生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

抽象絵画における抽象の諸方向1

2010年02月03日 01時49分51秒 | 美術/絵画
抽象絵画における抽象の諸方向1

 絵画という表現物において、何を抽象するのか、具象的対象から出発すれば何を捨象するのか?
 システム分析的に見ると、その構成要素は物質的なもの(支持体や絵具)である(なお、Mahner & Bunge 1997では構成は物質的要素に限られているが、システムとして具体的に実在するものばかりでなく、われわれの構築体についても、システムとして捉えることができるから、わたしは、システムという概念を何についても適用できるように拡張する)。この物質性を捨て去りたいとすれば、一つの例は記号で構成することである。むろん、記号を表示するためには、書かれるか発声されるかとかしなければならないから、まったく物質性を無くするというわけにはいかない。
 作品としては、たとえば記号に満ちたものが考えられる。例として、クレーのいくつかの作品がある。さらには、記号の一種と言える言葉で構成されている作品、たとえば或る小説本も、絵画作品と言える。書は、(通常、墨で描かれた)抽象絵画である(もっとも、書と画(旧字は畫)に分類することは便利である)。液晶絵画が考え得るように、液晶で表示された小説(すでに電子本として実現されている)もある。電子本は、数多くの絵画から順序だてられて表示される組み作品である(と考え得る)。

トリチウムを海に放出

2010年02月03日 01時00分07秒 | 生命生物生活哲学
 インペーは国際語だそうである。日本企業のお手のものと受け取られているらしい。
 2010年2月2日20時12分のasahi.comニュース
http://www.asahi.com/national/update/0202/TKY201002020362.html
によれば、原発で配水管の誤接続が見つかり、福島第二、福島第一、そして柏崎刈羽での計30カ所のうち、
 「17カ所は微量の放射性物質トリチウムを含む水を排出していた。いずれも検出できないほど微量か、法令基準以下で環境に影響はないという。」
と報じている。
 食物連鎖を通じての生物濃縮による危険は(未来世代に対して?)無いのか?


作品とその設置環境

2010年02月03日 00時31分30秒 | 美術/絵画
作品とその設置環境
 平面作品であれ立体作品であれ、その鑑賞は作品が置かれた周囲の状況にも依存する。音楽の場合では、大きな雑音が良く発生するとか駅構内なので、ときおり列車案内が入るとかがある場合、それらを勘案した展示(演奏)の仕方や、さらには作品自体も検討することになる。美術作品でも同様である。「ミニマリズム以後、空間全体を作品として提示するインスタレーションという形式が現代美術の手法として一般化し」、美術家は、「作品の周囲の空間を強く意識するようになった」(鷲田めるろ.井上有一展示問題.http://www.artgene.net/dictionary/cat11/post_565.html .受信:2010年2月3日)と言われる。すると、美術作品の境界はどこにあるのか。
 作品物体が明確な場合でも、鑑賞者が鑑賞するときに及ぼす効果は、その鑑賞者の様々な環境条件に左右される。美術館は、鑑賞のための一応の基準を満たしているだろう。ところが、或る物体が広大な暗い空間に置かれている場合と、狭くて天井の低い明るい空間に置かれている場合とでは、見え方や、音も出す作品では周囲の音条件によって異なってくる。作者がその作品のもくろみから、提示の仕方も指定するべきだと考え、さらにはその環境も作品を構成すると考えるかもしれない。この場合は、作品の境界は作品物体よりも広がる(関連することを挙げれば、Mark Rothkoがシーグラム壁画の契約を破棄したのは、その環境条件が合わないと判断したためとされている)。
  作品の境界=当初作品物体の境界+その環境
 これはさらに入れ子状になり得る。
 したがって、作品の境界は、作者の主観的なもの、あるいは鑑賞者の主観に依存したものになる。では(客観的な、あるいは主観的な)測定はどうすればよいだろうか? 
  1. 作品物体が認識できる場合、その中心位置を決定する。
  2. 作品物体からの『力』の種類と程度(=方向と強度)を中心位置からの距離の関数として決定する。たとえば、絵画を見る位置と様々な力(の種類と程度)との関係を測定する。或る個人(の諸性質)とその人が受け取る力を距離との関係で測定する。

 これを逆様にしたい作者もいるだろう。鑑賞者を中心にして、ほとんどまたはまったく周囲を作品で覆うという展示形態である。やや開放的な空間としては、入り靴のある広い室内の四方に大きな絵画を掲げるとか、部屋中に多数の立体を置いたり吊るしたりするという展示である。もっとも、要素数が2つ以上であれば、(とりわけ作者が組み作品だとしている場合は)展示位置の関係も含めての全体が一つの作品である。

 アフォーダンス?

指図芸術 instruction art

2010年02月03日 00時18分06秒 | 美術/絵画
指図芸術 instruction art
 指図書は、音楽では楽譜に当たる。具体的な行為として解釈され(音楽ならばどのような時にどんな音がどんな強度で発音されるのか)、そして演為(perform。演奏、演劇などを含む一般語)されなければ、作品はこの世界に出現されない。なお、指図書または指令書そのものも(なんらかの物質的形態で存在するならば)作品だと解することは可能である。たとえば素描を、作品として受け取ることはできるのと同様である。
 instruction artは指示芸術と訳されるようだが、指示はreferenceの専用に当てたいので、instructionは指図とする。指令芸術のほうが言いやすいように思えるが、指令は「上位の者から下位の者へ下される指図、指示をいう。」(類語例解辞典)とあるので、また指令はorderに当たることとして、指図芸術としたい。