前回は戦争中に使われた民間用の防火水槽をいくつか周りで探してみましたが、それより昔の災害痕が、町の一風景として残っているはなしを、今回してみたいとおもいます。
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下北沢の町はずれで見つけたレンガ造りのこちらの擁壁。
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レンガばかりかいろんな石も入っているらしく、見ればみるほどなかなか面白い顔の壁なんですよ。。👀
広く整然とした住宅地に、ここだけ時間が止まったままのような雰囲気を感じて、立ち止まって見ていると、偶然に近所の方から、お祖父さんのはなしとして、この壁は大正時代の大震災で崩壊した近くの工場のレンガ材を使った擁壁の一部分だと教えてもらいました。
震災後に裏の山を切り崩して住宅地にした際、このレンガの擁壁はずっと上にまで続いていたのだとも。
「山」だったという言葉が印象的でしたが、以前に書いたブログ記事のなかで2.26事件の栗原中尉一家が駒場で罹災したあとに移り住んだ松見坂一帯はそれまでただの「田んぼ」だったわけですよね。。
改めて、100年も前の震災をきっかけに、山や田んぼの広がるのどかな村の風情が人の移住で一気に都市化したことを窺い知るエピソードだな、と思いました。
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で、こういう造りはガンタ積みと呼ばれているそうですが、このガンタ積みの壁は下北沢あたりにまだまだありそうな気がしたので、探してみるとやはりありましたっ❗️
こちらはアパートの外壁として今も現役のようですが、草に覆われたレンガの古さが建物と似合ってました。
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よく見ると、コンクリートで固められたレンガの塊は完成したパズルのようで、陶器製の排水管がきちんと通っているところにも、壁としての本気度が感じられます。
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また、レンガと大谷石が重なったこちらの壁は、狭い道筋の駐車場で発見しました。焼けたように黒ずんでいるのがなんだか印象的ですね。
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池の上駅近くの住宅街の庭先には小さな壁がありました。
ここ、花の季節は隠れてしまって、なかなかわかりにくいのですが、、。
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少し離れた松見坂近くのビルの外壁は、コケが生えていて、見るから盆栽のようになっているのが面白いですね❗️
…と、もう少し足を伸ばしてみると、まだまだありそうな古びたレンガの壁ですが、どれもが100年前の災害の瓦礫で造られたかどうかは不明ですが、この土地を歴史的にみた時間枠と地理的な根拠に加えて、そこに住む人の確かな証言からも、なんだかありえそうな気がしてきます。