今夜は「MIISA星空のライヴVIII -MOON JOURNEY-」福岡公演ですが、お盆のきょう、今年の私が遠征できるはずもなく、「小坂町の『近代化産業遺産』に酔いしれた(康楽館編)」のつづきを書きます。
メインは小坂鉱山事務所のことなんですが、当日の記事「帰省ドライブ&観光の2日目は超満足」と重複しないように心したいと思います。
当日の記事で、
もともと小坂鉱山事務所は、川を隔てた「仕事エリア」に立っていたそうで、現在の場所は福利厚生エリアの一部で、「小坂鉱山病院」が立っていたとのこと。
と書きましたが、康楽館を含めた位置関係を案内板で見てみますと、
小坂鉱山事務所は事務所ですから、当然ながら鉱山会社のセキュリティエリア内にあったわけですな。
実家に到着して、母に小坂での見聞を話したところ、母は「ご招待」で康楽館での観劇に出かけたことがあったんですと
ところが、小坂鉱山事務所を見た記憶はないとな
小坂鉱山事務所が現在の場所に移設されたのはいつだったのかと、購入してきたガイドブックを見ると、解体工事が1997年10月~1998年3月、移築復原工事が1999年2月~2000年11月で、その後、展示工事と外構工事を経て、竣工式
は2001年4月だったそうです。
なるほど、、、小坂鉱山事務所が史料館として観光できるようになってからまだ14年なんですな
さて、華麗な「バルコニー付きポーチ」
から館内に入り、
これまた華麗ならせん階段を昇ると、
当然2階なんですが、、、、
あれ・・・、庭がある
空中庭園というか、ラピュタというか・・・。
ガイドブックを引用しましょう。
小坂鉱山事務所は、明治38年(1905)に精錬所の工場群の中に位置する階段状の地形に建てられ、北に面した正面が三階建て、東西面が二階建て、南面が平屋建てという変則的な形状でした。その後、昭和17年(1942)の改築で背面にあたる南面部分に二階が増築されました。
旧西面(現東面)はこんな風です。
そして背面はこんな具合。
ですから、庭園は「2階」ではなく、グラウンドレベルだったという次第です。
ところで、外面は「三角ペディメント付き上下(あげさげ)窓」が規則的に並び、ルネサンス風の華麗なデザイン
なのに対して、中庭を巡る廻廊は、ほぼ全面がガラス張りで、細い窓枠が、日本建築の柱と梁を連想させます。
また、天井も、所長室を含めて全て板張りの格天井で、これまた「日本」を感じさせる造りでした。
ちなみに、
この建物が創建された当時、国産の板ガラスはまだ作られておらず、すべてヨーロッパからの輸入品でした。ゆがんで見える古い窓ガラスの中にも、どこかに創建当時の輸入ガラスが残されているかもしれません。
だそうです。
基本的に「和様折衷」(外観はルネサンス風)の小坂鉱山事務所ですが、
バルコニー(建築学的にはベランダ)付きポーチは手すりの意匠などからイスラム風もしくはサラセン風などといわれ、エキゾチックな印象が建物のイメージを引き立てています。
だそうで、バルコニーからの眺めがなんともステキ
そして、透かし彫りがまた凝っておりまして、、、
判りますか? 「藤田組」の「藤」と「田」をあしらったデザイン
う~む、、、やりますな・・・
こんな小坂鉱山事務所、所長室はさぞかし豪華な造りなんだろう・・・と思いきや、
意外に質素・・・
(調度類はアンティークで再現したものとか)
と、またまた長くなってしまいましたが、まだまだ書き足りない・・・
ということで、「小坂鉱山事務所編・下」につづく。