「帰省ドライブ&観光の初日は大満足」のつづき、「帰省ドライブ&観光
」の2日目のダイジェストです。
まず、きょうの旅程から。
ホテル⇒東北道・一関IC⇒(花輪SA)⇒小坂IC⇒樹海ライン
⇒小坂鉱山事務所
・康楽館
⇒樹海ライン(県道2号・R7)
⇒北秋田市・大堤交差点⇒R105
⇒北秋田市・諏訪岱交差点⇒R285
⇒潟上市・飯塚古開交差点⇒R7
⇒秋田市・臨海十字路⇒R13
⇒名もない交差点
⇒市道
⇒実家
走行距離は、一関から小坂までがほぼ全線高速道利用で約190km、小坂から実家
まではすべて一般道
利用で約140km、合計330kmでした。
で、以前からずっと行ってみたかった小坂鉱山事務所、ほんんんんんっとうに素敵な建物
でした。
まず、駐車場(康楽館
とも共用で、無料
)にクルマを停めて、眺めた小坂鉱山事務所は神々しい
ばかりで大感動
雑誌で見て憧れていた
小坂鉱山事務所の現物は想像以上に素晴らしい建物
でした。
この小坂鉱山事務所、リーフレットから引用しますと(難しい単語が多い・・・
)、
明治38年(1905)「旧小坂鉱山事務所」の誕生は、小坂鉱山近代化の歴史に深くかかわっています。
日本鉱業界の父と呼ばれた大島高任や「お雇い外国人」として日本鉱業界をリードしたクルト・ネットーらに支えられ、明治初期の「富国強兵」「殖産興業」に貢献した小坂鉱山。
その流れは、明治17年(1884)に払い下げを受けた藤田組にも引き継がれ、主要鉱山の地位を確立します。明治30年代、土鉱とよばれた鉱石が底をつき沈滞期を迎えていた小坂鉱山に「黒鉱自熔精錬」の成功は、新たな活気をもたらしました。その起死回生にたずさわった技術者たちが、その後の日本鉱業界に大きな影響をおよぼすことになります。
明治38年(1905)年に巨費を投じて豪壮華麗な「旧小坂鉱山事務所」は建設されました。まさに日本一の大鉱山のシンボルでもあったのです。
もともと小坂鉱山事務所は、川を隔てた「仕事エリア」に立っていたそうで、現在の場所は福利厚生エリアの一部で、「小坂鉱山病院」が立っていたとのこと。
昔も今もすぐ隣に幼稚園「旧聖園マリア園」こと天使館が、
また、目と鼻の先に劇場「康楽館」が立っているのも宜(むべ)なるかな・・・
ということで、きょうはここまで。
後日(あしたかも・・・)、詳細を書きたいと思っています。
つづき:2015/08/12 小坂町の「近代化産業遺産」に酔いしれた(康楽館編)