新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

(秋田)県南小旅行記(最終回)

2016-09-19 22:12:30 | 旅行記

「(秋田)県南小旅行記(その11)」のつづき、遂に県南旅行記最終回です。

秋田県横手市増田山吉肥料店内蔵(うちぐら)のお話から再開します。それにしても、西馬音内盆踊りの見物がてらの県南旅行から早くも1か月か…時の流れが早い

さて、増田の内蔵のなかでは最も新しい(それでも築80年山吉肥料店の内蔵は、増田の内蔵の集大成 といわれているだけあって、、細かいところまで手がこんでいます。

鞘飾り(蔵を飾る木製の囲い)の細かい細工美しい色合い黒漆喰細工輝き、、、素晴らしい

山吉家にとってこの内蔵は、冠婚葬祭といった一家にとって重要会場として使われたいたのだとか。いくら内部に立派お座敷が設えられているとしても、の中で結納とかお通夜とかなんて、奇妙な感じ…

その後回しにしまして内蔵を覆う上屋小屋組を見上げると、

トラス構造になっているところが、やはり新しい時代の建築だということが察せられます。

山吉肥料店上屋は、表通りの中七日町通りから41.4mもの奥行きがあるのですが、上屋を抜けると、があり、

に面して、商品の保管などに使っていたという外蔵と、来客用離れ(それでも普通の一軒家以上のデカさ)が立っていました

外蔵に入らせていただくと、

気づくのは、というか、一歩外蔵の中に足を踏み入れた瞬間に、外気温との温度差に驚かされます

をふきふき街歩きするような暑い日だったというのに、外蔵の中は、ひんやりとして気持ちいい

そうか、土蔵断熱性能が際だっているんだ

これで、増田の人たちが蔵の中座敷を造ったこと、山吉家内蔵の座敷を家族の重要な行事の開催場所にしていた理由の一つが理解できました。

エアコンのない時代、も、座敷蔵は家の中で最も快適な場所だったということですか

   

ところで、この山吉家お屋敷は、中七日町通りに面した入口から、裏通りに面した裏門までは、なんとなんと100mもあります

間口10.4mに奥行き100mと、極めて細長い敷地なのは、この山吉肥料店に限った話ではなく、「その10」に載せたマップを見てもわかるとおり、増田中七日町通りに面した家屋のほとんどが(間口に差はあっても)こんな敷地に立っています。

最後に拝見した内蔵のある建物、観光物産センター「蔵の駅」として活躍している旧石平金物店間取は、こんな風になっていまして、

表通り側から、店舗⇒事務所(?)⇒居住区域⇒水屋⇒内蔵と並ぶ構造は、増田の商家一般的な構造だとか。

パッと見、地味なメインストリートの眺めの増田の街、奥は深い

私にものごころがついた頃には、「おいしいリンゴが採れるところ」のイメージしかなかった増田ですが、かつては県南商業の中心地でもあったことを実感できた気がします。

そして、現在の北都銀行につながる旧羽後銀行がこの地に創業した理由も理解できました。

いやはや勉強になりました。

増田の内蔵を見学したあと、昼食として、佐藤養助商店秋田が誇るA級グルメ「稲庭うどん」を食しました。

考えてみれば、初日十文字ラーメン西馬音内の冷やがけソバを食べ、2日目の昼食稲庭うどんを食べました。これで横手焼きそばを食べれば、県南の名物麺類コンプでしたな…

ということで、これにて県南小旅行を終え、秋田市へとクルマを走らせたのでありました。

横手のかまくらとか大曲の花火ほど有名ではない「名物」を巡った県南小旅行でしたけれど、目ウロコ連発だったし、旧友たちとの旅行になって、ホント、楽しかった

めでたし、めでたし。

コメント
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