曇り空のもと、「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展を観に江戸東京博物館に行ってきました。
出発するときには曇り空
だったものの、両国に着くと、本降りの雨
きのう骨接ぎ修理したばかりの傘を持っていってよかった
で、「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展、正直、期待したほどではありませんでした。
とてつもなく幅広い江戸末期の日本の文物のコレクションは壮大なものなのですが、これは
という作品はさほど多くない
ハイエンドのものというよりも、当時の日本(大名の調度品から庶民の日常品まで)をそのまま蒐集したという性格のコレクションなのだと思います。
「美術品」として観ればちょっと… ながらも、携帯用の燗銅壺
とか、繊細な虫かごとか、現代からするとかなり小ぶり
な汁椀とか、楽しい展示もありました。
そんな中で、私の目を惹いたのは、「伊能特別小図写(西日本)」でした。
この地図は、伊能忠敬が作成した日本地図のうち、最も縮尺の大きな伊能小図をベースに幕府天文方の高橋景保が写して、地名などをカナ書きしたものらしい。
シーボルトが帰国する直前、所持品の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり、それを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、景保は獄死した。(Wikipediaより)
という事件です。
そして、シーボルトが国外に持ち出そうとしてた地図は幕府が没収したはず…。
ところが、この「伊能特別小図写(西日本)」は、
江戸時代後期にオランダ商館付の医師として来日したシーボルトが、ひそかに持ち出そうとして果たせなかった地図の写しが、シーボルトの子孫であるドイツのフォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家で発見されました。
シーボルトは、国禁の地図を幕府天文方の高橋景保から手に入れましたが、それが帰国直前に発覚し、幕府に地図を没収されてしまいます(シーボルト事件)。今回、人間文化研究機構・国立歴史民俗博物館の調査によって、シーボルトの子孫の家で「カナ書き伊能特別小図」(国立国会図書館蔵)の写しが発見され、シーボルトがひそかに持ち出そうとした国禁の地図が「カナ書き伊能特別小図」であることが証明されました。
なんだとか。
シーボルトは、「カナ書き伊能特別小図」のオリジナルを没収・紛失する可能性を考えて、事前に写しを作っていたということなのでしょう。
日本地図を持ち帰ることに対するシーボルトの執念が感じられます。
そんないきさつ以上に衝撃だったのが、「伊能特別小図写(西日本)」の素晴らしさ
現代の地図と見紛うばかりの精密さでした。
もしかするとシーボルトは、「伊能特別小図写(西日本)」こそが、当時の日本の技術・技能を象徴するモノだと考えたのかもしれません。
こんな風に、期待ほどではなかった「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」展とは逆に、さほど期待していなかった常設展は、思いがけず、展示替えや新展示があって、ホント楽しかった
まずは、江戸城本丸と二の丸のジオラマ
ひやぁ~ 江戸博にはこの展示が欲しかったんだぁ~
と欣喜雀躍
現在の皇居東御苑の様子(例えばこちらの記事)を思い出しながら、ジオラマのあちこちを細かく観察しました。
まずは何度も出入りした北桔橋門。
このジオラマは江戸末期の状態を再現したものだそうで、それ以前に焼失
していた天守は、他の建物とは違う白木造りになっています。既に「幻の天守」だという趣向です。お見事
平川門は現在とさほど違っていない感じですが、竹橋門辺りは一変しています。
そして梅林坂。
さらに、大手門~三の丸~二の丸~本丸。
江戸城ジオラマの最後は、「お約束」の鬼門「艮(うしとら)=北東」
ものの見事に巨大な「切り欠き」をつくって「鬼門」を消しています
今さらながら、現在の東京が、かつては江戸だったことを感じます。
ということで、楽しすぎる江戸博の常設展を書き切れませんので、後編につづきます。
つづき:2016/09/25 2年ぶりの江戸博は楽しさがアップしてた(後編)