マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

目黒・見えない空川と三つの水源…の続き

2015-02-11 | 街歩き・歴史散歩
《前回の続き》



こちらは明治初年の駒場あたりの地図なのですが、地図というよりも江戸切絵図のように絵そのものって感じかな?

とはいえ、測量技術も拙い時期に、まだまだお江戸の風情が残る郊外がずいぶん精確に描かれているのはスゴイな。。😯
駒場東大周辺の三ヶ所を水源に持つ空川も青彩色で描かれています。



お次は、明治末の地図を見てみると…👀

何故か?地図に川が見当たらなくなっていますので、青線を入れてみましたが、明治になると空川は単なる用水路のような存在になっていたのかもしれませんね。

そんな川であっても川でない?不思議な空川のお散歩の続きを。。。

🐾


🐾



現在はほとんどの場所で立ち入りが禁止されている空川の跡。
それでも古地図を見ながら暗渠を付かず離れず辿っていくと、やっと台地から川へと下り立つことができました。(古地図7番)



家屋の隙間を縫うように川跡を歩いた先に、護岸部分がガンタ積みと言われるレンガやコンクリートで組まれた基礎を持つお宅を発見しました。
よく見るとレトロな陶菅もなかに通っていますね👀



そんなお宅を見上げると、木造トタン張りでしかも三階建てなんですねーっ❗️😳(現在は改築されています)




この先の蛇行する暗渠沿いにも、なかなか楽しいレトロな箇所があります👀(ここも改築されてます)



暗渠とあわせた路上観察もなかなか油断できないこのコースっ😆

こちらの左手お宅もよく見ると、コンクリートブロックの外壁と塀が一体になっていて、なかなかトリッキーですね。




幅広い道路に出て、もう一度暗渠を振り返ってみました。(地図9番・左手建物と空き地には現在マンションが建っています)




ここまで来ると曲がりくねった道に流路のあとをわずかに窺いしるのみ。。

淡島通りも近くなると、高い建物が多くなり、まわりの雑踏もなんだか気になり始めて来ました。




それでも、横手の路地奥の階段に気づくと、ここが川底だったことがなんとなくはわかりますね(地図10番)

どうやら、このあたりで空川の3つめの水源で駒場東大内の一二郎池からの流れが合流していたはずですが、当時はここが一面の田んぼだったため、流路との境が曖昧だったのかもしれません。



暗渠は淡島通りを越えて、今は失われた旧遠江橋へと続いていきます。地図11番)
かつて、松見坂地蔵堂横に造られた小さな太鼓橋には、鷹狩りの徳川将軍が、そして明治に入ると明治天皇が行幸で渡った立派な歴史があったとか。。




お地蔵さまの隣にいまも残る橋の親柱は、江戸時代と明治末頃のもの。
かつての松見坂道路拡張工事で近くの敷地に捨てられていたのを、ここに持って来たそうですよ。




そんな空川の暗渠道は、山手通り手前のビルの合間でとうとう途切れてしまいました。




山手通りまで上がると思いっきり都会ですね…いままでの足跡がウソのようだっ😓


さて、帰ろっ🐾

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目黒・見えない空川と三つの水源をたどる

2015-02-11 | 街歩き・歴史散歩
ふたたび、ご近所の川にまつわるおはなしを。。



まずは目黒駒場東大周辺の明治末頃の地図がこちら👆

地図の北側には以前歩いた三田用水が流れていますが、今回のお散歩はその崖下を流れるこちらの空川❗️

因みに青い彩色は、ワタシが入れていますが、よくよく見ると、川を挟んだ北側と南側の等高線が細かく迫っているため、ここがかなり深い谷になっているのがわかりますよね❓

古地図を見ると、川の水源らしき三ヶ所(駒場野公園、駒場東大の坂下門口、駒場東大の一二郎池周辺)は、まさに駒場東大の周辺で、散歩を兼ねて回れそうだ。


ソラガワか。。

川の名前としての響きは良いけど、なんだか今の暗渠を予見していたような名前ですが、、ともかく源流から探ってみましょう❗️

🐾


🐾



公園でしきりに鳴いていたシジュウラくんからのスタート。



こちらは古地図1番の目黒区駒場野公園👀

まず、空川の最初の一滴は、そんな野鳥の鳴き声が響くこの公園からはじまりますが、源流探しの初っ端から湧水を確認することが出来ました👏



この湧水の恵みは、明治の黎明期に農学校の実習田として利用されたようでして、古地図には確かに谷間を田んぼの記号が続いています。
ここは、現在ケルネル田圃と呼ばれていて、都会で見られる貴重な田んぼ。
どうやら近くの学校の学生さんが農作業をしているようです。。




さて、もうひとつの水源へと移動します🐾
こっちも都会とは思えないくらいにきれいな水面でしょう?




ここは古地図2番の駒場東大第一キャンパス内、坂下門口の小川👀

湧き出た水が水面で動いていますが、ホントに生きているんですね、、水って❗️



こうして、2箇所から湧き出た流れは駒場東大駅のガードを越えた、このあたりで合流して、いよいよ空川になるはず❗️(古地図3番)

…ですが、今ではここから暗渠に転じてしまうのですね。残念っ😓

この先は古地図を見ながら、見えない川の探検が始まります。

まずは、駅前のマンションの路地脇に、取っ掛かりとなる水路跡を見つけて、そこから流れを追っていくことにしましょう🐾




が、出だしからいきなり立ち入り禁止路に💧💧
(古地図4~5番あたり)




この先も、歩いちゃダメ❗️と赤い札が、シート張りの殺風景な暗渠への立ち入り禁止を無情にも訴えてます。

近くを流れる北澤川は、同じ暗渠でも、今は住民に優しいお散歩コースになっているのに。。




ますます護岸の積み上げが高くなっていますが、確かにここは古地図では等高線がかなり詰まっている場所のようですね👀

相変わらず、暗渠への立ち入りは禁止ですけど😑




こうして川跡を眺めながら辿っていくと二股に出ました。

ここ、ナンのこともない場所に見えますが、実は右に続く道は、徳川将軍が駒場野で狩をした際にたびたび通った「御成道」らしいのです😳
(古地図6番)


そんな、御成道に架かっていたといわれる旧御成橋あたりで肝心な暗渠を見失う事態に💦



古地図で位置を同定して、なんとか近くのマンションの敷地に暗渠へと降りる階段を見つけました。

が、、しっかり施錠されているため、またまた降りることは叶いませんね😓

そして、後で分かったのですが、このマンションの敷地に昭和のはじめ頃、マレーの虎と呼ばれた山下陸軍大将の邸宅があったらしいのです❗️

なんだか、都会の暗渠には、将軍やら大将やらといろんな要素が纏わりついているんですね、、😅



再び、縫うように続く狭い暗渠を崖上から追いかけていきます👀

家屋が迫った細い水路跡は、当初の大切な灌漑の役割から、裏路地の生活排水路へと変わっていった川の姿が偲ばれますね。。




やっと川底まで降りられそうな階段を見つけました❗️

眺望が効くこの高台からは渋谷の景色を見下ろすことができました。(古地図7番)




階段を降りると、いよいよ幻の空川の上に着地することが出来ました❗️👏👏



次回に続く。。。🐌


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