心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

ローラーに油絵の具で

2009-08-13 | 書の話
                         (2×8尺)



昨日ご紹介した日本書展に以前、一度だけ出品した時の図録めっけ。
Claymanさんに見てみたい・・ってコメント頂き、図々しくも載せちゃいます。
いやはやもう16年も前のこと。

当時、版画用の硬いローラーに油絵の具をつけて、
画仙紙に書くというのにはまっていて。
これは甲骨文字をイメージして、自分なりに瞬発的に感じるままに
造形を組み合わせていった作品。

油絵の具やテレピン油が臭くて、防塵マスクをしながら書いてたっけ。
それでも1日書いてると目が回って。

何枚も書いたけど、同じものは1枚もなく。
硬いローラーの面、側面を使って、叩いたり回転させたりしながら
筆脈、抑揚も表現しようとした跡がちょっと見えます?
でも、なんか単調。。

そうそう。。
当時、上野の精養軒での懇親会に参加したら、会場一杯の大きな輪になって
みんなで手をつないで何か歌を歌った記憶が。。 知らない歌だったけど。

改めてご縁に感謝 



故中島司有先生の作品(15回展図録より拝借


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き様を作品に・・

2009-08-11 | 書の話
                          (半紙)


久々に木簡臨書。
やさしい感じに~のリクエストで、羊毛のやわらかい筆で。

ここんとこ、気持ちに骨がなくなってる気がする。
「刹那的になっちゃだめだ」と、諭され・・。

 *刹那:仏語。時間の最小単位。きわめて短い時間。瞬間。
 *刹那主義: 過去や将来のことは考えず、ただ現在の瞬間を充実させて
  生きればよいとする考え方。
                          「大辞泉」より


おっ・・まさに。。見破られてる・・。

「生きなきゃだめだ。何があっても図々しくずんずんと生きなきゃ」
「書も知らず知らずに骨なしになるぞ」

なんでかなぁ・・以前は今よりは、ぐんぐんずんずん派だったような

そんなことを昨日から考えていたところで、たまたま見たスマスマに長渕剛が出てて。
ビストロのあとに、なんと気合入魂!の書のパフォーマンス!

荒々しく、力強く、ものすごい速さで筆を走らせ。
でも全然読めない・・たぶん本人もあとで解読不可なくらいだけど
まさに書は人なり!を痛感。

最後に歌った曲は 「蝉」 semi (←ここをクリックで聴けます)
普段ほとんど聞いたことないけれど、夏の暑さもぶっ飛びます!
歌の内容と風貌と、バックに掲げられた巨大詩書画の一体感を体感してみて下さいまし。

蝉が鳴く~ちくしょうとっ♪

そろそろ眼を覚まさなきゃな・・
生き様を書に託せるような作品が書きたいぞよよよよ・・

あ・・生き様なんてすごい偉そうなもんじゃなくてね、
私のそのまんまを、探して見つけて、形にできたらな~ってね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書の道は遠し  されど・・

2009-07-18 | 書の話



ここんとこ猛暑だったせいか、夜眠れず睡眠不足。
でも昨日は久々にちょっとだけ涼しくなって、体力を何とか温存。

今日はこれから 日本蘭亭会東京展 に行ってきま~す。
恐れ多くも場違い?で出品しているので、ドキドキしつつ
いっぱい恥と汗をかいて参りますです。

夕方からは母も一緒に懇親会に参加予定。
今までにお目にかかったことのない方ばかりなので楽しみです。






で。
昨日何となく you tubeで書道って検索して見つけた、柿沼康二氏の臨書の動画。
NHKの大河ドラマ「風林火山」の題字を書かれた方。

独立書人団 の創設者である手島右卿を師とされた 柿沼康二氏 の臨書される様子に
あぁ・・そうだ・・
私の臨書なぞ、全くもってなっとらん・・と猛省するばかりなり 

あの粘っこい墨でじっくり書かれる筆の動きを、瞬きもせず何度も見る。
紙に向かうあの何ともいえない心地よい緊張感と、静寂の興奮を思い出し。

日々に追われて・・は、逃げてるだけさねと、ため息つく。
書の道も遠し・・されど諦めずに、継続は力なり・・と。




臨書とは打って変わっての、書パフォーマンスもあり。
動と静、どちらも魅力あり。

途中、空手があるのは・・
繊細と豪快、瞬発と持続の共通点みたいなのを、表現したかったのかなとか
思いつつ拝見。






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「書の理」へ執筆させて頂き

2009-06-25 | 書の話
                彷書月刊 7月号 表紙の筆文字は桃太郎さん




このたび 桃太郎さん のご紹介で、彷徨舎の月刊情報探求誌に
恐れ多くも  記事を書かせて頂き。


7月号の特集は「書の理」 今日6月25日発行。

桃太郎さんのインタビュー記事、書家の北村宗介氏
中村山雨氏、平蔵氏、墨人会の樋口雅山房氏、篆刻家の古田悠々子氏
現代美術家の曽我卓史氏ギャラリー柳井の柳井利之氏、などなど、
それぞれの分野で活躍されているばかりの中で、お恥かしい限りだけど 


テーマは「書の表現ツールとしてのブログが気づかせてくれたこと」




書を学ぶこと、自分の殻を破る作業でもあるブログを淡々と続けることは、
自分らしく生きればいいんだということを気づかせてくれたという思いを綴り。


それぞれの方の記事を拝読するほどに、もっともっと、裸になって勉強しなきゃ・・と
反省と興奮を覚えるなり 

桃太郎さんと、お世話になった編集部の皆川さんに感謝を致しつつ。。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石鼓文はあったかくてやさしい時間

2009-06-05 | 書の話
                       石鼓文臨書 (半紙)




教室でKさんと勉強中の石鼓文。
迺・楽・巒(←下の部分は山でなくて金)・車。

←原本

最初に書いた半紙右側のは、おっとりとした線を思って一定のリズムで。
次に左側のは、、筆を細いやわらかい羊毛のものに変え、軽妙洒脱を思って。

あ・・またどこからか、遊びすぎでしょそれは・・ って聞こえてきそう。。

石鼓文の臨書といえば青山杉雨氏・・・何度か展覧会でも拝見したことがある。
正直申し上げて好みではないけれど 鋭い独特の線とフォルムは印象的。
こんな風に感じておられるのかぁ・・という、ビームはビビビと伝わる。

この石鼓文、石碑に彫られた文字なので、強くて厳しい線で臨書される方が多いような。
それももちろん納得 

でも私は、どこかあったかくてゆったりとした時間を感じちゃう。
ちょっと太目の、白い割烹着を着たやさしい笑顔のおばちゃんとか想像しちゃう。

で、半紙右みたいな感じに。
左のは、お気に入りのへなへなの筆を持つと、勝手にこんな感じに。
教室では、脳みその中どうなってるの~?って、皆様少々呆れ顔


臨書は楽し。
楽しや臨書 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

答えが先なのではなく

2009-05-22 | 書の話
                      「乃孫乍且」  (半紙)



教室でTさんが取り組んでおられるので、久々に金文の臨書。
最初はちゃんと形臨、そして筆を変えて違う表情にしたらこんな感じ・・とか意臨する。
(形臨:文字をなるべく忠実に真似て書くこと 意臨:書き手の意を汲み表現すること)

金文は左右対称、直線的、デザイン的な印象だけど、羊毛のやわらかい筆を使って
もっと自由に表現することだってできる。

「乃」は半紙全体の空気を吸い込むように包み込むように
「孫」は「子」が「糸」を連れているような表情に
「乍」は「乃」の空間をより広く感じるように縦長にして
「且」は逆に墨量もやや多めにして太っちょにして安定感を持たせ

(ちなみに「且」と「乍」の間の□は雅印を捺す位置の目安)


書はもちろん、線や空間のゲイジュツでもあるけれど
そこに思想がなければ何も響いてこないって思う。

文字そのものに意味を持つ「書」というものは、ある意味それが弱点になることもあるような。
たとえば、ゲイジュツとして全体を捉えて欲しいのに、人はつい・・すぐ聞きたがる。

「これ、なんて書いてあるんですか?」

ゲイジュツに確信犯の答えなんかいらないのであ~る
まず答えや結果を求めるから、その先の発見や感激に出会えないわけで 

そして、人と人の関係もまた似ているような
この人はこうに違いないとか、自分の価値観の中に当てはめずにいられないのが常らしく。


私は・・人の、そして人と人の可能性も無限であると信じたいな。
いつも心はニュートラルに 

答えが先なのではなく、永遠に答えのない答えを
寄り道しながら、口笛を吹きながら探し続ける人生でありたいなって思う



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隷書の魅力は運筆のリズム

2009-05-20 | 書の話
                          (半紙)



「花開萬国春」 ~花開いて萬国春である を、隷書で書いてみた。

季節は巡り、もう春というよりも初夏ではあるけれど。
もっとじっくり粘っこい線で書かなきゃな・・と、ため息ついて中。

でも、久々にちょっとだけ書の話 

隷書は、漢字の歴史の甲骨文、金文、石鼓文、篆書ときたあと、石門頌、乙英碑、礼器碑、
史晨前碑・史晨後碑、曹全碑、張遷碑といったそれぞれに特長のあるものがある。

 ←曹全碑

そして八分体とも言われ、特に横画を書く際、逆筆で入り八の字を書くような流れの運筆、
終筆は、一端筆を沈めてから押し上げるところが特長のひとつ。
・・って、ことばで説明するのはなかなかむずかしいけれど
マウスで書いてるからうまく書けないけど・・(↓)



たとえば写真の曹全碑。
これは教室で隷書を勉強したい方に、最初にオススメしている古典。

その八分体の伸びやかさを強調するためのもうひとつの特長が、
たとえば初めから3つ目4つ目の「全」「字」のように、傘を大きめにして
中はキュンと幅を狭くすることによって、より傘なり横画が大らかに見えたり。

「人」「也」のように、片側に重心を寄せてその代わり、人の2画目、也の3画目を
腕全体でリズム良くはらうことで、自由で生き生きとした文字になる。

隷書はつまり、このリズムが魅力のひとつと思う。
興に乗ると実に気持ちがいいもので


そしてこの隷書、早く書けるようにと草隷(隷書の草書体)、木簡へと変化していき。
行草も魅力的だけど、私にとっては書きたいって衝動に駆られる書体のひとつ。

線を鍛えるのには、よいかも



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨書の先の表現こそ

2009-05-11 | 書の話
                       石鼓文 臨書2種




書を始めて20年位になるけれど、行草、楷書の道はあまり通ってこなかった。

書を始めたいと思う人の多くは、キレイな文字が書きたい・・から始まるようだけど
私の場合 中川一政の書 を見て「こんなのが書きたい」だったわけで。


それでも一番最初に臨書したのは蘭亭叙。
その間に私の個性を感じ取って下さった師は、その後敢えてきちんとした楷書や行書を
選ばず、龍門造像記、隷書、木簡、甲骨と時代をさかのぼり。

師は時々「本物とは、きちんとした書も書けた上で、遊びのある書が書けることだ」と
本筋からずれようとする私を戒めて下さっていたけれど、
本能的にというか、どこかできちんとした書が書けるようになったら遊べなくなると
避けて通ってきたところもあり

けれど今頃になって、きちんとした楷書が書けたらなぁ・・と反省も含めて思う日もある。

それでもあれもこれも完璧になんて、怠け者の私には無理だから
せめてこれだ!と思ったものだけでも、探し続けたいって言い訳混じりに思ったり

それにしてもつくづく私は、師に恵まれたなぁ・・と有難い思いが日々募る。
感謝感謝の一念なり 


今日の臨書は、石鼓文。

教室にいらしてるKさん、初めは強くてシャープな印象で書かれていたけれど、
私は逆にのんびりあったかい線で書きたくて、こんな感じに。
右のはちょっと遊びすぎだけど

臨書と言っても、表現は様々。
書を学ぶということは、ただ形を似せて書くことだけではなくて
まずは形、そしてその先の自分らしい表現を探すことこそ、書の魅力かなって思う。

それは最初に書きたいって感じた時と、今も全然変わっていないかな。



↑臨書の場所とは違うけど原本はこんな感じ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感じる前に始めても

2009-04-20 | 書の話
                          (半紙)



龍門小品造像紀の臨書(一部)。

世界遺産でもある、中国は龍門にある石窟には多数の磨崖仏があり、
そこには人々の願いが刻まれていて、そこにある文字を造像記といい。
六朝時代の「六朝楷書」を代表する書蹟。


          ↑龍門の磨崖仏

書を学び始めて間もなく、師の導きによって知ったこの造像記、
こんなのがあるんだ!って衝撃と、なんて大らかで自由で伸びやかなんだろう!と。

原本を眺めていると、小さなことで悩むでないぞ~と、
ずんずんと大手を振って歩き出したくなる 


           ↑原本のコピー 


石に彫られたこの文字たちは、冥福を祈る供養文だったり願いだったりするからか
無骨で力強い線の中に、無器用な温かみを感じて。。

書を真剣に学びたかったら、きっとまずは原本と向き合うべしし~なのだ。
原本から何を感じるか、どんなロマンを感じるか・・何でもいい・・

感じる前に始めても、生きた書は書けないような気がする 

たとえばレストランで美味しい!って思ったら、作ってみようって思ったり
好きって思ったら、どんどん知りたくなったりってのと
似ているような 




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

急がば回れ&継続は力なり。

2009-03-30 | 書の話
                         (半紙)



以前、職場のお仲間だったgeenさんから書を習いたいんだけど、と連絡があり、
とりあえず家にある資料から、どんな書風が好きなのか知りたいので~と遊びに来てもらい。

お母様もモノづくりをされる方だったり、ご本人もイラストを描いたり写真も撮るgreenさん。
独特のセンスを持っていて「普通の書はやなの。アートな書が書きたい」なぞとおっしゃる 

話を聞きながら、木簡をやってみたら?と何枚か書いてみる。
だけど、どうもしっくりきていないらしい。

書とあまりご縁がなかった人にとって、古典の原本を見ても、ピンとこないのかも・・と
じゃあ「鳥歌花舞」の句を、色んな鳥がいろんな情景で歌い舞う様子を思いながら
書いてみて~と。


                  
                   green さんの作品(半紙)


たとえば、筆勢、筆圧、墨量、潤滑、直(線)曲(線)、緩急・・の変化をつけるべし~
な~んて、ことばで言っても難しいようなので、作品を作るときはイメージして~と。

どんな鳥? どんな場所? どんな歌? どんな舞い? ってまずはイメージする。
イメージできなかったら、音楽を聞いてみる。
クラシック、レゲエ、JAZZ、ロック、シャンソン、ボサノバ・・

まずは目を閉じて、心もからだも音楽に預けてみる。
で、からだ中にその音楽が満ちてきたら、書いてみる。
そうすると案外書けたりする。

でもね、ほんとは大事なことはやっぱりまずは基本を学ぶこと 
書の基本、そして書の命は、線。 線を学ぶべしし~。

字は日常的に誰もが書いているので、すぐ書けるような気がしちゃうけど、
なかなかどうして・・思うような字は書けないのであ~る 

急がば回れ。二兎を追うもの一兎をも得ず。継続は力なり。
兎と亀の話じゃないけど、下手な鉄砲数打ちゃ当たるじゃないけど、
当たるまでまずは素直な気持ちで、裸になって書いて書いて書きまくるのだ~ 

書は(も)、地道な日々の積み重ねができないと、その先はないような。
いつか自分らしい作品が書きたいっていう強い思いがあれば、きっとそれもまた楽しや 


続けられるか否か、それは書に限らず、これからの自分の生き方にも繋がるような。
まずはLet’s 臨書なのだ~。マイペースでよいからね 

待ってま~す。




    左:小鳥が軽やかに歌うような  右:ヨチヨチ歩きのペンギンが・・?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする