新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

沖縄旅行記は2日目から始まる(その3)

2012-05-06 21:55:42 | 旅行記

「沖縄旅行記は2日目から始まる(その2)」のつづきです。


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沖縄県立美術館では4月30日の記事「梅雨の沖縄旅行・2日目のあらすじ」で書いたように「田中一村展」が、また、沖縄県立博物館では企画展「紅型 BINGATA 琉球王朝のいろとかたち」が開催されていました。
どちらの特別展・企画展も、まさに 沖縄で鑑賞するにうってつけの展覧会でした。


   


まず、「2日目のあらすじ」でも書いた「田中一村展」ですが、私、田中一村という画家のことをまったく知らなかったということを痛感しました。


奄美大島で描かれた一連の作品をTVや雑誌で観た印象では、アンリ・ルソー風の油彩画かというもの。


120506_3_02 フライヤーや図録の表紙に使われている一村の代表作「不喰芋と蘇鉄(クワズイモとソテツ)の雰囲気、ルソーの「蛇使いの女」とどことなく似ていませんか?


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ところが一村さん、れっきとした日本画家
若い頃は南画を描いていらしたそうで、初期の作品として、いかにも床の間にふさわしいものが展示されていました。奄美に移住してからの作品とはまったく作風が違います。


展覧会は、


第1章 若き天才画家・米邨 1916-1930 (8-22歳)
第2章 新しい表現を求めて 1931-1957 (23-49歳)
第3章 一村が描いた奄美の自然 1958-1977 (50-69歳)


の3部構成で、一村の作風の変化を目の当たりにすることができました。
また、油彩画だと思い込んでいた奄美時代の作品も、間近に観ると確かに日本画
日本画で、これほど湿気に満ちた艶やかな作品は観たことがありませんでした。
「第2章」の23~49歳の作品を観ていると、その後、奄美の自然に魅せられて移住することは必然だったような気がします。「これこそ俺が描きたい自然だ」とね。
田中一村の作品を沖縄で観ることができて、ホント良かったと思います。


   


博物館での「紅型 BINGATA 琉球王朝のいろとかたち」壮観でした


120506_3_04 フライヤーによりますと、


琉球王国で育まれた型紙による紅型衣装は、型染めによる表現の多様性において特筆すべき染織品です、型紙を駆使して創り出された「かたち」と鮮やかな「色」には、高い評価があります。
しかし、これらの紅型衣装は、王国が崩壊し、廃藩置県後、多くの収集家や研究者たちによってコレクションされ沖縄を離れていきました。今回の展覧では、戦前、戦後を通じて守り伝えられた作品(国宝)など、100点以上が一堂に会することになります。これまで、この規模で紅型を紹介する展覧会は、開催されておらず、紅型の美を堪能していただくとともに、これからの紅型を考える機会となることを願っています。


確かに出品目録を見ると、沖縄以外で所蔵されている作品が多い


特に、サントリー美術館松坂屋女子美術大学美術館静岡市立芹沢銈介美術館辺りが所蔵する作品が目立っていました。


そんな縁があってか、「紅型 BINGATA 琉球王朝のいろとかたち」は、沖縄県立美術館(5月27日まで)の後、サントリー美術館(6月13日~7月22日)、松坂屋美術館(11月3日~11月25日)を巡回する由(このほか、大阪市立美術館(9月11日~10月21日)もあり)。


それにしても、ズラリと並んだ紅型衣装の数々の鮮やかなことといったらありませんでした。作品保護のため、照明が絞られているにもかかわらずです。逆に、暗い会場の中で紅型衣装が光を放っているように感じられました。


私が一番気に入って、できることなら「お持ち帰り」したくなった作品は、「灰色地葦繋ぎに波笹舟若松模様衣装(沖縄県立博物館・美術館所蔵)」。
図録を買いませんでしたし(高かった)、この作品のポストカードがなかったもので、写真を紹介できませんが、紅型には珍しくシックな作品でありました。


   


旅行先の博物館でのお楽しみ、常設展示は、さすがに沖縄だけあって面白かった

付け焼き刃的こちらの本で予習のようなことをしていただけに、展示がすんなりと入ってきました。


沖縄の歴史と文化 (中公新書) 沖縄の歴史と文化 (中公新書)
価格:¥ 735(税込)
発売日:1986-04

外間守善さんのこの本、突然「おもろそうし」なるものが登場して(外間さんは「おもろそうし」の研究で有名らしい)面食らいましたが、今回の旅行にあたり、大変に参考になりました。お薦めです


ただ、自然科学系の展示を除いて写真撮影不可だったのが残念だったことと、先の大戦末期の沖縄戦に関する展示が手薄だったのが不思議でした(後者の謎は旅行最終日になんとなく解けました)。


でも、沖縄らしく、国立科学博物館以来(記事はこちら)にアマミノクロウサギの剥製を見られたこととか、

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イリオモテヤマネコの剥製を見られたこととか、


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亀甲墓の構造模型を見られたりと、


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かなり収穫の多い見学でありました


   


このように、かなり満足して沖縄県立博物館・美術館を出た私でしたが、ここで衝撃的な事実が明らかになりました。


「2日目のあらすじ」で書いた「行程」に、「ドコモショップ」があったことに気づいた方はいらっしゃるでしょうか?


沖縄県立博物館・美術館の外に出て一服しながら携帯を取り出しますと、、、、


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携帯裏蓋なくなってる


今年1月の大阪遠征の時にもなくし(記事はこちら)、無事に入手した補修パーツを使い始めて3ヶ月しか経っていないというのに、またなくした


というわけで、とりあえず、自宅への配送をお願いしようと、ドコモショップを探しました、、、っと、探すまでもなく、と斜向かいにドコモショップがあるではありませんか
ところが、お店に行ってみると、案内係のお兄さん曰く、


お待ちのお客様が大勢いらっしゃいますので、かなりお待ちいただくことになると思います


とな


たかが携帯の裏蓋のために貴重な時間を費やすのはもったいないですから、この店に頼むのはやめて、次の行程に移ったのでした。


そして、国際通り昼食買い物をし、携帯で調べた次なるドコモショップにチャレンジ


こちらとしては、4年前の機種ですから、前回同様、注文だけして、ブツは自宅に配送してもらうつもりでした。

ところが、このお店に裏蓋の在庫があったのですよ
何という幸運でしょうか
例によってポイントでお支払いし、申し訳ないことにクリーニングクロスまでいただいて、気分良く、お店からほど近いレンタカー屋さんへと向かいました。


ということで、「その4」へと続きます。


2012/05/09 沖縄旅行記は2日目から始まる(その4)

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ヒョウが降ってきた

2012-05-06 16:09:36 | 日記・エッセイ・コラム

午前中、電車に乗ってちょっと大宮へ買い物に行ってきたあと、いつもの週末と同様、クルマに給油してきました。


もう自宅近くまで来たところで、北の空にもの凄い勢いで黒雲が広がってきました。
こりゃ急がねば天気予報どおり豪雨に見舞われそうで、けっこうあわててクルマを駐車場に収めたところ、すぐにポツポツと雨が降り出しました、


自室からカメラを持ち出して撮った空(15:03頃)はこんな具合。


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ふ~、よかった… と胸をなで下ろしたら、一挙に雨が降ってきました、
加えて、天気予報どおり、ヒョウまでも


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おっと、こちらではなく、こちらわざとらしい…


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ベランダの手すりにぶつかって飛び込んできたヒョウです(15:13頃)。
直径5mmくらいでしょうか?


うちはこんなヒョウが降った程度ですが、栃木・茨城では突風や竜巻で大きな被害が出たようです。
今さらながら自然の脅威を感じます。


【追記】夜になると、見事な満月が浮かんでいました。


120506_2_04(2012/05/06 22:15)

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沖縄旅行記は2日目から始まる(その2)

2012-05-06 10:04:54 | 旅行記

「沖縄旅行記は2日目から始まる(その1)」のつづきは、那覇バス「識名園前」バス停から始まります。

120505_2_01 識名園から牧志方面に向かうには、「5系統」のバスに乗れば良いことを事前に調査済みで、携帯にはバスロケーション・サイト「ブックマーク」に入れ、準備万端のつもりでした。

ところが、定刻を過ぎてもバスが来る気配はないし、乗りたいと思っていたバスは、いつのまにやら「識名園前」を通り過ぎて先に行ってしまっています
いったいどういうこと
改めてバス停の時刻表を見ると、「5系統」は書かれていません
ということは、「識名園前」バス停は別にもあるということ?

120505_2_02 もしかしてこちらの道か?と思って識名園正面から北に向かう道に行ってみると、反対方向にバス停があります。この道を更に進むと、ようやく牧志方面に向かう「5系統」のバス停を発見
そして時刻表を見ると、次のバスが来るまで15分くらい待たなければなりません

これだから初めての場所の路線バスは難しい

結局、自販機でさんぴん茶お気に入りになりました)を買い、それをチビチビ飲みながら次のバスを待ちましたとさ。

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次の目的地「沖縄県立博物館・美術館」にどうやって行こうか、旅行前からずいぶん考えました。
一番素直なルートは、

バス牧志ゆいレールおもろまち⇒徒歩沖縄県立博物館・美術館

なのでしょうが、この遠回りルート(下の地図の赤いライン)は帰りにとっておいて、行きは徒歩最短っぽいルート青いライン)をとることにしました。

120505_2_04地図にプロットしてみると、両コース、かなり距離が違いますナ。
青空が広がってきているし、徒歩には絶好の条件が整いつつありました。
しかも、歩いていると、見たこともない街路樹が目に飛び込んでくる

120505_2_05 巨大な豆のさやのようなものがぶら下がっています
地面には、まさにさやが落っこちている

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沖縄から帰還後に調べると、この木、「ホウオウボク(鳳凰木)」というものだそうな。
落っこちたさやから察すると、は長さ2cmくらいか? 食べられるのだろうか?と思って調べると、こちらの衝撃レポートを発見
の面からは、街路樹にはイチョウの方が有用なようで…

   

こうして沖縄県立博物館・美術館に到着しました。

まずは屋外展示を拝見。

こちらは「村落の出入り口に置いて魔除けにした」という「シーシ」とな。

120505_2_07 なんとも素朴でよござんす

そしてこちらは去年のGW旅行記「南九州旅行記(その14:鹿児島・加治屋町再びの巻)」でもちょっと触れた「高倉」です。

120505_2_08 以前、江戸・東京たてもの園で見た高倉は奄美大島のものでしたが、こちらは沖永良部島から移築されたものとのこと。

また、こちらの「民家」は実際に使われていたものを移築したのではなく、「沖縄島南部に今も残る伝統的な民家の間取りを参考にして再現しました」だそうで、確かに新築っぽい。

120505_2_09

石垣石敢當ヒンプン(中垣)寄せ棟瓦葺きの屋根、そして屋根の上のシーサーと、沖縄の民家のダイジェストの風情ですなぁ。

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そういえば、去年の春、西本願寺で見たこちら(御影堂門を入ったところに、御影堂を隠すようにが建てられていました)もヒンプンみたいなものでしょうか?

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ここで寄り道します。

上で「石敢當」に貼ったリンク先の情報によりますと、わが故郷:秋田には石敢當が本州としては例外的に大量に存在するそうです。

え"と大いに驚いてちょっと調べてみますと、こちらの記事によれば、

現住所で楢山・南通付近は、城下町時代武家町だったため、敵の侵入を防ぐとの意味で、T字路やかぎ型の路地が多いため(石敢當が)数多く立てられたようです。

とのこと。
秋田市内で生まれ育ち、毎年帰省している私にとって衝撃的な事実です
今年夏の帰省での宿題ができました

この記事のつながりで、もう一つ衝撃的な事実が判明しました。

2007年の夏、初めての長崎に行ってきました。稲佐山での「MISIA 星空のライヴⅣ」への参加がメインだったのですが、市内観光として訪れた先に「旧香港上海銀行長崎支店」がありました。

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立派で優雅な建物だった記憶がありますが、この建物を設計した下田菊太郎さんが秋田出身だというのはついさっき知った事実です

しかもWikipediaでは、

秋田中学3年の時に上京し、三田英語学校で語学を学んだ後、(以下略)

なんて記述があります。
もっとも、「秋田中学3年の時に上京し」には「この記述には信頼できる情報源の提示が求められています」とのコメントがつけられていて、私の先輩にあたるのか不明です(同窓会員名簿にも載っていませんが、Wikipediaの記述が正しくても『中退』ですから名簿に載っていなくても不思議ではありません)。
それにしても、「帝冠様式」につながる「帝冠併合式」を提唱した人が結構身近な人だった(かもしれない)とは、かなり驚きですし、勉強不足を恥じ入ってしまいます…

   

と、沖縄県立博物館・美術館の中に入ってもいない状況ですが、「その2」おしまいです。

相変わらず「匍匐前進」ですみませぬ

つづき:2012/05/06 沖縄旅行記は2日目から始まる(その3)

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