オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

コロッケ&トマト煮

2018-06-15 | Weblog

6/15(金) 週末の金曜日は、雨となった。梅雨に入っている、雨は降ってあたりまえか・・・・。

昨夕、情報誌の発行でお世話になったきた某社を訪問。常務に面会し、御礼など延べた後、懇談であった。後輩のISHI君も同席して、三人で浜松町の酒場へ。尤も、常務との面会の手筈などは彼に依頼したが、店の手配は常務がしてくれたそうな。

この情報誌の案件は、今月で終わった。竜頭蛇尾の終わり方だったのが残念であり、WEBマガジンでの継続などについてジャブしたが・・・・。情報誌のメインコーナー「いまを生きる」の執筆を担当したのはTUGAWAさんである。これまでの掲載を纏め、一冊の本にして出版したい旨の話をし、「いいことですね」と、了解を頂いた。

懇談では、お互いのプロフィールや、実家の整理など多岐にわたった。常務は単身赴任十六年とのことで、酒・メシのことから弁当作りにまで及んだ。

終了した情報誌の発端はこの会社で副社長を務めていたWAKABAYASHIさんだった。彼と二人で企画を練り、スタートした。引退して久しい彼だが、井戸を掘った人のことを忘れることはない。

五時半から始まった懇談がお開きになったのは、午後八時過ぎ。直帰するには早すぎる時間だ。またしても人形町に舞い戻り「ローカーボ」に向かったのであった。

ローカーボの客はNAKAMURA王子が独りだった。王子の隣に腰を下ろし、雑談をしながらハイボールを飲む。三杯ほど飲り、切り上げようかとの頃合いに、マスターの客引きで若い客が二人現れた。訊くと、滋賀から来た薬品メーカーの営業マンであった。26歳と29歳の若者で、若い方は入社三週間目とのことだった。

『うちにも近江の出が二人いるよ。ここの客にも近江の煩い小僧が来るけど、滋賀はウルサイのが多いな』と、私の方が、煩くてうざいオヤジを演じていたのであった。人形町の歴史などをマスターと二人で披露しながら、好感のもてる若者に檄を飛ばしたのである。勿論、酒は奢りましたよ一杯づつだったが。

斯様な次第で、昨夜の帰宅は・・・・。学芸大学着が22時45分と、前夜よりも15分早い。計ったように15分づつ早くなっていた。この伝なら、今夜は22時30分かな?。そうなってほしいねぇ~、明日は母の様子と今後の対応のために午前便で帰省するのだから・・・・。

 

漸く弁当の話に辿りつけるが、今朝の弁当は、昨日ボロクソのように書いた冷凍の「コロッケ揚げ」が登場。メインは「鶏肉のトマト煮」であるが、他には卵焼きがちょろっとあるだけなので、コロッケとトマト煮が東西の綱を張ることになった次第。

              

そして、残りご飯で炒飯を作ったが、白飯党の家人の為に米を磨ぎ炊飯もしたのである。味噌汁の具は、揚げ・タマネギ・小松菜にソーメンを加えた代物にした。かくして今朝も、弁当は立派に?出来上がったのである。

                  

 

余談ながら、昨日の佐賀新聞に「地球を翔けた異風者 古賀武夫伝」の取材記事が掲載された。実行委員長のDAIJI氏と執筆のHASHIMOTO氏が並んだ写真、本の表紙もでている堂々たる取材記事であった。おまけのように、、電話取材を受けた不肖ARISAWAの名も記事中にでていたのだ。これじゃ事件、起こせないな・・・・・。

もう一つ余談だが、本日の午後、本をお送りしてあった税理士の先生の事務所にお邪魔した。冒頭に「とてもいい本をありがとうございました」と、丁重なお礼の言葉が・・・。書かれた方も、本当に丁寧に書かれて、敬服しましたと。そして素晴らしい方だったんですねと、古賀さんの感想を・・・・。

そう言って頂けると、関わった者として嬉しい限りである。

 

 

 

 

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在り合わせで・・・

2018-06-14 | Weblog

6/14(木) 今日の弁当は、冷蔵庫に在る品で作ることになった。昨晩の帰りに東急ストアに立ち寄るのが面倒と云うより、食材のイメージが湧かなかったことにある。在り合わせで作るのも主夫の工夫どころだ?。

そんな分けで、六時半過ぎに台所に入って冷蔵庫の中を物色した。大根の根っこの残りや、ホウレンソウ・ピーマン等を取り出し、冷凍庫からは豚バラやチンジャオロースの肉などを選んだ。

大根のキレッパと豚バラで中華j風の炒め物を、義母が好まないピーマンはチンジャロースに、ホウレンソウは卵とじにする。鮭と明太子を焼く。胡瓜は乱切りにして塩揉みに。そんなところだが、それなりの菜が出来上がった。

                         

義母の味噌汁を作り、弁当にご飯と菜を詰めて完成である。冷凍のコロッケなんか揚げなくてよかったよ・・・。

                   

以上今朝の弁当が完結した。

 

昨夜は「ローカーボ」に顔をだし、来週からのマスターの不在に備えて電気や食材の扱い方を教わった。そんな処へ、HOYA兄いが顔を出した。早速ハイボールを試しに作って出す。カウンターの向こうから兄いが「レモンを入れて・・・」と指示が飛ぶ。一応のことは訊けたので、カウンターから出て兄いと一杯。

三~四杯飲んだところで、河岸を変えることになった。前夜につづき「セイジュ」を覗くと客の姿なし。二人でカラオケとなったのである。懐かしのメロディーオンパレードだ。客が来ない店で、一時間ほど飲み唄いと・・・・・。

                       

頃合いを計って退散となったが、兄いはもう一軒寄りそうな気配!。謹厳実直な小生は、それじゃそれじゃと駅に向かったのである。そんな具合で、学芸大学着は23時丁度。毎夜15分づつ帰着が早くなっている。いい傾向だ・・・・・。

 

 

 

 

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肉食系or魚食系?

2018-06-13 | Weblog

6/13(水) 今朝は五時前に目覚めていた。夢見でも悪かったのか、寝汗を搔いていた。昨夜の帰宅は23時30分前、駅前の東急ストアにて食材を仕入れてからの帰宅だった。買ったのはステーキ肉・鮭・ハマグリ・山東奈に薄揚げであった。〆て2880円だったか?。ハマグリは、遅い時間なので値引きになっていた。

そんなことで、今日も肉がメインの弁当になった。魚は鮭とタラコが一切れづつ、野菜は山東奈と薄揚げの煮物。そして定番の卵焼きだが、趣向を変えてホタテとネギの入った出汁巻卵にした。ハマグリは、味噌汁ばかりじゃ厭きるだろうと、義母の吸い物に。勿論、小生も味したが・・・・。

ちっとは気の利いたものをと思いはするが、器が小さな弁当箱じゃ如何ともし難い。肉&魚に青物、卵焼が基本の構成だが、肉の比重が高くなる傾向だ。今日の山東奈は、スーパーの店先で安かったし、水みずしく感じたので煮物にいいかと買った。処が、チョット煮過ぎてへたれになった。野菜の煮加減は、塩梅は難しい・・・・・。

                      

今朝も二人分の弁当に、義母の朝飯の完成である。今日も美味しく食べて、元気に働いてネ

                   

 

 ― 古賀武夫 伝 ―

古賀武夫さんの伝記本「地球を翔た異風者」を、知人・友人たちに差し上げている。すると、本にまつわることに限らず、いろんな様子が聴ける。中には意外なことも・・・・。

富山の友人MURAI君からは、本が届いたとの連絡につづき、思わぬことが・・・・。昨年の秋に胃ガンとの診断を受け、放射線治療でガンが小さくなった師走に手術をしたとのことであった。もともとやせ形だったが、更に痩せたとの報告であった。食事が摂れないだろうからね・・・・。

そんなことになっているとは露しらず、であった。しばらく音信が途絶えると、思わぬことになっていたが、当人は、なったものはしょうがないと、前向きであったのが救われる思いだった。

HASHIMOTO氏、KATUTA氏、そしてMURAI氏と、時期は異なれど親しい友人が同じ病に罹るとは・・・・。されど、完治の確率は圧倒的に高い、何れ元気な声が届くであろう。

同じく伝記本に因んでだが、その前に前振りがある。昨夕、下り引き先の社長他が来社され、そのご「うまし」にて懇談。それが終わり、同席したスタッフと「ローカーボ」でハイボール。ローカーボにはHOYA兄い、弊社のAOKIに、佐賀の大将NAKAMURAさんが居た。この三人がバラケテ先に帰った。

暫くして私達も引き揚げ。独り駅に向かうすがら「セイジュ」の灯りが目についた。ちょっくら覗いて行くかと、店の扉に近づくと元気な歌声が中から聴こえる。と云うよりは響いてきた・・・・、これやぁ煩そうだ。店に入るの躊躇ったが・・・が、そっと扉を引き覗くと、なんとHOYA兄いと眼が合ったのだ。

なんのことはない、ローカーボに居た三人がマイク合戦の最中であった。此処で会うたが百年目と、遅ればせながら小生も兄いの隣に陣を構えて参戦となった。暫くしてNAKMURA大将が「話があるから、こっちへ来てよ」と呼ぶ・・・。

「ARIサン、あの本とっても良かったよ。あの時代のことを思いだし、途中で何度も涙が出そうになったよ・・・。アリガトウ」と、感極まったかのように礼を言われた。NAKAさんが佐賀に帰る前に本を渡した。向こうに居る間に読んだとのことだった。

NAKAMURAさんと、古賀さんは同年で、同じ佐賀。地球市民の会の草創期、佐賀の青年会議所が応援してくれたことは承知しているし、本にも詳しくでている。NAKAさんはその当時、青年会議所のメンバーとして古賀武夫を支えた一人だったのだ。登場する一人一人、あの時代の熱気が甦ったのであろう。

早速NAKAさんは、FBにもアップしてくれていた。かくの如く、喜んで下さる人がいるのは嬉しい限りである。それも身近に・・・・。

皆さ~ん、読んでますか?。「地球を翔けた異風者 古賀武夫伝]版元は石風社で著者は橋本和喜さん。流通は地方小出版です。お値段は張りますが、それだけの読み応えのある本です。因みに、発行日は6月15日になってます。アマゾンでも書店でも取れます。

 

 

 

 

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オムライス?

2018-06-12 | Weblog

6/12(火) 昨晩は月例の異業種交流会「モナリザ会」が、銀座四丁目のカフェ・モナリザであり参加。地元の前区議、TAKAHASHIさんの主宰なので、なるべく参加するように心がけている。

参加者は一人づつ自己紹介&PRをするのだが、昨夜はちょっとだけ真面目に「終活」と云うことを話した。家人の実家の整理に大わらわであったことを踏まえ、自分の実家は及ばず己自身についても・・・・。自身の終活とは、これまでの暮らしから、新たなステージに向かうためのものであることは云うまでもないが・・・・。

悪天候の所為か、キャンセルが多かったとのことで参加者は何時もの半分程度だった。その分、落ち着いて、た話が聴け、できたともいえる。予定どおりに21時に終わり、人形町に戻った。

「ローカーボ」にてHOYA兄いに合流し、今度の日曜日に計画されているパトロール隊の日帰り散歩「鎌倉」への件について相談した。幹事役の正直不動産に変身したマッチャンは、諸般の事情で参加できないとのこと。加えて小生も、老母のことがあり行動予定が立たない状況にある由。

結果、ここは延期と云う結論に達した。何年ぶりかの鎌倉、見ごろのアジサイも捨てがたかったが断念することにした。声を掛けてあった皆さんにお詫びを申し上げる次第である。

そんな話もひと段落し、次週からのマスターの検査入院と、入院期間中は店を開けることになっている、自称助っ人バーテンとなるOYAJIの引き次ぎの件になったが・・・・。それは、明日以降にとお願いした。兄いと、「ちょっぷく」に流れて一杯やってからの帰宅であった。23時30分、無事に学芸大学に着地したのである。

遅い時間にも関らず、家人が買ってきた「カキの葉すし」を食し、福井の後始末のことなどを聞いてから就寝。疲れが残っている所為であろう、よく眠れた。目覚めは、六時であった。

六時半、台所に入るも、今日の弁当メニュ―は全く考えの外であった。電気釜に残りご飯が茶椀に二~三杯程度あるが、これじゃ弁当二つと義母のご飯に足りない。鍋飯を炊き、残りご飯は「チキンライス=オムレツ」に変身さすことにした。

菜の方は、「ピーマンの肉詰め」を作ることにした。が、ピーマンは義母が嫌いな食べ物。されど、冷蔵庫のピーマンがへたってきているので使うことにしたのだ。

冷凍庫を漁っていると、黒豚の糀漬けと云うのがあった。こんなものを何時、誰が入れたか?家人に訊いても知らないとのこと。分らないが、家の冷蔵庫に在るのだから喰っていいのだろうと、これを三枚焼くことにした。

                    

そんな次第で、チキンライスが転じたオムライス、ピーマン肉詰め、黒豚糀漬け焼が、今朝のラインナップ。これに、野菜スープとチキンライスに乗っかる卵焼きである。

                            

以上、今朝のお仕事も無事に終了である。

今夕は、取引先の印刷会社社長のKOTAKEさんが来社する。本社は香川県であるが、年に何度か上京され、その度に寄って下さる。そして懇談をするのだが、今夜も前回と同じく「うまし」に席を設けた。また、楽しい話を聞かせてくれることだろう

 

 

 

 

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ハンバーグ&唐揚げ~蛸飯

2018-06-11 | Weblog

6/11(月) 昨夜の23時過ぎ、福井から帰京した。土曜の朝早く東京を出て、家人の実家(福井市の近郊)に向かった。母親を東京に呼んだので、実家は空き家になっていた。使い道がないとのことで、解体することにした。といっても、これを決めたのは家人の三姉妹であるが、家人は長女なのでその分、肩の荷が重そうである。

私はなにもしていない。せめて家の片づけの手伝いくらいしなきゃ…、と云う訳で福井に向かったのだが・・・。なんと、着替えのズボンをカバンに入れ忘れたのだ。折り畳みの傘は入れたのに。スタートからそんなドジじゃ、大した助っ人にはならへんわ、と言われよう思われようが致し方ない。

そんな分けで、土日、二日の作業と福井往復の間、同じズボンでとおす破目になったのであった。

三姉妹に一人づつの助っ人、地元の知り合いのご主人が二トン車を出して応援、と云うより主役だった。日曜日には、その主役の次男坊まで来てくれ、四トン車も投入された。延べ十五人で、電気製品・タンスに蒲団、食器から衣類、花壇の鉢や夥しいポリタンクにポリバケツetcを片付け、車に乗せて清掃事務所の処分場を往復した。

ひと月程前に、相当数のガラクタを袋詰めしてあったが、出るわ出るわ、雲霞の如くに不用品が湧いてくる。不用品をいっても、未使用の電気製品、棚や食器などが含まれる。何しろ、全てを処分するのだから・・・・。この隣に駐車場兼用の小屋があり、ここにも廃棄品が山のように・・・。 

                      

月に二日しか捨てれない家庭廃棄物の日なので、処分場への道路は大渋滞し、一時間近く車列に並び、漸く受付に至るという状況だった。最後は軽四まで使ったが、一分は残滓として残った。処分場の受付終了時間がきたのだ。

重たい大きな箪笥、冷蔵庫・洗濯機(この電気製品は処分できず、市内の電気店で引き取ってもらったが、有料である)などを持ち上げ、下ろし捨てと、日頃グラスと包丁しか持たぬ柔な体は悲鳴をあげ、汗は吹き出しとクタクタになったのであった。

こんな有様に遭遇し、田舎の実家の始末に思いが至ったのは云うまでもない。こりゃあ、てーへんなことになるなと・・・・。義弟のKAZUOと二人、帰りの新幹線の中でハイボールのミニチア瓶をやりながも、何時しか眠りこんでいた。

 

そんな週末ながら、今朝は六時に起床して弁当と義母のご飯を用意した。家人は、明日の解体前を前にして、今日は神主さんのお祓いで福井に残っている。弁当オヤジの本領を発揮する、出番のある朝なのだ。眠いの疲れたのとは、言ってられない。

飯を炊き、菜を作る。今日は「ハンバーグ」と「鶏唐揚げ」の双璧に、「大根・小芋とイカの煮付」、定番の卵焼きにした。長女に電話し『弁当あるぞ!』と伝えた。

              

弁当の準備をすませ、出社する。今日は六月の全体会議があり、その後はランチ会の飯作りへとなだれ込んだ。

ランチ会のメニューは「蛸飯」である。YOSHIOを助手に、雨の中を買い物にでる。タコ、キュウリ、ナス、にサラダ用の野菜など買う。蛸飯と酢蛸は、三日ばかり前に予習をしている。量の調整をしっかりやれば間違いない。茄子と大シシトウに椎茸の煮浸し、ベーコンと野菜のスープ、野菜サラダがランチ会のメニューであった。

金曜日は「セイジュ会」から、ローカーボに流れた。昼間はOB会の懇親会、夕方にはUSUI老と、セイジュ会前の一杯を高松でやった。早く帰る予定が、深夜の25時半過ぎになった。土曜日は早起きしての福井詣。ひ弱な体は・・・、草臥れ果てての週明け。弁当作りの後は、ランチ会の飯作りだ。弁当オヤジの面目躍如か?。

                          

でも・・・、とても草臥れてます・・・・・。

 

 

 

 

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昼酒

2018-06-08 | Weblog

6/8(金) 今日の午前、ホテルグランドパレスにおいて東京地区のOB会(NTT)総会と、懇親会があった。懇親会後は、退任役員の慰労会もあり、朝の十j前に会場に入り、終わったのは午後三時であった。

目出度く、今日で理事の勤めを終えたが、今度は監事を遣れとの仰せがあり、否応もなく引き受けることとなった。浮世の義理と云うやつは、致し方ない。義理と人情を忘れちゃ、この世はせちがらくなっちまう。

そんなことで、正午から始まった懇親会~慰労会まで飲んでいた。オイラの顔は、ワイシャツの色と同じ句、ポッと桜色さ・・・・。会社に戻って、洗顔と歯磨きはしたが、胃の腑は洗えなかった。

                    

昼酒につづき、夕刻にはUSUI老が今夜の「セイジュ」会に参加するためやって来る。セイジュ会の前に「高松」にて一杯やるのが恒例で、それにも付き合わなくちゃならない。

明日の早朝から福井に出掛け、家人の生家の始末の手伝いが有るが、飲み過ぎちゃ明日の仕事に差し障る。オトコは辛い、と云うのはこのことか・・・・。酒は飲みたし、飲んじゃ身が持たぬのだ。

昨夜の帰りは早かった。十時に、学芸大学駅に着いた。八時過ぎに会社を出、「ローカーボ」によると、HOYA兄いが一人酒だった。午前中の現場仕事を終え、午後は事務所だったとのこと。

二人で飲みながら、何時しか・・・偶にゃ早くかえらないと、なんて言いながら一時間ほどハイボール飲んだ。再来週の週始めにマスターが検査入院をする予定だ。

                     

一週間ほどらしいが、その間「ローカーボ」の灯を消しちゃならぬと、主なき店を守ることになった。俄か店主がどれだけ役立つかしらぬが、乗りかかった舟だ。乗るしかないので、沈没せぬように気をつけよう・・・・。

偶にや早く帰ろうと、兄いと駅に向かった。何処にも捕まらぬように気配を消して・・・・。そんな訳で、駅前の東急ストアにて今朝の弁当食材を贖った。

その結果、今朝の弁当は「牛スキヤキ風煮」「鮭&タラコ焼きに、ホウレンソウのお浸し。これが昨夜の買い物の成果である。これらに加えて「筍煮」と、定番の卵焼きが加わった

                      

旨そうな出来栄えであった。残念なのは、ちょっと甘めの味付けになっていた。甘い男の作る弁当だから、致し方ないか。

                      

 

 

 

 

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蛸飯

2018-06-07 | Weblog

6/7(木) 昨日の雨とはうって変わり、青空が広がり暑くなった。外出や来客の予定もなし。今夏、二度目となるアロハシャツでの出勤となった。かくも気楽なオヤジである・・・・・。

蒸し暑いニッポンの夏は、過ごしやすいスタイルが健康にいいはずだ。その方が仕事も捗りフットワークもいいだろうと思うが、これはラフなスタイルと暮しをしてきた小生ゆえの論である。暴論かもしれないが。

昔いた職場で「カジュアルディ」なんてのがあって、カジュアルとラフの境目はどこだとか、この日は何処まで許されるかなんて論議になり、カジュアルコードを作ろうなんて議論したのは笑い話だ。

クールビズもすっかり定着し、夏スタイルは軽快になった。が、真夏、汗を掻きながらスーツにネクタイと云うのも、それなりに引き締まった感ありてよかった。私にすらそんな時代があったのだ。

なんと言っても、男のスーツは武士の鎧と同じとばかりに、不相応なスーツを夏も着用していたのだ。それが、アロハだって、笑っちゃうね。ステテコにランニングでないだけましか 

 

さて、今朝の弁当だが。週開けの月曜日にあるランチ会を意識して「蛸飯」を予習がてらに作った。

昨夜、20時前にHOYA兄いと「高松」~「ちょっぷく」と散歩したが、偶にや早目に切り上げようと、22時過ぎにはお開きになった。駅前の東急ストアに入ったら真蛸があったので、これと鯛の切り身、キンキの開き、蜆を贖った。

そんな訳で、今日の弁当は魚尽くしと云う次第。それもどうかなと思い、家人に『少し肉でも加えようか?』と訊くと、結構ですと応じたのだ。

蛸二パックで350gぐらいだったか。米三合には多すぎると思い、一部は胡瓜との酢物にした。従って、蛸飯にタコスである。蛸飯といっても、他の炊きこみご飯と変わる分けじゃない。が、出汁と醤油の量を少し多めにした。

タイの切り身は塩胡椒し、オリーブオイルでソテーし、ブランデーを垂らしてフランベした。タイの切り身だけじゃ・・・と、小松菜とシメジをソテーし、塩胡椒を軽く振る。

胡瓜をスライサーして塩揉み、タコと併せた酢の物にする。キンキの焼き物は、身が薄くて使い物にならない。

                      

こんな具合で進み、蛸飯が炊きあがった。一口、味見すると・・・ウメーッ と、山羊が鳴いた。山羊も悶えるほどの美味さであった。

                       

そこで、朝はパン食の家人に伝えると、一口だけ味見するワと応じた。茶碗に軽めに入れたら「多すぎるわよ」の一言が・・・・。そんなことを言ったくせに、美味しいね~と、完食しやがった。

弁当を詰め終えたが、どうも色気がない。そこで急遽、卵焼きの登場となった。

                      

弁当事を終え、もう一仕事。残りご飯で炒飯を作る。簡単炒飯ながら、これも中々の出来栄えと、自賛する次第である。

                          

 

 

 

 

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豚の肩ロース焼き

2018-06-06 | Weblog

6/6(水) 愈々、関東も梅雨入りだそうな。これから一月半ばかり、うっとしい日がつづくのか・・・、と思うと気が重くなるが、雨に唄えばてっ云うミュージカルもあった。元気よく、歌でも唄って夜を過ごすことにするか?

差し詰め八代亜紀の、雨雨ふれふれもっと降れ~か…、古いな。雨の思い出と云えば、早朝の霧雨の小道をバス停へと上っていった湯ヶ島温泉でのことに尽きる。が、この話は以前にも書いたはずだから止そう。

雨の日を楽しくしようと、高い傘を買ったのは三十代も半ばの時のこと。新橋は赤レンガ通りにあった小さな傘専門店で買った。二~三度使い、ある晩に渋谷は宇田川町にある居酒屋「奈加野」に寄った。

テーブル席に入る入り口に置いてある、傘立て用の大きな壺に傘を入れた。当時の店長だったイシイちゃんに「俺の傘だから大事にしてくれ」と云った・・・・。

帰りに、傘はと探したが見事に失せていた。それ以来、雨の日に奈加野に行くと「俺の傘どうした?』嫌みたらしく訊く。もう数十年も前のことだが・・・・。巳年生まれでもないのに、妙にしつこいところがあるようだ。

雨の日の哀しい別れとか、合いあい傘で歩いたとか、そんな濡れ場もなきゃ、縁もない。雨の日は鞄が濡れるので厄介だ。靴も雨用の水を通さない靴を履かなきゃならいし、最近はやらなくなったが防水スプレーなんぞを、出しなに吹き付けなきゃ…、かく云うほどに面倒が多い、それが嫌なんだろう。

なんぞ、雨のシーズンを楽しく過ごす秘訣はないものか・・・・。酒でも飲みながら本を読み、ゴロゴロと部屋で過ごすのが一番かな・・・。こんなこと書いてるうちに、引退されて優雅な日々を過ごしているであろう、某先輩(平素は大兄と呼んでいるが)の顔が浮かんだ。

某大兄には遥かに及ばぬ、小心でしつこい性格の私だ。優雅な暮らしも似合わぬ、雨の中をせっせっと仕事漁りに精出すか?。

 朝からの雨の所為で、ついつい下らないことを記したが、テーマの弁当に戻ろう。

今朝の弁当だが、メインは「豚肩ロース肉のソテー」にした。チンジャオロースやピーマンの肉詰めも候補だったが、止した。肩肉ロースを、塩胡椒に特製の出汁を使ってソテー。たったそれだけのことであるが、旨かった。

                     

他には残り物の小松菜の処分で「煮浸し」と「卵炒め」を作る。胡瓜と茗荷の酢物、魚系がないので、美味しくない粕漬けを焼いた。以上の四品が、今日の弁当に入った次第。

                         

もう、明日の弁当メニューを思案している・・・・。暇なオヤジである。

 

 

 

 

 

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宴の後の・・・

2018-06-05 | Weblog

6/5(火) 昨夕、サラリーマン時代に独身寮で同じ釜の飯を喰って以来の友人(後輩)と、久々の懇談であった。

一関市で母親を見送ったCHIBA君が、南柏の自宅に戻ったと云うことで、集まることになったのだが、当初の予定より二人欠けて、小生を含めて四人の会となった。

そのうちの一人、HAMNO君は会場が何時もの「奈加野」と間違え(変更になったメールを見ていなかったそうだ)、大幅に遅れたが。ドジを踏むのは何時ものことか・・・。

案内した「うまし」のテーブル席に陣取り、共に過ごした四十年以上も前の昔話や、来れかったメンバーの動向や、卒業生のいる日大問題と話題には事欠かない。吉四六のボトルが二本目になり、次の店「ローカーボ」へ移動。

「ローカーボ」には、HOYA兄い、NAKAMURA大将と何時もの面々が陣取って盛り上がっていた。我等は奥のテーブル席に着いて、お決まりのハイボールを飲る。

このメンバーにも地球市民の会の活動には協力を頂いた。完成したばかりの書籍を渡すために、100メートルと離れていない会社に寄って貰い本を渡した。駅へと案内して別れた後、独り酒を一杯やるかと「セイジュ」のドアを開けると・・・・。

先客がカウンターに二人。なんとなんと  「ローカーボ」で顔を合したHOYA兄いとNAKAMURA大将がマイクを握りしめていたのだ。かくなる如しに、気が合いすぎる パトロール隊である。かくしてマイク争奪戦に小生も加わったのである・・・・が。

気持ち良く、八代亜紀からちあきなおみ、吾亦紅と、軽快に飛ばしているところにショートメールが入ったのに気付いた。

三十分前に別れた後輩のEBISUI君からだった。なんと「サイフを落としました。二軒目の店か会社だと思います」とあるじゃないか・・・。大急ぎでローカーボのマスターに電話を入れたが、無いようだとの返事が・・・・。

次いで会社に電話入れる・・・・随分と長く呼んだ。もう十一時を過ぎているのだ・・・、と、応答があった。KAWAMOTOが居たのだ。

打ち合わせ室を調べて貰う・・・暫く待って「何もありませんでした」との返事が。この間にもEBIからメールが入る。大事なものが入っていると、困り果てた様子が窺える。

カラオケを唄っている分けゃぁイカンザキと、可能性が高いローカーボにとって返した。我等が居た奥の席には十人近い若いサラリーマンが男女入り混じって大騒ぎの最中・・・その騒ぎっぷりは半端じゃない。踊っているのから、わめいているやつと、外の通りまで響き渡っていた。

マスターに『若い衆は元気でいいねぇ~』と言いながら、もう一度探して貰へるようお願いした。

騒いでる連中に水を差すようで申し分けなかったが、こっちも可愛い後輩の大事な財布が掛かっている。我が町、人形町で失せものをさせたとあっちゃ名折れだ。

マスターが声を掛けてくれると、さしものの騒ぎも落ち着き、一緒になって椅子を動かし、床を探してくれた・・・・。ないねぇ~と、諦めかけた処に女性が・・・・「そこに在るのは?」と奥を指差した

そこから二つ折りの黑っぽい財布が出てきたのだ。いや~ホットしたよ。処が財布を手にして中を改めた男が「お名前は?」なんて、訊きやがる。EBISUIだよ、その字読めないだろう?と云うと。カタカナで書いてあるから読めましたよと、財布をよこした。

これにて一件落着!、目出度しメデタシである。水を差したので若い者の踊りに、こっちも腰を振って応えた。騒がせて申し訳ないと、一杯づつ振舞うことにした・・・・。

EBISUIにあったぜメールを出して、安心させた。返ってきた返信は「ありがとうございました。流石ニッポン」だった。先ずはよかったと、帰宅した時は25時に近かった。

 そんな騒ぎのあった今朝、起床時刻は六時半と遅かった。

さあ~これから弁当と、飯を炊く。菜の方は「トンカツ」である。揚げ物ついでに茄子のフライもやることにした。他には、黑筍と舞茸・薄揚げをバターソテーして味付け。最後に出汁巻卵で〆た。

                   

 

そして今日の昼過ぎ、EBIから人形町に着いたとの連絡があった。彼が落としたサイフを持って駅に行った。「よかったです」と、言いながら中を確認する。

すると、一番大事だという某銀行のキャッシュカードだけがない、入ってないとのことだ。おかしいなぁ~、と何度も中をあらためるもない。私も受け取りはしたが、中は見ていない。

取り敢えず、カードは止めるしかないな。暗証番号が分らなきゃ大丈夫だろうと、別れた。その足でドアが開いていたローカーボに寄り、マスターと再度カードは無いかと探したが、見当たらなかった。

昨夜の連中が持っているとは思えないが、「名前は?」と訊かれ、応えたが、その時にカードの名前で確認したはずだ。その際に、カード手にしまま?と云うことはあり得るかも?。であれば、後で気付いて届けてくれる可能性はあるが・・・。

「キャッシュカードは止めました。完了ですが、手続きが面倒です・・・」とのメールが来た。

宴の後の侘びしさよ・・・・・。人形町に来てもらったのがいけなかったのかと、オイラの方も気落ちする次第である。

 

 

 

 

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田舎尽くし

2018-06-04 | Weblog

6/4(月) 週末の土曜日、郷里の従姉から鮎が届いた。前日の金曜日、6月1日が安田川の鮎漁の解禁日であった。この日に捕った鮎を、夕方のクール便に乗せて送ってくれたのだ。

土曜の夜は鮎の塩焼きでビールを飲み、日曜日の昼に土釜で「鮎飯」を炊き、鮎の姿寿しを作った。併せて、先週の帰省時に貰ってきた黑竹で「筍すし」と、煮物を作る。

と云う次第で、週末は珍味?とは言わないだろうが、珍しい食い物が並んだのである。昨夜の夕食時に「ポテトサラダ」も作ったが、この時に使ったジャガイモは郷里の後輩から、胡瓜と新タマネギは自分が植えたものだ。

未だ有ったよ、「茄子とミュガの味噌炒め」が。茄子・茗荷にミソ、いずれも高知・安田産であった。

                 

これぞ、田舎尽くしの品が並んだことになる。夕食を共にした義母・長女・次女一家も喜んだはずだが・・・。「柚子酢がもう少し利いている方がいいワ」は、長女のコメントだった。

 

今朝の目覚めは五時前。日々、眠りが浅いのは年の所為か?蒲団か?体の不調か?。脳の血流がよくないように自己診断するが・・・・。薄い脳味噌と、枯れ山になった頭、サイフトの薄さに同じの義理人情。薄い蒲団は夏場にゃいいが、こうも薄物ばかりじゃねぇ・・・・、我が行く末が知れる。

六時半前に台所に入ったが、昨夜から土釜や大鍋がシンクに置いたままだった。大人数が使った食器の片付けと洗い物からスタートとなった。

今日のメニューは「焼き肉」「肉じゃが」「「小松菜&薄揚げの煮浸し」「ブリの塩焼き」。最後に卵焼きであるが、これは色味の為に焼いたようなものだ。

            

 

日曜日の写真をスマホから取りだそうとして、記憶にない写真を発見した。HOYA兄いに「ちょっぷく」のYAMAちゃん、見慣れる男が写っているが、、楽しげだ。

場所は「ちょっぷく」の入り口に置いた即席のテーブルだ・・・・。はてな?を繰り返す中でようよう思い出したのは、金曜日の夜のことだった。

インドネシアから来た、中華系の旅行者が一人居り、その相手をYAMAちゃんがしていたのだ。「こま吉」から「ローカーボ」と歩き、そこから「セイジュ」に顔出ししたら予約が五人入ったとのこと由へ遠慮し、「ちょっぷく」にて白ワインかなんかを飲み、店を出ようとしたのだったが・・・。

そこでYAMAちゃんに拉致され、その旅行者の席に腰を下ろした。ここからが最悪、魑魅魍魎の世界に迷い込んだのだ。日本酒を注がれ、インドネシアから来た華人と札のやり取りまでしていたのだ。

             

                        上あげたら下をくれた一円ぐらい?

若い頃にインドネシアに一年近く駐在したHOYA兄いは舌好調となり、酒がすすんだ。ここで切り上げればいいのだが・・・、兄いの「ローカーボ」への勇ましさに負けて、同伴した。ローカーボでハイボールを飲んだはずだが・・・・。すっかり酔っちまったオイラは、兄いとどう別れたのか記憶にない。

それでも帰りはメトロだったので、終電には間にあっていた。学大に着いたのは25時近かったように記憶するが・・・・。これじゃ草臥れもするし、財布も薄くなるはずだ。脳味噌の方もアルコール漬けで溶けてくるさ・・・・。今更に反省であるが・・・・・。

 

で、今夜は独身寮時代に一緒だった後輩と一杯やる。渋谷・奈加野が例会場だったが、偶には人形町に来いよと呼んだ。「うまし」に5~6人でと予約を入れたのは、酒の最中であったがl記憶している。

 

 

 

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