マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

小野路から八王子みちを辿ってみる 5

2019-11-11 | 街歩き・歴史散歩
小野路からの八王子みちも、多摩市の丘陵を後にして、いよいよ大詰めを迎えています🐾


まずは京王堀之内駅周辺でその先に続くはずの消えた古道のカケラ探しから。。


ひとまず、古地図の聯路でその先の目測をたててみる👀


次に実際歩くための地理院地図を眺めてみる👀

うーん🤔
取っ掛かりになりそうな川や橋の位置も、治水工事や町の開発で大きく変貌したために、目当ての道が失われて、この先の難易度が最大級に上がっているようです💧


全体ばかりを目で追っても仕方がないので、駅の西側の南八幡宮を基点にして、地図を見比べながら、丁寧に辿ってみることに。。


まずは、お宮の横を南北に通る155号線を横切ったあと、、


道ひとつ入った先を北上してみます。


大栗川に出ました👀
昔の橋はどうやらこの辺りにあったようです。


現在の大栗川に掛かる橋の上から、支流の大田川との合流点を眺めています。
川に挟まれた三角地は松木という土地らしいですが、ここにも中世武士の遺構があちこちにあるのだとか。。
ちょっと興味が出たものの、やはり、よそ見は止めておきましょう💧



橋を渡ると、この道路が野猿街道ですね❗️

この道路を進めば、もはや迷うことなく八王子まで辿り着けますが、古道歩きに徹するには、再び野猿街道を外れて、このコンビニから北西に標高を上げつつ、唐木田の山へと進まなくてはいけません。。

どうやら、この野猿街道は昭和に入ってからの命名らしく、今回初めて知りました。



野猿街道を外れると、あたりはすっかり区画整備されていて、古道のカケラなど見当たりません💧

仕方なく、地図の等高線から判断して畑から向こうの畑へ、、と消えた経路を点で繋いで進むことにします。


その先、緑に囲まれた石仏のある公園に入りました。


この越野下根公園を古道は抜けていたようです。


公園を出た道が、谷戸のような風情に変わりました。
この曲がり具合からも、再び八王子みちを捕まえたようですっ。


古道の脇道に残る観音堂もなかなかの風情があります。

ちょうど掃き掃除をしていた方曰く、脇道を上がった先には日枝神社と別当寺の玉泉寺が並んでいて、昔はもっと細い道だったのを、車が入れるように広げたのだとか、、。
つまりはここ私道なんですねー。


日枝神社や玉泉寺も立ち寄りたいものの、先が長いので、ここも忠実に古道を辿っていくことに。。

玉泉寺門前のコスモスがなかなかの古道映えをしていますなっ笑


バス道に出ました👀

由木中央小学校のバス停が目の前に立っていますが、古地図上の小野路からの里道記号(聯路)が、ここで県道(実線)に変わり、八王子まで続いていることに気付きました。

それは、おそらく明治時代に主要な貿易品だった八王子の絹糸を横浜まで、より早く正確に運搬するために八王子近辺の道が整備されたためでしょう。

この県道もこの先、比較的平坦な場所を選びながら、小山田から横浜へと繋がっています。
一方、今まで歩いたような遠回りの山道だらけで、とっても大変な小野路みちは、こういった事情からも、その役割が失われていったことが考えられますよね。。

改めて、古地図の線の描き方ひとつで、いろんな見方が自分勝手に出来ちゃうのも古道歩きのたのしみかなっ😆


はなしを戻して、続く道の先に立派な寺標が現れました。


立派な朱塗りの総門に出迎えられて、なんだか相当な古刹のようです。。

ちょっとこればかりは、無視できないので、覗いてみることにします。


なんだか、、💧💧
マトリョーシカ的に、門の奥にも門が、そのまた奥にも門がありますね❗️

そんな説明板を読んで、おおよそわかったことは、北条氏照が婿養子に入った大石家の居館(由木城)だったのがこの寺で、その後氏照が助成したことから、今に残る立派な伽藍を持つ寺にまでなったのだとか。。

小野路城や八王子城を支配した北条氏照との深い関わりがここでも発見できました。


そろそろ書き飽きてきたけど、あと少し続きます。。。🐌


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