生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

三次元的幻影の撲滅/モンドリアン

2010年02月27日 01時03分53秒 | 美術/絵画
三次元的幻影の撲滅

 抽象絵画と言えば、その極北としてモンドリアン。
 (幸か不幸か、)われわれの世界においてわれわれは、物体の位置を三次元的に指定できる(むろん、このことは三次元的世界が実在するということを導出しない)。立体視できることとは、奥行きを想定してしまうということにつながる(むろん、100%必然的ではない)。
 そういうわけか、どういうわけか、画面において矩形のなかに小さな矩形があれば、多くの場合は小さな矩形が画面の前方に位置していると錯覚する(そのように視覚的解釈を行なう)。
 モンドリアンの1917年の「青によるコンボジションA」では、それゆえ奥行きが感じられる(かもしれない。ひょっとして人によって異なるかもしれない)。モンドリアンが取材に答えていったところでは、「キュビスム〔cubisme〕の意図はヴォリューム〔量感〕を表現することだった。三次元の空間ーー自然の空間ーーはこうして存続した。だから立体主義は基本的に自然の表現にとどまり、そして真の抽象芸術ではなく、単に抽象であった。」(岡田隆彦 1973:〔頁数の表示はないが〕16頁)。

 ところで、日本における抽象絵画の先駆者とされる山口長男は、三角や丸といった具象を書いたのだと発言したと言う(おそらく、池島 2007にそう書いてある)。→幾何学的形態は抽象的か? 幾何学的空間においては、具象的。つまり、現実感realityは相対的。

 同調性に基盤を置く表現がローアートだと定義?している、彦坂尚嘉の〈第41次元〉アートでは、山口長男のドローイングもペインティングも、「言語判定法で見ると、なんとメインの代表作もまた、すべてローアートであった」(http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2008-01-18)そうだ。

[I]
*池島充.2007.8.山口長男:終わりのないかたち.清流出版.[ISBN 9784860292164]