オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ランチ会

2018-03-09 | Weblog

3/9(金) 昨日は午後一番で客先を訪ね、それからもう一社で打ち合わせ。外出から戻ルト、今度は社内の打ち合わせとなった。これが長引いて夕方六時半近くになった。本来なら、この時間に上野のホテルで地球市民の会・SATO会長とお会いしている時間なのだ・・・。

大慌てで電話し、人形町まで来て貰うことにした。三十分ばかり余裕が出来たので、メールの返信や書類のチェックができた。そんな次第でBLOGをアップする暇もなかった。と云うことで、遅まきながらも昨日の弁当写真だけでも載せる。

                        

こうして写真を乗っけても、昨日は何を作ったのかすら朧になっている。炒飯、牛プルコギ炒め、鮭焼、小松菜卵炒め、チキンのソテー?はその前日か。斯様な状態のボケになっている。

            

以上のようなメニューであったろう・・・・。

次いで今日の弁当メニューだが、「トンカツ」である。赤魚の味噌漬け焼、塩揉み胡瓜と卵焼き、そんな処だ。

                   

今日の弁当は一つだけで、長女の分だ。家人は早朝から田舎(福井市)に向かったのだ。深夜からの豪雨で新幹線が心配だと云いながら・・・。オムスビでも持ってくか?と訊いたが、そんな余裕もなく早い新幹線に乗ると出て行った。

明日、郷里の病院に入院している母親の退院とともに、東京に連れてきて同居することにしたのだ。母親にとっては、住み慣れた土地を離れて東京暮らしをするのは嫌だろうが、選択肢はこれしかなかったようだ。気の毒ではあるが、元気に暮らしてくれることを願うばかり。

家人を送り出してからも、弁当作りをつづけた。ボケオヤジ、唯一の手慰みである。

                 

 

今日は、朝の弁当につづいて昼もと、云うより出社の一時間後には飯作りを始めた。月に一度のランチ会の日である。九時半からの全体会議が終わり、そのまま狭いキッチンにて下拵えを始めたのだ。

ランチ会のメニューは、弥生三月雛祭りと云うことで「五目チラシ」にした。これと、どう関係が有るか不明だが「肉じゃが」と「かき玉スープ」、定番になった「野菜サラダ」である。

                 

YOSHIOを助手に(煩い助手なんだよ、指示まで出しやがるから)、ジャガイモ・人参の皮を剥きと云う具合・・・・。前日の買い物は、打ち合わせが伸び、SATO会長と会う時間が迫ったのでYOSHIOに頼んだ。暗い雨の中を買い出しに行ってくれた。メモをし忘れていた人参もしっかり買ってあった。便りになる男だぜ

然し、朝の弁当につづいてのランチ会の準備だ。流石に草臥れてしまった。体力ガタ落ち、脳味噌空っぽ、財布は超軽の三重苦 ・・・・。今夜は「セイジュ会」で、またしてもお札が・・・・・・・。ボートレースの水に溶かす、馬の人参になる、よりは生きた使い方であるかも?。

昨晩はSATOU会長を人形町に迎え、行ったのは「高松」であった。会長に、『高松の女将が「この前見えた会長さんは素敵な方ですね、また案内してください」って、言われてんですよ、人形町まで来てください』と伝えたのが功を奏したかな?。慣れぬ街で、雨の中を来てくれたから。

昨夜は一軒だけ終わったので、駅で会長と別れ真直ぐに帰宅した。駅前の東急ストアにて、今日のランチ会の買い物をしてから帰宅。それから五目チラシ用の錦糸卵を焼いた。これぐらい真面目に仕事をすれば・・・、会社も安泰であろうに。世の中、上手くイカンザキだ。

日曜日、朝便で佐賀へ。古賀さん伝記本の校正を擦り合わせ、翌、月曜日は出版をお願いしている石風社がある福岡へ。校正渡しと、今後のスケジュールなどを擦り合わせる。帰京は夕方の予定。羽田から「モナリザ会」のある銀座に向かう予定だ。

 

 

 

 

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チキン

2018-03-07 | Weblog

3/7(水) 昨夜の帰宅は21時30分ごろでなかったろうか?。滅茶早い帰宅であるが、それには分けがあるさ・・・。そのことは置いといて、そんなに早い帰宅なので、蒲団に入るのも早かった。23時頃には蒲団の中に居たように思う。

そんなに早く寝たんだから、朝まで快眠となればいいのだが・・・。残念なことに、そうはイカンザキだった!。目覚めたのは・・・なんと、深夜三時だぜ。草木も眠る、ジジイも眠る丑三っ刻?のはずが、勤勉なる吾輩の目を覚ます時刻だったとは。こうなりゃ眠れない、眠れないのだ・・・・。

何故に?と、思われるであろうが、眠れないものは眠れないのだ。世の不幸と悲哀、艱難辛苦、絶望と悲憤、暗澹それらを一身に背負って生きているのだ。そんな分け、あろうはずもないが、この歳になっても来し方をふりかえりゃ宦官赤面(字が違う!)汗顔赤面だ、こんな間違い文字を打つとホンマに赤面やぜ~。行く末は暗夜行路。

まあぁ、思い悩む種は尽きないと云うこっちゃ。世に盗人のタネは尽きマジじゃねぇが、オイラにとっちゃ悩みの種は尽きないと云うお粗末なことさ・・・・。

で、どうするかと云うと「本」ですよ。古今東西の英知を本から頂戴して、一瞬であれ安らぎを得ようと云うケチな野郎さ、オイラは。幸いにも、午後に参加したセミナーで貰った本があった。実用書の類だが、これをじっくり吟味しながら読み進めて、朝を迎えたと云う次第。決して爽やかな朝とは言えぬ朝を。

実用書ながら、今の吾輩にとっては意味があった。神様は、その為にオイラの目を覚ましたか・・・・。ナットク、ながら今は眠い、眠くなったのだ。だから、目覚まし代わりに駄文を打っているのだ。

 

ボンヤリ頭で蒲団から抜け、弁当メニューを考えるが一向に湧いてこない。まったく駄目・・・浮かばない。諦めて、台所で考えることにした。食材を見ながら・・・・。

 で、目についた食材が「チキン」と云う次第。チキンハートのオイラにはピッタリこんの食材だが、さて、これをどういう風にするか?だ。唐揚げ、大根との炊き合わせ、ソテー・・・などを思い浮かべた末、チキンソテーに落ち着いた。シメジとネギをお供にする。

魚は?どうする・・・、鮭、三パック980円の片割れの赤魚・鯖の味噌漬けもある。思案六方の末、鯖味噌漬けを洗って「サバ味噌煮」に仕立てなおすことにした。生姜を入れた味噌出汁で煮た。

                                 

忘れていたが、昨夜の帰りに横浜駅の地下街でシューマイを買ったのだ。それを温めることにした。それからブロッコリを茹で、刻みネギ入りの卵焼きを作ってお仕舞にした。これ以上作っても弁当に収まらない。

                        

かくして、二人分の弁当が無事に完成。鯖味噌煮は、味が濃~い濃すぎた。失敗は成長・成功への道標、こんな程度でへたこれてはチキンハート兄さんの名が廃る。明日は頑張るぞ

                          

 

昨日は、午後から外出してセミナーに参加。幾つになっても、お弁当と、お勉強は大事なんだよと。それが四時半に終了し、横浜は上大岡に向かった。日本橋から都営地下鉄乗り入れの京浜急行電車で一本で行ける。

上大岡駅前の高層マンションに、KISHIMOTO大兄が住んでおり、大兄に会うのが目的。年末に池袋・野武士で忘年会と称した飲み会以来である。正月中に会いたかったが、如月をすぎ弥生三月になってしまった。

大兄は、駅に近いお店の席を取ってスタンバイしてくれていた。久々にの挨拶もそこそこに、燗酒を頂いた。低迷中とのゴルフの話は短く切り上げ(配慮だねぇ~)、共通の上司であった某氏の動向などを肴に懇談した。

日本酒からハイボールに切り替わった辺りで、引退前の社長家業だった時のこと、引退を決めた前後のことなどをお聞きする。明日は我が身だからねぇ~。吾輩の場合は、大兄のようなハッピーリタイとはいかぬが、アンハッピーであれなんであれ、何れはサヨナラさよなら、サヨ~ォ~ナーラは人生の摂理。

為になる話を聞かせていただき、酒肴まで馳走になり、挙句お土産まで頂戴して帰路に着くとは・・・・。何時もながら申し訳ない、感謝・深謝の昨夜であった。お会いすると、何時も激励と温もりを下さる。だらしない後輩と云うのもいいね・・・・・。

 

 

 

 

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コバンザメ商法?

2018-03-06 | Weblog

3/6(火) 今日はいい天気になった。昨日は昼前から雨、夜になっても雨がつづいた。その雨の中を七時半頃に「ローカーボ」へと・・・。

昨日の午後、佐賀のNAKAMURA社長からのショートメールが届いた。「今日、上京します。コラボ事業のことで相談できれば、ついてはローカーボで会いましょう」とのことだった。そんな次第だ。

仕事のことはさっぱりな小生に、なんであろうかと出向いた。客の姿はNAKAMURA大将だけで、ハイボールを飲んでいた。その横に腰を落ち着けて、先ずはハイボールを・・・・・。

飲みながら、そのコラボ事業とやらの内容を聞かせてもらった。要約すると、いろんなイベントや展覧会があるが、その応募作品の殆どは終了後に廃棄されている。その作品?を、主催団体とコラボしてアーカイブ化し、そのデータベースを販売する案であった。NAKAMURAさんとこのシステムを応用して、うちともコラボして実現できないか?とのことだった。

どれだけの需要があるのか?、だが、これはリサーチするしかないだろう。そんなことを返した。大袈裟にリサーチと言ったが、身近に居る人間からでもそのニーズは聴ける。NAKAさんが言った内容を、先ずは、我が家の娘たちからヒヤリングしてみることにしよう・・・・。家族が多いと、こんな時には役立つ。

一種のコバンザメ商法のような感もするが、ブルーオーシャンは何処にあるのか、これがわかんない。或いはビジネスとしての可能性を秘めているかもしれない。NAKAさんは、十年以上前からこのビジネス構想を温めてきたそうだ。

二時間ほど、斯様に真面目な会話に終始した酒場を出ると、相変わらず外は雨。雨の中を駅へと歩き、二軒目には目もくれず帰宅したのであった。こんな夜もあっていいさ・・・・・。

 

今朝の目覚めは五時半であった。弁当メニューは、珍しく正気な夜だだった昨晩に決めた。後は淡々と進めるだけだ。

今朝のメニューは「肉じゃが」「ホイコーロ」の東西横綱と、鮭の味噌漬け焼きに、出汁巻卵と云う幕内である。味噌漬けは、なんと言っても三パック980円と云う、序二段クラス。安さだけが取り柄のフンドシ担ぎだ。

                           

ホイコーロは先日とは異なり、全て手作りだ。肉じゃがは、定番の一品と云える。卵焼きは、ホタテ&ネギ入りの出汁巻にした。どれもこれも手慣れた?とも言えそうな品ばかり・・・・。

                    

かくして出来上がったが。味見をすると「ホイコーロ」がいまいち味が整っていない。家人に論評してもらったら「甜面醤が足りないんじゃない」とのこと。オイラの脳味噌が足りんとは言わなかった!。因みに、今日も一つ弁当である。

                           

 

 

 

 

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天気晴朗なれど・・・

2018-03-05 | Weblog

3/5(月) 昨日の日曜日、午前中の所要を済ませた後は暇になった。暖かい、春たけなわの陽気で、北国の吹雪などは夢のようにしか思えない。なれど、北国の友人たちの顔を思い浮かべ、そのご苦労を傷むのであった。

暇なOYAJIは、平和島に遊ぶことにした。前夜、店に立ち寄った折に「行くぞ!」と言っていた奈加野のオヤジと、現地で落ち合うつもりであったが。後半戦からの参戦であったが、一向に芽が目がでない。

強風が吹き荒れ、各レースは荒れ模様がつづいた。面白いのだが、目がこないこっちは面白くない。最終レースを待たず、引き揚げることにした。奈加野のOYAJIの姿を探したが見当たらない、携帯に電話を入れると「家に居るよ」との応えが・・・・。早く言ってよ!、だ。俺も、今日は乗り気じゃなかったんだ。行くと言うから、先輩のお供の心算で来たんだ。

                  

                          競艇場の芝生に河津桜が!

生暖かく、一日中風が強かった。日本海じゃないが、天気晴朗なれど波高し、の競艇場であった。私の財布も波高し、なれど心穏やかに紳士は引き上げるのみだ。この日の競馬レースも一つだけ買ってみた。こっちは予想通りの結果であったが、雀の涙の配当であった。

博才は無いし、博打はせぬをモットーにしてきたが、競馬・競艇は大人の嗜み、と気分転換程度に遊べる齢になったと云うこと?、にしよう。人生そのものが博打のような連続だった。それを思えば可愛いものかも・・・・。

大井町線での帰り、東京工大の在る大岡山駅で降りた。ここから平町の行き付けの床屋まで歩くことにした。空は未だ明るかった。このルートは、平町に住んでいた三十年余も前によく歩いた。懐かしき大岡山の商店街は、さほど変っていない。家族で時折来た中華料理店は既にない。昔に利用した蕎麦屋はまだ続いていたが、八百屋、店主が女と逃げた洗濯やなどの看板は無かった。

 

今朝の弁当はロールパンのサンド。リビングのテーブル上に、誰が持ってきたか不明のロールパンの袋があった。このロールパンを使うことにしたのだ。具材は、家人が昨晩に揚げた「メンチカツ」と、スクランブル卵、レタスにキャベツと至ってシンプルである。

長女の弁当は不要なので、一人分でいいのだが、己の朝飯用に二個も作った。食べたい訳じゃないが、作るのが好きなので致し方ないのだ。

                     

然し、このロールパン・サンドは美味くないねぇ~。牛乳に浸して食べるのが一番いいね。

明日も一つ弁当だが、さて、何にするか・・・・・。

 

 

 

 

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五目チラシとハンバーグ

2018-03-02 | Weblog

3/2(金) 週末を迎えた、一週間の早やさを実感しながら弁当作りとなった。今日のご飯は「五目チラシ」にしたが、なんのことはないミツカンの五目チラシの素があったので、これを使っただけのことだ。焼き鮭をちらしたが、今回のチラシ寿しの素はちょっと酢が強かった。ご飯が少ないのか?もしれないが。

菜の方は、「ハンバーグ」を焼き、豚バラのタマネギとキャベツの炒め物」「マグロとアボガドの和え物」、卵はオムレツ風焼である。寿司用にご飯を炊いたので、これに入れた昆布を千切りにした胡麻炒めが少々。

                        

豚バラ炒めには、豆板醤や甜面醤を使用。五目チラシには錦糸卵が面倒なので海苔を揉んで散らした。何れも、出来栄えは△である。昨夜の酒が利いて、味覚の方が狂っているようだ。

                         

今朝の弁当は、こんなところである。昨夜も遅い帰宅ながら、東急ストアにてマグロやアボガド、豚ばら肉等を買っての帰宅。東急ストアに寄るのが日課のようになっている。

                      

 

昨夕、サリーマン時代の上司であったKIYOTAさんが人形町に来てくれた。二時間休を取ったと云う、何時もながらのコンビTAKAHASHI/RYOUJIならぬ不良冶がお供である。五時に人形町駅待ち合わせだったが、KIYOTA老はなにをとち狂ったのか、反対方向に向かっていたそうで30分の遅刻。

その間、駅そばの「ちょっぷく」で二人で飲みながら待つことになった。「ちょっぷく」も店を開けたばかりで、口開け客となった。漸く到着した老を座らせて、ちょっと一杯が、二杯三杯と重ねてから、お目当ての「高松」蕎麦店へと。高松でひと騒ぎし、蕎麦を手繰ってからお開きに。

老は結城の田舎に住んでいるので、帰りが早いのだ。尤も陽気が良くなる四月になれば、軽井沢で仙人暮らしになるのだが。優雅な方なのだ。今年は是非、軽井沢へと誘われた。

二人をタクシーに見送った後、春風に吹かれながら「ローカーボ」へ。ここでパトロール隊のHOYA兄いとマッチャンに遭遇した。と云うよりは、我等が停車場なので、余所に行かない夜はここで出会うことが多々さ。ここからが大変だった・・・・。

                 

ローカーボを後にしてから「セイジュ」を覗くと客の姿なし。然らばと三人してご入店と相成った。客も居なけれや淋しいだろうと、カラオケ合戦でひと騒ぎ。兄いは仕事用のヘルメットを被ってふざけているし、マッチャンは俺の勇姿を撮影して喜んでいる。

                 

騒ぎ疲れた頃に店を閉める時間が、俺たちもこのまま帰ればいいものを、まだ灯りが点いていた「ちょっぷく」に寄った。客の姿は二三人か、ここでまたしてもワインなんぞを頂き、とうとう最後の客になっちまった。口開け客と、仕舞客の両方を遣る羽目になるとは・・・・。

ご帰還が零時過ぎとなったのは必定である・・・・・。ちょっと長いねぇ~。

 

 

 

 

 

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案ずるほどのことなし・・・

2018-03-01 | Weblog

3/1(木) 愈々、弥生三月。今朝は春嵐が吹き荒れるとの予報だったが、東京は平穏?だった。私にはそう思える天候であった。想定外は、交通が乱れると考えた長女が、何時もよりかなり早い時間に来たことだ。弁当を受け取りに・・・・。

その時刻は飯が炊きあがる寸前で、最後の卵焼きに取り掛かっていなかった。暫し待て、後五分だと言って待たせた。厚焼き玉子の予定が、スクランブル卵になった。春嵐の予報で混乱したのは、我が家の弁当事情、その程度であった。

 

昨夕は、新宿で友人との懇談であった。取引のある某社の監査役WATANABEさんと、二十代半ばの頃に同じ職場に居たAZAMIさんの三人であった。お互い旧知の間柄で年に一度ぐらいだが、他のメンバーも加わって懇談する。サラリーマン時代の友人だが、私が今の仕事に就いてからは何かと仕事でお世話になった関係者である。色んな局面で、未だに友人の有難さを実感するが、ここのところそれが多い。

監査役をしているNABEさんところの社史(七十年史の直近十年史になるが)を受託することになっている。が、これが相手先の事情で初動が悪かった。NABEさんに相談すると、直ぐに動いてくれて状況が好転した。そんな連絡を取り合っている内に、久々に一杯やろうとなった次第。

飲むほどに昔語りに花が咲き、それぞれの時代を人を懐かしみながら飲んだん。サラリーマン時代の面々と会う酒は、かくなるものであろうが・・・・。

二次会は無しなので、帰宅は十時前と早かった。またしても、駅前のスーパーで弁当食材を買ってからの帰宅。どうやら日課になりそうな気配だ。

早い帰宅なので、暇にあかせて翌朝の弁当メニューを考えてからの就寝。夜中の三時過ぎに目覚めるも、なんとかもう一度眠りに就くことができた。念のために、六時に目覚ましをセットした。その甲斐あって、今度は時計のベル音で目覚めた。

 

今日のメニューは「チンジャオロース」である。牛肉の塊、と言っても200gだが。これに紹興酒、挽肉などを前夜に買っておいた。牛肉&ピーマンの細切や筍、調味料(オイスターソース・醤油・味醂・刻み生姜・ニンニク・塩胡椒・片栗粉etc)を整えた。何時もなら目分量で適当にやるのだが、今日は計りながらだった。

                        

こうしてメインの「チンジャオロース」ができた。お魚は「蛸」にした。タコのピリ辛炒めである。ぶつ切りにしたタコを、唐辛子を焦したオリーブ油で炒める。味付けは、塩胡椒と酒&醤油をひと振りするだけの簡単さだ。

煮物は「茎ワカメ」と薄揚げの炊き合わせと云うところか。昨夜のうちにボウルに入れたワカメを一晩塩抜き。これを刻んで素揚げと一緒に煮るだけのことだ。味付けは、根コブ出汁と砂糖・醤油のシンプルさだ。

                               

最後の厚焼き卵に入る前に、長女が登場した。急かされて、熱したフライパンに卵を落とし入れてかき混ぜる。たったそれだけの卵料理?、料理とは云えんな。弁当写真を撮る暇もなく、持ち去って行った。

                        

と云うことで、春嵐予報の朝の弁当が出来上がったのだ。

 

 

 

 

 

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