「良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #M-3」のつづきは、遠征2日目(10月8日)のお話です。
この日は、「ダイジェスト」で書いたように、ホテル~東大寺を3往復しました。
その1回目のメインの目的は、「東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌記念」と銘打った「秘仏 国宝・法華堂執金剛神立像 特別開扉」でした。通常は、年に1日、良弁僧正の命日の12月16日だけ、厨子の扉を開けて拝観が可能になるという執金剛神立像が、10月1~16日の2週間弱は特別に拝観できるというのですから、この機会を逃してなるものか です。
天気予報では、昼頃から雨が降り出すということでしたので、9時にホテルを出発しました。
大宮通りの油阪船橋商店街のバス停に向かって歩いていると、なにやら風情のある建物がありました。
これは「中川家住宅」という建物だそうで、奈良市教育委員会による説明板によると、
中川家は、現在近鉄奈良駅の場所で織物業を営んでいましたが、1914~5 (大正3~4)年、大阪電気軌道(現近鉄)の路線建設に伴い、当地に住宅、南隣に工場(現存せず)を建てて移転しました。
主屋は伝統的な「つし二階形式(二階の軒高が低い民家形式)で」、南側の通り土間は屋根を一段低くしています。平格子・出格子を構え、上部に虫籠窓[むしこまど]・袖卯建[そでうだつ]・出桁[だしけた]を備えた端正な外観で、座敷などの内部意匠も洗練されています、付属屋も含め、近代の奈良の町家の姿をよく伝えています。
だそうです。
いろいろと初めて聞くことばがドカドカ登場しています
このうち、「袖卯建」はこちらの写真の方が判りやすいかも…。
近鉄奈良線に乗ると、大和西大寺駅~新大宮駅の区間で、大胆に平城宮跡を横切ってる と驚きますが、開通当時の平城宮跡は、田んぼが広がっていたということはこちらで書きましたなぁ
この中川家住宅からすぐの民家のガスメーターに目が止まりました
どうしてこんな高い位置にあるんだ?
背の低い検針員さんには辛いと思うぞ
この界隈には「今辻子」という人名のようなものを冠したアパートや駐車場などがあって、なんとも気になりました。「今辻子」という女性がアパートや駐車場を経営しているのか? と思いつつも、個人名を冠するアパートや駐車場って…。
大宮通の信号機の柱を見て理解しました。
「今辻子」は地名で、「いまづし」と読むんだ
へぇ~と思う間もなく、今度は、以前から気になりつつも調べるまでには至らなかった「油阪(あぶらさか)」の謎も、蓮長寺前にあった説明板で解けました
油阪町付近は中世には符坂といわれていて、当時この地に隣接する今辻子町とともに油座の商人が住んでいました。彼らは興福寺や春日社に属し、一節には春日社の灯明油を献じたことから油阪と称されるようになりました。
この説明板の英語で、、
Aburasaka, or OIL SLOPE in Japanese
ってのがイイ
それにしても、ホテルから最寄りのバス停まで歩く数分の間にこれだけ楽しめるなんてねぇ
油阪船橋商店街から うまいタイミングでやって来た「ぐるっとバス」に乗って東大寺に行きました。
この日最初の東大寺めぐりのルートは下図のとおりでした。
前半の南大門⇒手向山八幡宮を青い線、後半の手向山八幡宮⇒帰りを赤い線で示しました。
まずは、大仏殿。
「MISIA PEACEFUL PARK Dialogue for Inclusion 2023」のチケットを見せると大仏殿を無料で拝観できると聞いていましたので、スマホでローチケのアプリを立ちあげて、その夜の電子チケットを表示して…と、前夜とは打って変わって、簡単に表示できました
そして、回廊から大仏殿前庭へ。
客席の一部を一時的に片付けて、参拝客用の通路が設けられていました。
そして、前夜には無かったクレーンがある
ということは、2日目が「本気撮り」なんだろね などと考えながら大仏殿の中に入り、大仏さまにお参りしました。
そして、大仏殿内から「ステージ目線」を体験
客席からステージを見たときよりも、ステージがずっと高く感じられました。
退出するとき、前夜の私の席付近を眺めると、ステージ前にもクレーンがありました。
この夜のライヴでは、私とMISIAとの間に、このクレーンが何度も割り込むことになるのですが、この時点でそういう事態を予測し、心の準備をしたのでした
大仏殿エリアを出た私は回廊の外を半時計回りに歩いたのですが、東楽門の近くに仮設トイレを発見 (係員さんが水を補充中)
そりゃそうだよねぇ。西側には常設のトイレがあるけれど、東側には無いものねぇ。
次に目指すは二月堂です。
二月堂のある上院地区には、時代劇のロケに使われそうな石段「猫段」を昇れば近道ですが、
私はもっと北の通路をだらだらと昇りました。
なお、「猫段」には「この石段で転ぶと、来世は猫になる」という言い伝えがあるそうな
さて、私が選択した「もっと北の通路」こと「二月堂裏参道」、ここがまた風情があるんです
ちょうど、お坊さんが各塔頭に配り物しながら参道を登られていて、なかなかな写真が撮れました
なだらかな斜面とゆるい石段が交互に現れて、土塀に挟まれてジグザクに昇って行く二月堂裏参道は、東大寺の中でもとりわけのお薦めスポットです。
当然、クルマが入ってくるはずもなく、のんびりと歩けますし
この二月堂裏参道を通るとき、注目していただきたいスポットがこの写真を撮った場所のちょい下にあります。
それは、田んぼ。
東大寺の境内に田んぼがあるなんて とお思いでしょうけれど、ホントにあるんです。
ほら
この田んぼは「二月堂供田」というもので、お水取り(修二会)で使われるお供え餅など用のもち米が栽培されているようです。
お坊さんたちが栽培しているのか、近隣の農家に委託しているのかは不明です
なお、二月堂供田の奥に見える建物は「大湯屋」、つまりお風呂で、通常は非公開ですが、私は2017年7月に、内部を拝観しました(記事)。
鎌倉時代(1197年)に、東大寺中興の祖、重源上人が鋳造させたという鉄湯舟がドデカかったという記憶があります。
ちょいと話がそれかかったところで「#2-2」につづきます。
つづき:2023/10/17 良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #2-2