オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

気忙しく・・・

2018-05-16 | Weblog

5/16(水) 先週の土曜・日曜と会社にでた。最近にしては珍しいことであるが、自分で作るべくの資料があった。

土曜日の20時ごろまで要し、あらかたの手筈を整えた。そして会社を出、「ローカーボ」に寄ってハイボールを飲んだ。翌、日曜日は雲行きが怪しい中を昼に出社すると、AOKIとTAKIYAが出勤していた。

午後から雨になったが、この雨が競馬のメインレースにどう影響するかが気掛かりだった。そんなことを気にしながら前日のつづいてパソコンに向かっていた。スマホで競馬中継を見た・・・、女神が微笑むことはなかった。

19時を過ぎ、雨脚は強くなるばかりだ。漸く資料が整った・・・と思ったら 、そのデータを保存しなくて消してしまった。なんなんだ。チーズはどこへ行った?じゃねぇ あのデーは何処へ?と、消えてしまった・・・。すっかり疲れ果て、雨の中、会社を後にしたのである。

肩は凝る、頭はボヤケたまま、すごすごと暗い夜道を傘をさして歩む。灯りがともっていた「ローカーボ」のドアを引いた。マスターしかいない店で、ハイボールを流し込むも疲れは癒えなかった。

無駄な時間を過ごしてしまったのか?そんな思いも過ぎる・・・・。気を取り直すしかないが、この喪失感と虚しさは私の周りを漂ったままであった。誰にも云えぬ無念と、疲れを背負ったまま家路につくしかなかった。

それでも月曜日を迎えると気分をかえ、もう一度資料作りに入った。今度は早い、このボケ頭でも一度は頭の中に入っている。滓ぐらいは残っているのだから・・・・。

と、まあ、斯様な出来事がありBLOGを記す気がおきない、三日であった。許されよ、我が全国の、否、世界の、愛すべき読者諸兄姉よ

 

てな馬鹿なことを言ってるOYAJIですが、弁当の方だけは連日せっせと作り、勤めを果たしておりました。日々のどうでもいい、話はさておき月曜日から今朝までの弁当ラインナップ写真を載せます。

5月14日(月) [冷凍コロッケ揚げ」「茄子&茗荷の味噌炒め」「牛タン焼」「鯖文化干し」におまけで、従姉が送ってくれた破竹で「筍すし」を少し作ってみた。

             

5月15日(火)は、「牛のプルコギ」「ブリ照り焼き」「絹ザヤの卵とじ」「胡瓜&茗荷&若布の酢物」となった。因みに、長女は「プルコギ丼」である。

                     

 

そして今朝のことになるが、昨晩の帰りは21時半と早かった。と云うのも、後輩のYOSHINO君が五時半過ぎに人形町に来た。一月ぶりになろうか。ハイボールから始まり、焼酎・ワインと進んだところで、YAMAKEN店長が日本酒のグラスを手にやってきた・・・これが一番ヤバイ

 「飲んでみなよ、チョ~旨いから」と、差し出した。そこまで言われちゃい否応もない。飲んでみると、確かに飲みやすいし、俺のようにスッキリとした味だった。

『いいねぇ~』と云うと、今度は冷えた一升瓶を抱えて戻ってきた。空いた白ワインの大きいグラスに「でけぇぐらすだな~」とか言いながら、たっぷりと注いだ。三人で馬鹿話をしながら、暫し日本酒談義となったのである。

二時間半ほど飲み、昔話やあの人、この人のことを懐かしみ且つ、偲んだのであった。日本酒を楽しんだので、YAMAちゃんの「セイジュに客が居なかったら唄いに行くから、呼んでよ」のひと言も無視し、電車の乗ったのである。困るのは日本酒を飲った後は、酒臭い。それが自分で分るぐらいだから・・・人様にゃご迷惑であろうと気を使うのだ。メトロはいいが、東横線が込み合うのだ。

 

てなことで、土曜日からのストレスを発散した今朝は、五時前に目覚めた。蒲団の中で愚図愚図していたが・・・・暇なのでCDで懐かしい(俺じゃないぜ、世のご老体さま達だ)演歌のギター曲を暫し聞いて過ごした。

別れの一本杉~哀愁列車・異国の丘・山茶花の宿・柿の木坂の家~秀逸は「国境の町」とかになるか。朝からこれじゃ、演歌弁当になっちまうか?。

今日は「チンジャオロース」「カボチャ煮」「ツナと新タマネギのマヨ和え」「塩秋刀魚焼」最後に三っか振りの「卵焼き」であった。番外に美味しい味噌汁となったが、義母のためである。

          

    

 

 

 

 

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飯作り疲れ?

2018-05-11 | Weblog

5/11(金) 昨夜は「高松」にてUSUI老のお相手から、高松で用意して貰った摘みを提げて、一緒に「セイジュ」へと移動。

セイジュ会にはメンバー二名の欠席があったが、集まったメンバーでカウンターが埋まった。

ちょっと遅れての参加だったので、着くなりカラオケのオンパレード。一番の若手がIMAEの兄さんで三十路を幾つか過ぎたばかjり。最長老が老で喜寿である。半分以下の年齢と、昭和の遺物のような老の唄が入り混じった次第。

        

HOYA兄いが気を利かせたのであろう、昭和演歌が限りなくつづいた。気に入らぬ歌が始まると、誰が唄っていようと演奏中止だ。お仕事も御歳も違えど気心の知れた同志、遠慮もなければ金もない?。

大いに盛り上がった一夜であるが、皆さんよりはひと足早く失礼した。「ちょっぷく」で一休みの白ワインを飲んでからの帰宅であった。23時過ぎであったろうか。

今日は会社の全体会議、そしてランチ会の開催日である。何時もより一時間ほど早く自宅を出た。が、その前に日課のお弁当作りである。

ミツカンの「十目チラシずし」と云うレトルトパックが目に付いたので、急遽「ちらしずし」にする。菜の方は「小松菜の煮浸し」「冷凍ギンダラの粕漬け焼き」「シューマイ」「「牛蒡と茄子・オクラの天麩羅」である。

                 

錦糸卵作りで余った溶き卵を、薄い卵焼きにしたのは御愛嬌だ。先日も五目チラシであったが、今日の錦糸卵の方が細く仕上がった。

                        

出社するなり、昨夕に仕込んだカレーに火を入れる。朝のミーティング後、速やかにランチ会の準備にとっかかった。

本日のメインは「カツカレー」、「野菜スープ」に「サラダ」は定番であるが、「胡瓜&タコの酢物」を追加した。

カレーは前夜から仕込んでも、トンカツを揚げるの直前である。助手役のYOSHIOにあれこれ指示し、中華鍋にたっぷりと油を注ぐ。二十数枚のカツを揚げると、流石に油の方がへたってきた。

火に油ならぬ、ナベに油を注ぎ足しても油の劣化は避けられぬ。おまけに、揚げ滓取りがないのだ。苦慮の挙句、小ザルで揚げ滓を取りながらの揚げ物となった。

開始予定の十二時半、予定どおりにランチ会はスタートした。ランチを喰うのが目的じゃないぜ、ランチを肴に会話が主題だ。そんなことを云う俺様だが、カレーに旨味が足りなかった・・・・ようだ。俺の話も旨味不足か…、反省ばかりだね。

ジャケットを着、長袖シャツのままで調理&揚げ物であった。これじゃ着てるものが台無しだが・・・、エプロンや前掛けもしない、水も油も散らさない名人は背広姿で料理を作るのであった・・・。本当にオバカだねぇ~。

飯作りも楽じゃないぜ・・・・、草臥れた

 

 

 

 

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カツカレー

2018-05-10 | Weblog

5/10(木) 昨夜、酒場での滞空時間は短かった。七時半頃に「ローカーボ」に顔を出すと、マッチャンが独り背を丸めて飲んでいた。隣に腰を下ろして、前夜や前々夜の振り返りと反省(マッチャンがネッ)で刻を過ごした。暫くするとHOYA兄いとNAKAMURA大将も現れて、パトロール隊揃い踏みとなった。

NAKAさんは珍しく仕事に勤しみ「疲れた~」と言う、HOYA兄いは常と変らず現場からデスク仕事と八面六臂活躍、俺様だけは常と変らず暇こいている・・・・。イヤイヤもう一人暇そうなのが・・・、誰とは云へないが。

この夜は、早くに引き上げるつもりであった。帰宅してから、ちょっとやりたいことがあったので。ハイボールを二杯と三分の一(マッチャンのお裾分け)で切り上げ『お先に失礼』と席を立った次第。席を後にすること“疾風の如し”である。どうせ今夜は、月例「セイジュ会」だからね・・・・またまた揃い踏みなのだ。

学芸大学駅に着いたのは二十二時丁度だった。駅前の東急ストアに入り食材を見繕った。ちょっとやりたいこと、と言うのは、明日のランチ会に備えて「カツカレー」を作ることにしていた。いわば予習、味のテストと云う処だ。なににつけてもいい加減、アバウト大明神の小生であるが、喰うことにかけては実にマメなのだ。

明日の社内ランチ会では「カツカレー」と云うことに落ち着いた。カレーなら前夜に仕込める、簡単というのが味噌だが、カツを載せるというところに意味がある。当社の決算は七月、余すところ三ヶ月。第四コ―ナーを廻りゴールを目指してまっしぐらというのが残り僅かな三ヶ月さ。で、ねっ「カツカレー喰って勝て」ていう、いじましき洒落なんだ。絶好調の好売上、なんてことならこんな発想は浮かばない。貧乏オヤジのいじましさ、貧困な発想をお笑い下され。

そんな分けで、昨晩は予習をしようと決めたのだ。カレーなんで今夜から仕込む、だから昨夜しかない。そもそもカレーは好きじゃないんだ。タイカレーは作るけど、百姓も貧乏人も喜ぶと聞く、カレーだけは昔から苦手、というより嫌いな食べ物なんだ。それを作ろうと云うのだから、清水の舞台かバンジージャンプさ。

カレールーは市販品だ。数多並んだ棚から適当に(パッケージの見た目で)選び、トンカツ用のカット豚肉、オクラ・茄子など買い込んで帰宅した。トンカツを揚げるの今朝でいい。野菜を煮込み、ルーを溶かして、あれこれと調味料を加えた。味見をしながら…だが、味が落ち着かない。

今朝になって家人に味見をさせたら「シオッケがきついね」とのご宣託だった。『今日は、カツカレー弁当だけいいか?』とご承認を頂いた。新牛蒡があったので「牛蒡&人参の掻揚げ」「牛蒡と人参のキンピラ」を作ることにした。そして「タコ炒め」とつづき、最後にトンカツを揚げた。これほんまのカツアゲだぜ

                

さて、今夜のカレー仕込みで予習の成果は上がるのであろうか・・・、神ならぬ喰ったものだけが知る。

                       

 

 

 

 

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五目チラシ

2018-05-09 | Weblog

5/9(水) 今日は瓶詰の五目チラシの素を使ったご飯にした。以前から食品庫の中に在った物で、出番が廻ってこずにいたのだ。前夜の酒と、零時前に喰った日高屋の野菜タンメンの所為で胃も腸も草臥れていた。そんな状況なので酢飯となったのか?。

菜の方も手抜きし「鮭&秋刀魚焼き」と「ジャーマンポテト」「冷凍シューマイ」「ホウレンソウの卵炒め」と、お手軽コースである。一応錦糸卵は作った。

                  

弁当箱に詰め、残りは義母のご飯になるので、味噌汁を追加した。以上で朝の台所から撤収である。自分は朝飯を食す気もおきず、味噌汁一杯で済ませた。

                      

月曜日も零時過ぎにラーメンを喰っているので、二夜連続で不良喰いとなった。こんなことをするのも、アルコールで脳内が麻痺している所為である。反省をする元気もない・・・・・。

                        

昨夜は、ローカーボからセイジュへ。最後にちょっぷくで白ワイン、だけならいいのだが、またしても日本酒が出たのだ。学芸大学駅に着いたのは23時30分。何を血迷ったのか日高屋に入って居た次第・・・・。

 

 

 

 

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古賀武夫伝

2018-05-08 | Weblog

5/8(火) 昨夜は久々の人形町とは云え、些か暴飲暴食だった。今朝になって反省だが、未だに胃の方がもたれている有様だ。19時過ぎに「こま吉」にて、HOYA兄いとNAKAMURA大将の三人が一二分の時間差で揃い踏み。何時ものホッピーから始まった。

NAKAURA大将は、この時間に佐賀から到着したばかりと言う。HOYA兄いは午前中は現場に出動、午後になってから事務所に戻ったとのこと。夫々に多忙の様子で何よりだが、小生に至っては暇を持て余しながらも居眠りもできず時を過ごしている。

そんな中、福岡の出版社「石風社」から古賀武夫伝の表紙デザインの最終版が届いた。幾つかの案があったが、一番オーソドックなデザインを押した。最初の案に今一つ乗れず、当社のデザイナーYOSHIOに数案作ってもらい、その中からデフォルメしたものになった。

古賀武夫という稀有な存在、そして愚直なまでに真直ぐに生きた男だからこそ、奇をてらった表紙は避けたかった。最終版は、その古賀武夫の内面を表している。本文は大いにハシャギ、奇天烈な数々が紹介されているからこそ、表紙では彼の内面を出したかった。作者のHASHIMOT氏も、これなら許容頂けると思うが・・・・。

                            

                            表紙はカラー、下部に帯が付く

完成は五月の下旬。地球市民の会・第35回総会と併せて出版記念祝賀会が予定されている日程ギリギリとなりそうだが・・・・。大勢の人の協力、作者の橋本和喜氏の真摯な努力により完成を待つばかりの段階になった。価格は本の内容の濃さから2700円(税別)と、高めであるが満足いただけるであろう。

これまで、地球市民の会に、とりわけ東京の会にご協力を頂いた皆さまには、礼状を添えて贈呈させて頂く所存です。

 

と云うことで、昨晩のことに話を戻すが。ホッピーを三杯飲んだ「こま吉」から、直ぐの「ローカーボ」へと移動した。ここでは専らハイボールである。遅れてマッチャン不動産も加わり座が賑やかになった。NAKAMURA大将は旅疲れか、先に席を発った。佐賀土産だと、ご飯の友「のりふりかけ」を皆にくれた。何時も何かを頂くが、今回は軽いものにしたとのことである。

                      

                         「 こま吉 」            「 ローカーボ 」

「ローカーボ」から小雨の中を「ちょっぷく」へと渡ったが、途中に在る「セイジュ」の灯は点いてなかった。ママさんも高齢なので、体調が心配される。これまで二度、骨折で入院しているのだから・・・・。先ほど、今月のセイジュ会の日程を、今週の木曜日と決めたばかりなのだ。

 そんなことで「ちょっぷく」で白ワインで暫し歓談。いざ帰ろうという段になり、店長のYAMAちゃんが客と歓談している処を通ると・・・そのまま拉致され「座って飲んでけよ」となった。嫌とは云えない微妙な性格の小生である。嫌いな酒をまたしても飲む破目に陥ったのである。

その席には三人の客、そして店長が立ったまま2㍑のペットボトル手に、注いでいた。何かと思いきや、日本酒、それも樽酒だった。「樽に入れたままだと木の香りが強くなりすぎる。だから移したんだ飲めよ」と、グラスにドボドボ注ぎやがる。こっちゃ十分頂いてきてるんだよ・・・・、とは思いながら、折角のご厚意だ・・・二三バイ飲む。

と、だんだんと調子が上がり、その席に居た客とあれこれ・・・。訊くと、一人はアサヒビールで、もう一人の女性はサントリーの営業だった。『なんだ、呉越同舟か』まではいいのだが、ここからが酔っ払いOYAJIの本領発揮さ。酷いもんだったよ。

その一部だけを洩らすと『きみたちは、世界中の酒と提携したり、買収したりで売ってるよねぇ。それはそれとしてだ、外国の或いは他所の酒を売るのはその国の地域の文化を売っているに等しいいんだぜ。それを理解して営業してるんかい?』なんてことを、くどくど喋っちまった・・・・気がする。酔っ払いオヤジはやだねぇ~。

それもこれもYAMAケンが俺に飲ませた所為だが・・・。帰宅が零時をすぎたのは云うまでもない。お蔭で、今日は体調が思わしくないのであります。とは云いながら、今夜も出動となりますが。

 

お弁当の方は、手早くいきました。サクサクと飯を炊き、「チキンとインゲン&タマネギのソテー」「茄子&茗荷の味噌炒め」「鮭焼き」「竹輪の胡瓜詰」「、最後に卵焼きと云う塩梅で締め括ったのであります。

                   

                 バックに「のりふりかけ」が・・・

そうそう、NAKAMURA大将のお土産の「のりふりかけ」を早速使わせていただいた。ありがとうございます

                        

 

 

 

 

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海老フライ

2018-05-07 | Weblog

5/7(月) 今朝は、久々に弁当を作った。とは云いながら、飯作りはこの長い休暇中も連日であったので新鮮さは感じない。晩飯が朝の弁当に転じただけのことだ。

今日の弁当でメインにしたのは「エビフライ」である。昨晩エビチリを作った時に、弁当用に八匹ほど小さ目のエビを取置いた次第。それに、これも昨夜の残りものだが「マグロ&タコ」を味付けしてソテーした。

                         

野菜系は煮物だが、魚系が多いので鶏肉を少々加えて、大根・人参・蒟蒻と一緒に旨煮風にした。帰省土産に買ってきた蒲鉾を切り、フライで残った溶き卵・小麦粉をチジミ風に焼いた。

                       

以上が、十数日ぶりに登場した弁当である。新鮮味のないメニュ―構成だが、古びたオヤジの作る菜だ致し方あるまい。

                  

今日のランチタイム(と云うよりはコーヒータイム)に、今週の金曜日に予定されている、社内での「ランチ会」のメニューをどうするか?になった。

この時間はYPSHIOと一緒なので、競馬とボートの話からはじまるのだが・・・・。何れも芽がでない話題ながら、次がある、諦めたらお仕舞だと鼓舞するだけでだが。そんな話に次いで、ランチ会の話題に・・・・。

「今週ですよ、何を作るんですか?」と訊く。『それが難題、ボートや競馬と同じで解がないんだよYOSHIO君』と応じながら、ああでもないこうでもないと、YOSHIOはご託を並べるのを聞いた。

「カツカレーは?、マーボトーフ?、この前TVの県民ショーでみた鶏手羽揚げが美味そうだった」と、手前が喰いたいものを並べやがる。

適当に相槌を打ちながら、なにがいいのかと思案六方、暗中模索がつづく・・・、も結論はお預け。本当に何が良いやら。台所事情(本当の台所と、予算だ)や、調理器具、火力、食器と制約がある。

一番いいのは、前夜に仕込みができ、当日は飯を炊き、サラダとスープを作ってお仕舞がベストなのだ。もう暫らく、とは云え二・三日で結論・方針を出さなければならない。

家に居ても、会社に出ても、飯作りだけが最大の仕事とは・・・情けないのか、幸せなのか?。飯作りOYAJIの悩みは尽きぬ。海よりも深く、山よりも高く・・・・だぜ

 

長~い休も開け、月も改まって久々の出社日だ。人形町の主たちも満を持し、手ぐすねを引いていることだろう。今夜は何処からスタートとなるか?。かと言って、程々に・・・・。

 

 

 

 

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十日ぶりに・・・

2018-05-05 | Weblog

5/5(土) 九日間と云う、なが~い帰郷から昨日、東京に戻った。そして今日は、十日ぶりに会社に来た。連休の最中で、勿論スタッフの姿はない。私の場合、なんと十一連休と云うことになるのだが、暇オジャジの典型かな・・・・。

郷里では、畑の草刈に晩飯つくりという定番で過ごすのだが、初夏になったのでタマネギを収穫し、夏野菜の苗を少し植え、種を播いた。

                          

その前に土を耕す作業があるのだが、慣れぬ鍬を振るだけで草臥れ果て、畑や庭の草を取るだけで腰が痛くなるわと、体力の衰えは隠しきれない。

                        

尤も、休暇が長かったので一日に一作業、これでなんとか乗り切れた。飯作りは日々だが、これも次から次へと作りつでけて「さ~喰ってくれ」と云う処だが老母の食は細いを通り越して僅かなのだか、そのくせ、甘いものやメロンには目がない。

従弟や従姉に来て貰い、連日、飯攻めにした次第・・・・。

                   

丁度今時分は、日本ミツバチが巣別れるする時期なのだ。別れた蜂を捕まえて別に構えてある巣に取り込むべく、蜂飼いの親戚連中も待ち構えているが・・・。何時別れるかは神ならぬ蜂のみぞ知るだ。

そんな中、従弟が庭先に置いた巣箱から分蜂が始まったのに行き合わせた。携帯を呼んでも出ない、呼びに走りと大わらわであった。

                            

畑に植えた暖地サクランボが、初めて小さな小さな実を少し付けていた。黄色から赤みがかろうと云う段階だった。口に入れると酸っぱいながらもサクランボであった。山桜桃ぐらいの小さな実であった。

                        

そして三日後、小さな実は殆ど無くなっていた。想定どおりに鳥様がやってきたのだ。熟れ頃、食べごろを待っていたかのようで、お見事と云うしかない。

                        

裏年であろう、今年は小夏ミカンの稔りが少ない。花をびっしりと付けた樹から、その少ない小夏を収穫した。びっしりの花だ。今年は豊作になりそうだ。残念なのは、他人様に差し上げるような立派なものでないことだ・・・・。

                        

柚子の花が少ない。枇杷の実も少ないようだ。梅の木は鈴なりに実を付けている。こうして、果樹を見るのは畑で過ごす時間の愉しみである。時間が経つのは気にならないが・・・、ややもすると夕飯作りに入る時間が・・・となる。

                  

                               小梅

鮎の遡上が多いとか、六月の漁解禁が待ち遠しいのは鮎師たちだ。丁度その頃は田圃仕事もひと段落しているはずだ。こっちは、有難くいただくのみである。

                     

                            雨の後で、水量が多い

そんな日々で鋭気を養った。明後日からは、いざ夏の陣がスタートする。心して・・・・望まん。

 

 

 

 

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