2012年8月22日-5
リスク論って、何なのか?
『リスク学入門』という全五巻が、2007年7月から11月まで毎月刊行で岩波書店から出ている。
第一巻『リスク学とは何か』の「共同討論 リスク論からリスク学」は、なんらかの結論的なことはまとまらず、とりわけ体系的理論構築をめざして「学」と銘打ったにしては、リスクの定義にしろ、方法論にしろ、こうですというものは無く、あまりにも粗雑なままで終わっている。
次の「第一章:経済学におけるリスクとは」は、ベルヌーイのコイン投げゲームが69頁以降に紹介されている。宝籤でもロトでも、個人が賭け事をするときに一番考えるのは、自分に高配当があたるかどうかである。一般論とこの個人的行為との関係を解明したのは無いのだろうか? 知りたいところが、知らん顔されている。
→あなたは、十発の弾倉のある拳銃に弾を一発こめて、弾倉を沢山沢山回転させる。あなたは、その拳銃の引き金を一回引きますか? ロシアン・ルーレット銃です。発射されれば、あなたは死ぬでしょう。引かない? では、百発に一発なら? 一万発に一発なら? 十万発に一発なら? なんで、そんな賭けをさせられなあかんのか、と思いません?
→放射能当たり籤と線量測定と生体内放射能影響メカニズム。
「原発事故をきっかけに、「リスク学」関係の書籍に目を通している。付け刃の勉強だが、一つだけ確実にわかったことがある。「リスク学」は原発推進の「露払い」の役目を果たすことはあっても、「原発のリスク」そのものを、まともに取りあげ「マネージ」し、ストップをかけることは決してなかった。「リスク学」のような雑多な寄せ集めの新興ガクモンに「御用学問」というレッテルを貼るのは酷かもしれないが、「迂闊な学問」であったことだけは確かだ。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64340410.html
上記引用以下、リスク論に対する、簡明にして的を得た批判が展開されている。
このブログ処には、脱成長についての記事もある。
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/65458305.html
また、
「特に京都大学の山名教授は、重大な事故が起きたからといって、事故のコストまで原発のコスト評価に含めるのは「感情的な反応」だとして、大島氏の主張を批判している。また、他の委員からも、「高速増殖炉サイクルのコストを原発コストに含めるのはおかしい」(松村敏弘東京大学社会科学科教授)とか、「世界への影響を考えると、原発コストを高く見積もり過ぎることは問題」(柏木孝夫東京工業大学ソリューション研究機構教授)といった、あり得ないような議論が交わされていた。
しかし、大島氏が指摘するように、事故のコストは既に発生している現実のコストで、これを国民は負担しなければならない。また、その他の原発関連コストの多くが、これまで発電コストとは別に、補助金という形で国民に押しつけられてきたことも事実。こうしたコストを計算に入れずに、公正なコスト検証が本当に可能なのだろうか。
〔略〕
――「二項対立を乗り超えた国民的議論を展開する」「エネルギーのベストミックス」「定量化」というキーワードが、まやかしのマジックワード、国民を黙らせるための呪文になりつつあるようです。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64835555.html#64843388
リスク論って、何なのか?
『リスク学入門』という全五巻が、2007年7月から11月まで毎月刊行で岩波書店から出ている。
第一巻『リスク学とは何か』の「共同討論 リスク論からリスク学」は、なんらかの結論的なことはまとまらず、とりわけ体系的理論構築をめざして「学」と銘打ったにしては、リスクの定義にしろ、方法論にしろ、こうですというものは無く、あまりにも粗雑なままで終わっている。
次の「第一章:経済学におけるリスクとは」は、ベルヌーイのコイン投げゲームが69頁以降に紹介されている。宝籤でもロトでも、個人が賭け事をするときに一番考えるのは、自分に高配当があたるかどうかである。一般論とこの個人的行為との関係を解明したのは無いのだろうか? 知りたいところが、知らん顔されている。
→あなたは、十発の弾倉のある拳銃に弾を一発こめて、弾倉を沢山沢山回転させる。あなたは、その拳銃の引き金を一回引きますか? ロシアン・ルーレット銃です。発射されれば、あなたは死ぬでしょう。引かない? では、百発に一発なら? 一万発に一発なら? 十万発に一発なら? なんで、そんな賭けをさせられなあかんのか、と思いません?
→放射能当たり籤と線量測定と生体内放射能影響メカニズム。
「原発事故をきっかけに、「リスク学」関係の書籍に目を通している。付け刃の勉強だが、一つだけ確実にわかったことがある。「リスク学」は原発推進の「露払い」の役目を果たすことはあっても、「原発のリスク」そのものを、まともに取りあげ「マネージ」し、ストップをかけることは決してなかった。「リスク学」のような雑多な寄せ集めの新興ガクモンに「御用学問」というレッテルを貼るのは酷かもしれないが、「迂闊な学問」であったことだけは確かだ。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64340410.html
上記引用以下、リスク論に対する、簡明にして的を得た批判が展開されている。
このブログ処には、脱成長についての記事もある。
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/65458305.html
また、
「特に京都大学の山名教授は、重大な事故が起きたからといって、事故のコストまで原発のコスト評価に含めるのは「感情的な反応」だとして、大島氏の主張を批判している。また、他の委員からも、「高速増殖炉サイクルのコストを原発コストに含めるのはおかしい」(松村敏弘東京大学社会科学科教授)とか、「世界への影響を考えると、原発コストを高く見積もり過ぎることは問題」(柏木孝夫東京工業大学ソリューション研究機構教授)といった、あり得ないような議論が交わされていた。
しかし、大島氏が指摘するように、事故のコストは既に発生している現実のコストで、これを国民は負担しなければならない。また、その他の原発関連コストの多くが、これまで発電コストとは別に、補助金という形で国民に押しつけられてきたことも事実。こうしたコストを計算に入れずに、公正なコスト検証が本当に可能なのだろうか。
〔略〕
――「二項対立を乗り超えた国民的議論を展開する」「エネルギーのベストミックス」「定量化」というキーワードが、まやかしのマジックワード、国民を黙らせるための呪文になりつつあるようです。」
http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/64835555.html#64843388