日も今朝も、そんな話はチラリとも出なかったが・・・。

天気さえよければ、黒島も新城島(あらぐすくしま)も手に取るように見えろうが・・・。微かに島影らしきものが、黒っぽい伸し餅のような影が見えるだけ。そんな中を、小さな船は疾走して行く・・・。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする