「良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #3-1」のつづきも、大神神社からはじまります。
大神神社の拝殿前に、大きな杉の木が植わっていて、その前にこんなお供え物が並んでいました。
供えられているのは、日本酒と生卵
ばかり
神社に日本酒が奉納されるのはよくある話ですが、生卵
のお供え物なんて初めて見ました
御祭神の大物主大神が蛇神に姿を変えられた伝承が「日本書紀」などに記され、蛇神は大神の化身として信仰されています。この神杉の洞から白い巳さん(親しみを込めて蛇をそう呼ぶ)が出入りすることから「巳の神杉」の名がつけられました。
近世の名所図絵には拝殿前に巳の神杉と思われる杉の大木が描かれてあり、現在の神杉は樹齢400年余のものと思われます。巨樹の前に卵や神酒がお供えされているのは巳さんの好物を参拝者が持参して拝まれるからです。
白蛇は縁起の良い生き物だと言いますものねぇ。
Wikipediaによれば、
ユダヤ教やキリスト教、イスラム教では聖書の創世記から、ヘビは悪魔の化身あるいは悪魔そのものとされてきた。
だそうですが、杖に絡んだ1匹のヘビとか、翼のついた杖に絡んだ2匹のヘビとか、ギリシャ神話に由来する意匠は、それぞれ医療とか商業・交通のシンボルとして国際的に使われているのがなかなかおもしろい
ヘビといえば、私の祖父はヘビが大の苦手で、私の「あいうえお」の絵本(私の保育所時代の愛読書)に描かれていたヘビの絵に糊で紙を貼りつけたかと思うと、紙を貼って中を見えなくした1升瓶に入ったマムシ酒を愛飲したりしておりました
それはともかく、生卵をお供え物にするのは衛生上マズいのではないか? と思ったら、担当の人が、供えられた生卵を頻繁に回収しているようでした。
よかったよかったと安心(あの生卵はその後どうなる?)するなり、かなりがっかりする掲示
を見つけました。
コロナウイルス感染拡大予防のため
当分の間 三ツ鳥居の拝観は出来ません
ですと
大神神社の大きな見どころの「三ツ鳥居」を拝観できないとは
新型コロナウイルス感染症が5類に移行してもなお拝観できないとなると、大神神社はどんなタイミングで拝観を再開するつもりなんでしょうねぇ
がっかりしつつ、時計を見ると、これから三輪駅にもどれば、いいあんばいで桜井行きの電車
に乗れます。
これを逃せば30分も空くわけで、以上を以て大神神社の拝観をお開きにしました。
桜井駅に向かう大和まほろば線に乗りながら、ふと大事なことを思い出しました。
大直禰子神社[おおたたねこじんじゃ]にお参りするのを忘れた
2021年9月、私は東京国立博物館の「国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ」展で聖林寺の十一面観音像立像を拝見していたく感動しました。
堂々としたお姿といい、凛としたお顔立ちといい、なんとも力が漲った観音さまでした。
760年代に造られたというこの観音さまは、大神神社の神宮寺、大御輪寺(旧名:大神寺)の御本尊だったのですが、明治初期の神仏分離(また出た)で大御輪寺が廃されることになったため、当時の住職のツテで聖林寺に移されたという来歴をお持ちです。
そして、その大御輪寺だった建物がそのまま神社として生まれ変わったのが、大直禰子神社なのです。
大神神社作成の「境内巡拝マップ」の説明によると、
この地は長く大御輪寺として、奈良時代以降、神仏習合の影響を受け、三輪流神道など神道哲学の発展に多大な影響を及ぼした。現在の本殿は鎌倉時代末期の建築として国重文となり、その材には奈良時代のものも含まれていると云う。
江戸期までは十一面観音菩薩立像(聖林寺安置)や地蔵菩薩立像(法隆寺安置) (ともに国宝)などの仏像が併祀されていた。
とのこと。
その大直禰子神社(旧 大御輪寺)はどこにあるかといいますと、東京国立博物館作成の「国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ」展 鑑賞ガイドに載っている図によれば、
いくらなんでもこの絵図は大ざっぱ過ぎますので、「大神神社境内案内図」を拝借しますと、
二の鳥居の手前を左に入ってすぐ(大神神社の拝殿よりも近い)のようで、電車との競争、あるいは1本遅らせることになったかもしれませんが、あぁ~大直禰子神社にもお参りして、社殿を見学すればよかった…
でした。
当初から大神神社に行くつもりだったら、予習していたはずなのに、残念です。
三ツ鳥居の拝観が再開されたら、聖林寺への参拝と併せて、再チャレンジしたいと思います。
JR三輪駅に戻った私は、ダイジェストで書いたように、
三輪駅⇒JR大和まほろば線⇒桜井駅⇒近鉄大阪線⇒大和八木駅⇒近鉄橿原線⇒近鉄郡山駅
というルートで、近鉄郡山駅に降り立ちました。
途中、耳成山が間近に見えたり、
近鉄郡山駅の一つ手前の駅が「筒井駅」で「筒井順慶」などと、内心で盛り上がって
おりました。
「盛り上がった」といえば、4年前に、高校の修学旅行以来ウン十年ぶりに慈光院に行ったあと(記事)、大和郡山駅まで路線バス
に乗ったら、途中に「大織冠」というバス停
があって(近くに藤原鎌足を祭神とする大織冠神社がある)、「中臣鎌足
」と盛り上がった
ことを思い出しました
なお、郡山城に行ってみよう と考えたきっかけは、このとき、バスの車窓から石垣が見えて、「ここに城跡があるのか
」と思ったことでした。このときまで、奈良のお城ってあまり印象がなかったのですよ。
さてさて、近鉄郡山駅で電車を降りたとき、時刻は12:15頃で、昼食どきでしたので、駅前の飲食店でカツ煮定食をいただきました。
大和郡山といえば「金魚のまち」で有名です。
街なかにはこんな金魚のオブジェがあるし、
もちろん、マンホール蓋も金魚
そして、昼食を摂った飲食店でも、、、
生け簀に食材となる魚を泳がせている店は普通にありますが、カウンターの目の前に金魚が泳ぐ水槽を置いているなんて、さすがは大和郡山
昼食を摂ってお腹が落ち着いたところで、郡山城に向かいましたが、その見聞録は「#3-3」(恐らく遠征記の最終回)で書きます。
つづき:2023/10/28 良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #3-3