◆ ○△□と●▲■:外郭線と内部塗り(平面絵画の場合)
人が輪郭を検出することは、物体( (material) body。なお、objectは概念的対象を含んだ広義の対象として用いることにする)または物(thing: Mahner & Bunge 1997, Bunge 2003での意味)の密度の差にもとづいたものだろう。気体中または液体中に個体的固体が位置している(存在している)という経験は、日常的である。氷(固体)の中に、気体状態や液体状態の物体が存在していることも通常のことであるが、人はあまり気にしない。とりわけ気体は視覚的に認識することが困難である(触覚的には、たとえば風圧として認識するかもしれない)。
物または物体としてそこに存在している。立体作品の場合は、おそらくわれわれの視覚的学習から、それは実在していると受け取る。そして実際、近づいて触ったり、叩いて壊してみたりするかもしれない。
平面的絵画の場合、(なんらかの技法が使われていて)立体的に感じられる球体は描かれてるのであって、存在感は鑑賞者が仮構する。描かれた球体は人の内部に(脳内に?、心象として?)存在する。絵具や支持体に存在するわけではない。あくまで、視覚的な契機である。それは伝達として捉えることもできよう。ただし、その伝達内容はどのような種類の物体であるか、といったことになる。抽象絵画(の一部)は、そのような伝達機能を使わない(むろん使っても自由である)。
輪郭的な描線だけの場合と、輪郭内部を(たとえば真っ黒に)塗りつぶす場合とを比較してみよう。たとえば、○と●である。
実際に樫材の球体が、平面台に置かれているとしよう。それは、物としてそこに存在している。立体作品は、実在するものとして存在感があるだろう。ここでむろん、「存在感がある」という述語は(実はいかなる述語もシステム主義からすれば)、対象(の性質なるもの)と主体(の知覚装置の性質)と環境の相互作用関係という三項述語である。もっと精確には、三項述語と捉えるべきではなく、或る(時々刻々と変異する)作用圏におけるシステム述語である。
小腹が空いたので、休憩。
要は、実在的だと感じられる表現物の種類と程度を分類し、それらの分類カテゴリーごとに製作および展示について分析せよ、ということ。(これにて散開。)