きょう、5月15日は沖縄が日本に復帰してから40周年の節目の日。
2週間前にこの目で見た沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)で記念式典
が開催されたようです。
今回の沖縄旅行を控えて沖縄の歴史を勉強したり、実際に行って
、沖縄県平和祈念資料館(糸満市)で沖縄の近現代史の史料や展示を観たり、そして何よりも、沖縄の自然や文化・風俗を実際に見て思ったのは、沖縄の人たちにとって「日本」は祖国なのだろうか、本土は沖縄の人たちから「祖国」と呼んでもらえる資格を持っているのだろうか、「本土復帰」は「アメリカの治政よりも日本の方がマシ」というだけだったのではないかということでした。
また、日本に復帰したといっても、それから40年経ってもなお、沖縄本島の面積の約18.4%をアメリカの軍用地が占めている事実は、沖縄の位置が地政学的に重要であるとしても、異常
だと思います。
実際、沖縄自動車道を走っても、国道58号線を走っても、延々と米軍施設の区画を示すフェンスが続く区域があり、本土では比較的に米軍基地が多い神奈川県に比べるまでもなく、沖縄が置かれている特殊な状況を推し量ることができました。
ところで、神奈川県中部にある私の職場、上空を頻繁に日米の軍用機が飛び交っています。
プロペラ機のP-3Cでもかなりやかましいというのに、ジェット戦闘機のFA18ときたら、ハンパないやかましさ
で、目の前の人との会話さえままならないほど。
2010年10月の記事「軍用機の爆音はすさまじい」で書いた観閲式に向かう戦闘機と、通常業務の戦闘機とでは、やかましさが一桁違う気がします
そんなやかましい通常業務を行う軍用機が行き交う普天間飛行場は、ホントに街の中にあります。
日頃、軍用機の爆音を耳にしているだけに、この異常な状況を、より一層異常に感じられます。
残念ながら沖縄から軍事基地がなくなることはあり得ないと思っている私ですが、なんとかもう少しでもマシな状況になることはできないものだろうかと考え込んでしまいます。
そんな考えに耽るきっかけになったことだけでも、今回の沖縄旅行は有意義でした…。
※この記事に使った沖縄の地図・航空写真は、沖縄県知事公室基地対策課の資料「沖縄の米軍基地の現状と課題」から拝借しました。