オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

久々に弁当を・・・

2019-07-17 | 弁当

7/17(水) 久々に弁当を作る。食材は買い物をしなかったので冷蔵庫の中の在りものである。取り置いたシューマイ・鶏の胸肉塊は冷凍庫から、野菜室から胡瓜と茗荷を。チルドからは板カマボコと竹輪を出した。後は、卵焼き用の卵が三個である。

以上の食材で今朝の弁当作りだが、大したことはできもしない。鶏肉はバターソテーでタマネギを一緒に炒めた。シューマイはレンジで温めるだけのこと。胡瓜&茗荷はスライスして塩揉みし砂糖&酢で酢物に。竹輪は胡瓜竹輪で、板カマボコは切るだけのこと。卵を溶いて出汁巻き風に焼けばお仕舞いである。  

           

 

そんな具合で今朝の弁当、久しぶりと云いながら簡略である。炊き立てのご飯を詰め、それぞれの菜を詰め込んでお仕舞いとなった次第。

 

弁当作りの後は、サラダと昨夜の残り物のカツオ刺身で朝ごはんであるが、カツオがあるので大人の飲み物が必要になる。かくして朝からビールと云う優雅さである。民謡に歌われた小原小助さんそのものだな・・・。私も早晩、身上を潰すこであろう!

 

今日も予定なしの一日。どう過ごそうかと考えたが・・・、先ずは部屋掃除を手掛けた。そして夕方までの時間は「プリン」を作ってSORAのお八つに・・・。夕食はガスオーブンレンジの使い方に慣れるため、ポテトコロッケをレンジで作ることにした。

以上をこなした後は、買い物がてらに渋谷に出て「奈加野」のオヤジの顔でも見てこようかと思っている。SORAは、バイオリンの稽古後は、隣駅のお祭り(盆踊りらしい)に行くとのことだし、家に居る必要もないのだ。

奈加野オヤジに、郷里の様子など教えてやるか・・・。

 余談だが、このBLOGは「ちあきなおみ」のCDを聴きながら記している。流れている歌はリメイクばかりで最後の歌はダンチョネ節。ちあきの唄うこの歌を聴いていると断腸節そのものである。かの戦で特攻にでる飛行機乗りの身上が窺える。

飛行機乗りだった亡父のこと、どんな心情であったろうかダンチョネ節は断腸節であったろうか、などど思うのである。そして戦に果てた人々のことが・・・。

 

 

 

 

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帰京

2019-07-16 | 弁当

7/16(火) 午後13:35分発のANA便にて帰京した。出発前の高知空港は込み合っていた。シンガポール?辺りかマレーシアからかのグループなどが後部席を占めて機は満席になっていた。

今朝の郷里は予報と違って、朝から薄日がさしていた。蝋燭を仏壇に灯し、朝食と洗濯をして実家を出た。定刻通りに飛行機は離陸して、定刻に羽田空港に降り立つと東京は曇天から小雨になった。

午後の四時、学芸大学駅に着いてから帰宅すがらに夕食の食材を買っての帰宅。何処にいても飯作りしか浮かばないボケたオヤジである。魚屋で浅利と残っていた大きめのカツオの柵を買い、冷凍の餃子に胡瓜などを買ったのである。

浅利の味噌汁、カツオは刺身と叩きにした。山もりのサラダを作り、竹輪胡瓜にカマボコを切り、残っていた茹で豚のニラ醤油漬けもスライスした。

飲み物は大好きなウイスキー「ニッカ・バレル」のソーダ割と、届いていたイタリア産の白ワインとなった。

かくして、つかの間の田舎暮らしから東京の生活に戻った次第。田舎よ来月に、東京を宜しくの日々が暫くつづのである。

          

 

然し、明日もなんの予定もない・・・・・、のである。

 

 

 

 

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送り火

2019-07-15 | 弁当

7/15(月・祝) 深夜の三時に目覚めてそのまま五時のサイレン音を聴いた。その頃から雨音がして窓を開けてベランダに出て暫し、雨の降る景色を眺めた。前日の天気予報では曇り&晴れだったのに明け方から違っていた。

                

六時過ぎに少しまどろんだが、忘れたはずのゴルフの夢をみていた。それも、脳梗塞で利き腕が不自由になった先輩と一緒にゴルフ場に居る夢であった。妙な気分で目覚めたが、わずかな時間をまどろんだだけであった。

昨日の新盆で使用した施餓鬼の水棚を片付けた。そして、帰京する、長男を空港まで送ったが、雨はふりつづき空港から戻る時間に上がった。そしてまた、午後になって降ったり止んだり・・・。

 

明日の午後便で帰京するのだが、もう少し滞在を長くして庭木の手入れなどすればよかったかと思う。然し、梅雨空がつづいているのでこれで良かったかもしれない。

夕方になり「送り火」を焚いた。新盆の支払いも片付けも終えたので肩の荷が下りた思ひだが、来月には一周忌があるので帰郷する。その折には滞在を長くして片付けなどできればと思う。

               

 

今夜はゆっくりと眠りたいものだ・・・。蛙の鳴く声が一段と高くなってきた。

 

 

 

 

 

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新盆供養

2019-07-14 | 弁当

 7/14(日) 小雨の降るなかであったが、母の新盆供養を済ますことができた。来月(8/24)には一周忌の法要があるので旧盆の八月ではなく、新盆の今月にした次第。

               

水棚という棚を用意し、周りを檜の葉で覆い暗くした中に位牌・供物などを入れています。昔は棚を竹などで自作していたようですが、これは葬儀やさんに発注したものです。

来ていただいた親戚も町内に住む従姉弟だけにして済ませたので、二十人ばかりあった。何時も悩むのは、何処まで案内をするかである。時間や供物で気遣いをさせたくはないし、かといって案内がなかったと思われるのも申し訳ない。来月の一周忌には、も少し広げての法要となろう。

お盆の法要は宗派や地域によりやりかたが相当異なるようだが、我が家のある地区は施餓鬼台という棚を作り、そこに位牌を置き供物を供えて拝む。餓鬼供養ではお米・茄子・胡瓜を刻んだもので施しをし、それから故人の安らぎを祈ります。

     

我が家の宗派は真言宗智山派ですが、地元の北寺の住職・宗円さんのお経がいいんですよ。それで、亡父が宗旨替えをしたのですが・・・。私にとってはどでもいい、そんな罰当たりですが、住職は相当年下ながら中々いいですよ。

                 

住職はお盆と云うことで多忙、今日は食事を共にせず寺に戻りました。

 

食事やだらだらと続いた飲みも終えて、ベランダにでて池を見ると、水面に浮かんだ布袋草に昨日は気付かなかった花を咲かせていた。薄紫の花は可憐である。

     

 

 

                  

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大心劇場&迎え火

2019-07-13 | 弁当

7/13(土) 今日は朝から雨となった。午後から強くなり、21時を過ぎた今は更に激しく窓越しにも雨音が響いている・・・。漸く川水が引き合始めたと思ったら、明日からまた洪水になろう。

今日は、明日の母の新盆の準備を済ませてから高知空港に着く長男を迎えに行った。その帰り、彼が「大心劇場」を見たいと云うので立ち寄った。大心劇場と云うのは、高知県東部・高知市内から東では唯一の劇場で、それも昭和レトロそのものの佇まい。

劇場は安田川沿いの上流4㎞程の処にあるが、日本遺産になった森林鉄道跡の脇に、赤い屋根と壁に豆電球の大看板が掛かった一軒家である。我が家からは2㎞ほど下流になるが、その昔、今の二代目経営者Shukichi君のお父さんがこの山里で劇場を始めた時は、我が家からすぐの正弘橋の袂に在った。現在の地に移転して39年になるとのことだ。因みに初代が始めたのは昭和29年とのことであった。当時は「中山映劇」といったように思うが?。

大心劇場の前を通ったことは何度もあるが、中に入ったのは実は今日が初めてだった。劇場の前に丁度、SHUKICHI君が居り、中を見せてもらうことができたのだ。

雑然とした入り口、もぎり場を通って劇場に入ると両側の壁一面に古い、レトロそのものと云うよりは映画ポスター博物館と思える光景が広がり、大きくもないスクリーンとアキアカネ色の椅子が並んでいた・・・。懐かしくなる光景であった。   

            

Shukichi君(子供頃から知っている年下なので、こう呼ばせてもらう)から、これまで劇場を訪れた芸人さんのことなどを聞いたが、関心のある方は「大心劇場」のHPをご覧ください。彼は「豆電球」と云う名で音楽活動もしており、十年も前になろうか東京で公演をした折に「俺を覚えてるか?」と訪ねたことがある。その時のことも話題になった。

             

劇場に隣接する「豆電球」と云う彼が経営する店ー ここもレトロな店である ーでコーヒーを飲みながら劇場のこと音楽活動のことと話を聞いた。店のすぐ後ろには安田川が緩やかに流れる・・・。

           

 

そんなことでひと時を過ごしてから帰宅。そして夕食の準備を始めたが・・・、迎え火を焚き忘れていたのだ。慌てて焚いたが。この雨の中ながら、よもや母親は戻る家を間違えることはなかろうがと思いつつ・・・。

              

迎え火の左手の棚は、水棚といい明日はこれに膳や位牌を収めてお迎えし、詣。屋内の奥に見える提灯は廻り提灯といいお盆に飾る。

 

夕食には妹夫妻も来てもらい、安芸市内の魚屋で買ってきたマグロ刺身や小イカ炒め、生姜焼き、鮎、親子丼などを堪能した。

         

今日も過食になってしまったが、明日は明日で皿鉢料理などで過食となろう・・・・。

 

 

 

 

 

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蛙の合唱響く故郷・・・

2019-07-11 | 弁当

7/11(木) 朝の弁当作りを済ませて帰省の準備をした。と云っても大したことではないが。二ヶ月ぶりに故郷に向かい、母の新盆を執り行うためである。田舎出の長男としては避けられぬ務めである。

 

曇天の羽田を発って一時間半後には高知空港に降り立った。厚い雲を抜けて上空に至ると、光輝く青空があったが、下降すると何時、室戸岬上空を過ぎたのかわからなかった。更に下降して故郷を臨める辺りも遥かに霞み見分けがつかぬ程であった。

         

高知空港は物部川の河口、太平洋がすぐの処にある。空港を出ると曇天ながらも午前中に降った云う雨の水溜りがそここに残っていた。何時通りに妹夫妻の出迎えで実家に戻った。

仏壇に線香を供え、安田川に掛かる橋を渡って墓参。川は泥水までとはいかぬが、濁り川幅一杯に激しく流れていた。稚鮎の遡上が少ないことに加え、洪水続きで今年のアユ漁は全く期待できないとのこである。

                    

サラダに冷奴、トーストの早い一人晩飯を済ませるとやることがない。何時も使う部屋に垂れこめると、窓外から聞こえてくる蛙の大合唱すらも煩く思えない。あれほどゲコゲコガウガウと鳴くのが、一斉に止まる瞬間がある。不思議な一瞬である。

 

と云うことで、帰郷報告を終わり今朝の弁当を記す。

何時も通りに二つの弁当。鴨葱と云うことで、合鴨をネギと焼いた。豚肉を焼肉風にし、スクランブルな卵焼き。口直しは昨日と同じ野菜の甘酢漬けである。

             

 

明日から弁当作りは暫くできない。一人飯が多くなるので過食に気を付けねば・・・。

 

 

 

 

 

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デザートは杏仁豆腐

2019-07-10 | 弁当

7/10(水) またしても予定のない暇な一日を迎えた。昨日は、三時からステージをやっていると云う横浜・馬車道の「メグスタ」まで出掛け、二時間程を楽しんできた。客は二人だけと云う状況ながら、橋本葉子さんとダーナの熱唱にバーボンハイボールのグラスが進んだ。

葉子にさんの店が六本木にさん在った頃のミュージシャンの誰それや、ご主人の東郷さんのエピソードと当時の思い出話も尽きず、グラスを重ねた。私の他に女性客が一人いるだけ。昔話をするにはもってこいの宵であった。ダーナはそのころ駆け出しの歌い手だったが、今や貫禄十分なメグスタのオーナーである。然し客が二人じゃ・・・心配になるぜ!。

            

私は東京を離れて郷里をベースにする予定でいることを伝えた。かつて、乃木坂通りに「禅」が移転し、「VIPルーム」と云う店名になっていた頃にサラリーマンを辞めた。その退職記念に、五日間にわたり店を21時まで貸し切りにして友人・知人への感謝のパーティを開いた。平成14年の四月初旬のことであった。

そんなことを思い出し、東京を離れるサヨナラパーティでもやろうかと思い立った。親しい友人・知人に二人の歌を聞いてもらい、過ぎ去りし日々に感謝する。そんなことを思い立ち、店の空スケージュールを聞いた。横浜となれば土曜日の五時くらいからが良かろうと、9月28日(土)を予定日にしたが・・・。果たして何人が横浜まで足を運んでくれるか?。

帰りは何時ものように、馬車道の「生香園」に寄り軽い食事を摂った。シュウ-マイなんぞを提げて帰宅した次第。

 

さて、暇な今日のことだが、弁当作りビールの後は暫しの休息。午後になって夕食やデザートの食材を買いに出た。駅前の東急ストアで揃わないものがあったので、目黒通りのイオンに行った。孫のSORAから頼まれていた「杏仁豆腐」を作るべく。

本格的なものは材料が揃わないので簡単な中華レシピで作ることにしたので、いとも簡単であった。

そして夕食の準備に入ったが、今夜のメニューは、掻揚・鶏唐揚げ・マイワシのフライの揚げ物に、マグロの刺身、キハダマグロのカルパッチョにサラダと云うことになった。ボリューム、品数ともに多いので、長女一家も招いた。主食は義母が冷たいソーメン、SORAは温ウドン(稲庭の餅入り)と云うリクエストに応えた。

                

そんなことで暇な一日を過ごすことができた。が、その結果、過食気味である・・・。

 

さて、今朝の弁当になるが主食は「五目寿司」。瓶詰の五目寿司の素があったので使うことにした。仕上げに柚子酢を使うのが私流であるが。

菜は「チキンソテー」「出汁巻き卵焼き」に、昨夜買ったシューマイを温め、作り置きのミョウガ・赤タマネギ・小蕪の甘酢漬けと簡略であった。一応、金糸卵と糸海苔を五目寿司に散らして格好を付けた。

         

 

明日の午後から16日まで、亡母の新盆のために帰省する。八月のお盆では一周忌が直ぐなので、早い盆で新盆をやることにした。早いものだが、母が永らえていれば、昨秋から田舎暮らしの予定であった。一年遅れての帰郷となるが、供養のためになるとは・・・。

 

 

 

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水辺~人形町、今日は横浜へ・・・

2019-07-09 | 弁当

7/9(火) 昨日は弁当を作り終えて水辺の散歩に出掛けた。が、結果は散々であった。今節に稼いだ分を全てお返しした次第。珍しく?完敗、惨敗である。

傷心を抱きて夕食の用意をすべく最寄り駅に着き家路に向かう途中、スマホの呼び出しコールが。人形町仲間の某社社長NAKAMURAさんからであった。会って相談したいことがあるとのことで、夜に会うこととなった。一旦帰宅し、負け勝負の垢を落とし、予定外の外出となった。

満席の「高松」で、常連さんに相席してNAKAMURAさんと合流した。一杯やりながら話を聞くと、仕事の手伝いをしてもらえないかと云うことであった。N社の人脈を活用したいとのことだが・・・、今更である。とはいいながら、彼の頼みなら無碍にもできない・・・。

東京にいる間であれば、協力できることがあればすると云うことに落ち着いた。話が済んで、高松の女将の同級生・チカちゃん以前に店を手伝っていたことがある)が相席したので、彼女たちの学校時代に女将が如何に人気があったかなどを聞きながら金魚割を飲むのであった。

当然のように二次会へと向かうが、チカちゃんは飲み過ぎを心配したご主人が矢切から車でお迎えに。NAKAMURAさんと「セイジュ」に入ると、HOYA兄いが出勤していた。三人でカラオケだが、先客の四人は煩ささに耐えかねたか居なくなったが・・・。

今度は「ちょっぷく」のオーナー店長YAMAちゃんが、店を放り出して唄の練習に来たのだ。今度の土曜日、ハワイアンの連長が店を貸し切って演奏&歌会だとのこと。その時に、YAMAちゃんも唄うのだ!。その披露お歌の練習だと云う。

歌は「メキシカンロック」とかで、なんとも古くさいのを唄うそうだ。橋幸夫が唄ったのだが、古い男なりにノリがいいからと選曲したようだ・・・。

            

そんなわけで、〆は「ちょっぷく」となった。日本酒を飲み、ひと騒ぎして終えた。最寄り駅に着くと零時を過ぎていたが、一時までやっている目の前の東急ストアに寄り、今日の弁当食材など買って帰宅。

今日の弁当は、前夜に買った「サーモン・ソテー」と「タコと胡瓜の酢物」、残ったタコもソテーした。そして、作り置いた「茹豚のニラ醤油タレ掛け」に出汁巻き卵である。

            

弁当作りを終えると自分の朝飯だが、ビールを用意して前夜に買ったアボガドを食べるべく割ると・・・黒い線が入っている。こりゃ酷いねぇ~、こんなもの置いとくなよ!。文句の一つも言いたいところである。どうも、ここで買うアボガドはハズレが多いように思う。税別258円は安いからかな?。

      

真ん中の窪みにオリーブ油と醤油を垂らして、ワサビを付けて食べるのだが・・・こんな品じゃいかんともし難い。弁当の残り菜でビール!。暇なOYAJIの束の間の幸せか?

 

昨日の弁当は、牛小間煮&炒め、ホウレン草の出汁浸し、ベーコン&エッグのスクランブルに焼鮭であった。長女は日曜の夕食「鯛めし」を食べていないので、釜に残っていた鯛飯を弁当にした次第。

          

 

 今日はこれから、横浜は馬車道の「メグスタ」なる店に出掛ける。ダーナがやっている店だが、橋本葉子さんが出ると案内をもらった。浮世の義理か?長~い~付き合いの彼女が、秋田から出てきているんじゃ、暇OYAJIは顔を出すしかない・・・。昼の部で終わるとか、今日は早い帰宅かな。

 

 

 

 

 

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雨の七夕は・・・

2019-07-07 | 弁当

7/7(日) 一日中小雨がつづいていたような気分だったが、駅前のスーパーまでデザート用の食材などを買いに出た時は一時降りやんだ。家の中に垂れこめて過ごすことにしたので、何かしようと思い立ったのがデザート作りだった。

材料が足りないので買い物にでたが目当ての品がなかった。杏仁豆腐を作りたかったのだが。そこでシュークリーム作りに切り替えた。初めてのことなので、レシピ本を見ながらヨタヨタ、ノロノロと進めるも埒が明かないので家人に教えを請うた次第。

彼女は一時、香川栄養大学の菓子専科に一年通ったので煩いんだ。あの時の授業料は俺が出したんだと云うと「何言ってのよ、自分の退職金で行ったのよ」と反論するが、その間の生活費は?と、言いたいが・・・。

ご指導を得ながら見様見真似でどうにか形にした。クリームを詰めて完成となったが、ケーキ屋さんのように美しくはないし、詰めたクリームは柔らかさが微妙に異なる。ものの、自宅用と思えば十分であろう?。

                   

そんなことをし、夕食の準備をした。買い物に出たついでに小ぶりの鯛を一匹贖ったので「鯛めし」と「潮汁」を作る。鯛は軽くあぶり焼きをしてから、土釜に入れた。入りきれないので頭と尻尾を落して潮汁になった。

出来上がりは、もう少し固めのご飯がよかったのだが・・・、問題はなかった。長女一家が来ないので、息子夫妻を呼んだ次第。ほかには鯛と一緒に買ってきたカツオのさくを焼いて「カツオの叩き」、それと冷凍の餃子を焼き、サラダにソーセージを炒めた。

暇なオヤジの一日はこうして、星空を眺めることもできない肌寒の一日を終えようとしている。もうすぐに日付が変わり、月曜を迎えようとしている。来年の七夕は何処の空の下で迎えるのか、何処に居ようと天の川を眺めて願いを呟く!。若かった頃のように・・・。そんな人生もいいかな、と思う。

 

 

 

 

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七夕の朝・・・

2019-07-07 | 弁当

7/7(日) 布団も敷かずに小さなマットレスの上で眠り込んでいた。目覚めると七夕の明け方、日曜日の早朝になっていた。戸外の空を見上げると薄積みを重ねたような空しかない。天の川を見ることも、渡ることもできそうにない空は何時までつづくのだろうか・・・。

5日の金曜日、OB会支部の総会&懇親会でかつて勤務した品川ビルに。地下二階の新聞リーディングサービスをしているボランティア団体の事務所に寄り今年度分の寄付金を託した。事務所に居たのは、このビルに勤務した頃に一緒だった女性(確かミヨシさんとの名だったはず)で、此処の会や保育園と色んなボランティア活動をしているとのことであった。

懐かしい方に会ったものだと思いながら、地下一階の食堂に向かうと、エレベーター前に後輩のHAYASHI君の姿が。剣道部の後輩で、私の最後の職場では直接の部下でもあった。先般の剣道部OB会でも顔を合わせたが、その折は私が先に帰ったので話をしていない。このビルで唯一タバコが吸えるロの字型ビルの吹き抜けスペースで一服しがら近況などを聞いた。

                  

五十人弱参加した港支部OB会の懇親会では幹事のIKEGUCI氏他、何人かの知り合いと歓談人形町して日本酒を飲んだ。その後、人形町に向かった。19時過ぎに「ちょっぷく」に入り、USUI老と合流。そしてマッチャンや会社のスタッフが姿を見せて八人になり席が足りなくなった。「高松」に電話を入れると、閉店直前であったが席を用意するとのことで全員で移動。

偶然にも「高松」にHOYA兄いが同僚と二人で居合わせた・・・。

仕事のことなど聴きながら金魚ソーダを飲り、時を過ごした。〆の蕎麦を頼んでから勘定を済ませて先に店を出た。向かったのは間違いなくHOYA兄いが居る「セイジュ」。珍しく奥のBOX席に、店を預かっているボランティアのマッチャン&フナッシーと一緒に居た。他の客がいないので寛いでいた。

兄いがカラオケを入れ、私が唄う曲をどんどんと。一向に上手くもならぬ歌を促されるままに唄うも、乗りが悪い。一時間ほどで切り上げて、再び「ちょっぷく」へ。と、YOSHIO&FUJIKURAが「高松」から流れて居た。居合わせたマジシャンクラブの客に遊んでもらい週末の夜は更ける。帰宅は零時を過ぎていた。

          

 

一夜明けた土曜日は、13時集合で新宿の居酒屋へ。なんとも分りづらい中央東口の飲食街、「遊山」なる店で、長~い付き合いとなる独身寮時代以来のエビスイ・チバ・ハマノの集まり久々の歓談。エビが、スマホをから若くて未だ髪の毛がふさふさしていた頃の写真を見せる。信じられねぇ~などど大笑いした。四人のなか、チバだけは一向に毛が減らずフサフサである。

三時間程過ごして飲食ビルの外に出ると、前に満艦飾にした自転車にチンドン屋もかくあるまいと云ういで立ちのおっさんが居た。余りの姿に声を掛けたが、返事がなかった。

              

 

最後に金曜日の弁当を記す。「トンカツ」がメインで、椎茸&インゲンのフライも少々。絹厚揚げと小松菜の煮物、ベーコンエッグ・焼きタラコである。日々似たようなものばかり続くが・・・。

            

 

さて、今日の日曜日、どう過ごそうか・・・。

 

 

 

 

 

 

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