抽象絵画における抽象の諸方向1
絵画という表現物において、何を抽象するのか、具象的対象から出発すれば何を捨象するのか?
システム分析的に見ると、その構成要素は物質的なもの(支持体や絵具)である(なお、Mahner & Bunge 1997では構成は物質的要素に限られているが、システムとして具体的に実在するものばかりでなく、われわれの構築体についても、システムとして捉えることができるから、わたしは、システムという概念を何についても適用できるように拡張する)。この物質性を捨て去りたいとすれば、一つの例は記号で構成することである。むろん、記号を表示するためには、書かれるか発声されるかとかしなければならないから、まったく物質性を無くするというわけにはいかない。
作品としては、たとえば記号に満ちたものが考えられる。例として、クレーのいくつかの作品がある。さらには、記号の一種と言える言葉で構成されている作品、たとえば或る小説本も、絵画作品と言える。書は、(通常、墨で描かれた)抽象絵画である(もっとも、書と画(旧字は畫)に分類することは便利である)。液晶絵画が考え得るように、液晶で表示された小説(すでに電子本として実現されている)もある。電子本は、数多くの絵画から順序だてられて表示される組み作品である(と考え得る)。
絵画という表現物において、何を抽象するのか、具象的対象から出発すれば何を捨象するのか?
システム分析的に見ると、その構成要素は物質的なもの(支持体や絵具)である(なお、Mahner & Bunge 1997では構成は物質的要素に限られているが、システムとして具体的に実在するものばかりでなく、われわれの構築体についても、システムとして捉えることができるから、わたしは、システムという概念を何についても適用できるように拡張する)。この物質性を捨て去りたいとすれば、一つの例は記号で構成することである。むろん、記号を表示するためには、書かれるか発声されるかとかしなければならないから、まったく物質性を無くするというわけにはいかない。
作品としては、たとえば記号に満ちたものが考えられる。例として、クレーのいくつかの作品がある。さらには、記号の一種と言える言葉で構成されている作品、たとえば或る小説本も、絵画作品と言える。書は、(通常、墨で描かれた)抽象絵画である(もっとも、書と画(旧字は畫)に分類することは便利である)。液晶絵画が考え得るように、液晶で表示された小説(すでに電子本として実現されている)もある。電子本は、数多くの絵画から順序だてられて表示される組み作品である(と考え得る)。