「良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #2-6」のつづきは、遠征最終日、10月9日のお話です。
最終日の行動予定は、帰りの電車以外、未定でしたが、ホテルのチェックアウト時刻
が近づくなか、ようやく決まりました
「まだ行ったことのない場所に行きたい」ということで、大安寺も候補に入っていたのですが、ネットで調べると、う~む… という感じで、大神神社と、バス
の車窓からちらっと石垣を見たことがあるだけの郡山城をピックアップしました。
唐招提寺は、ルートの途中にあるので、時間に余裕があったら… です。
で、ホテルをチェックアウト
して外に出ると、某ミー友さん
とバッタリ
他のミー友さんが同じホテルに泊まっていることは知っていましたが、2人目
です。
でも、こういうことは珍しいことではなかったりします
ホテルから近鉄奈良駅まで歩き、荷物をコインロッカー
に入れたあと、路線バス
に乗ってJR奈良駅へ。歩いても良かったのですが、この日は時間を有効に使わなければ
と、ちょっと無精をしてバスを使いました
車内で大和まほろば線
(土日祝日はほぼ30分に1本のダイヤ)の時刻表を調べると、ちょうど良いタイミング
の電車があります
そして、JR奈良駅に着いて5分も経たずに、髙田行きの電車が発車
そしてそして、約25分で三輪駅に着きました。
列車の本数の少ない駅ではいつもやるように、メモ代わりにスマホで三輪駅の時刻表の写真を撮り、駅前の案内図を写真に撮ってから、いざ大神神社へ
でも、どうして三輪駅の改札口は三輪山・大神神社とは線路を挟んだ反対側にしか無いのでしょ? 大神神社に参拝する人は必ず踏切を渡らなきゃならないのにね…
それにしても、狭いエリアに、そうめんを食べさせる店のなんと多いことか
さすがに10:30頃でしたから営業中のお店はありませんでしたが、さすがは手延べそうめん発祥の地を自負する地だけのことはありますなぁ
参道に出て、踏切を渡ると、三輪駅の臨時出口がありました
例大祭(4月9日と10月24日)とか初詣とか、参拝客がどっと押し寄せたときに、駅から出る人・入る人をある程度分けて、人の流れを良くするためなんでしょうねぇ
三輪駅からのんびりと歩くこと約5分で二の鳥居に到着しました。
おぉ~、厳かな雰囲気
二の鳥居の先は、木々につつみ込まれるようで、まさに「神域」という風情です。
ここでどうでもいい話。
私が今いる別邸は、私が小学3年生のときに親が建てたもので、その上棟式の「あること」が記憶に残っています。
「あること」というのは神主さんの祝詞で、「なんとかのおおかみ」が何度も何度も唱えられていたことが忘れられないのです。「どうしてここに狼が出てくるんだ?」と思って…。
もちろん、祝詞にあった「おおかみ」は狼ではなく「大神」のこと。そこは小学3年生には理解できないところです
でも、狼(オオカミ)の語源は大神(おおかみ)だとする説があるそうで(Wikipedia)、幼少の私は意外に真実を突いていたのかもしれません
どうでもいい話はここまでにしまして、この「大神神社」は、「おおみわじんじゃ」と読みます。
大神神社の由緒書きの一部を転記します。
( )は由緒書きどおり、[ ]はふりがなです。
大和国一の宮 三輪大明神 大神神社[おおみわじんじゃ]
御祭神 大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)
配 神 大己貴神 (おおなむちのかみ) 少彦名神 (すくなひなのかみ)
遠い神代の昔、大己貴神(大国主神)が自らの幸魂[さきたま]・奇魂[くしみたま](すなわち和魂[にぎたま])を三輪山にお鎮めになり、大物主神(詳しくは倭大物主櫛𤭖魂命[やまとおおものぬしくしみかたまのみこと])の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、ご神体の三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられている、我国最古の神社であります。
大三輪之神[おおみわのかみ]として世に知られ、大神をおおみわと申し上げるように、神様の中の大神様として尊崇され、各時代に渡り、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内大社・二十二社・官幣大社として最高の待遇に預かり、無比の御神格がうかがわれます。
ふ~、転記するだけでもなかなか大変
さて、大神神社の拝殿からご参拝。
立派な拝殿です。
この拝殿は、
寛文4年(1664) 四代将軍徳川家綱公改建 (国の重要文化財)
だそうな。
由緒書きにあったように、大神神社のご神体は三輪山そのもので、本殿はありません。
私がお参りしたことのある本殿の無い神社としては、那智の飛瀧神社(ご神体:那智滝)、諏訪大社の上社本宮(同:神体山)、下社秋宮(同:イチイの木)、下社春宮(同:杉の木)で、御祭神は、飛瀧神社が大己貴神、諏訪大社が建御名方神と八坂刀売神です。
これを調べて気づくのは、大神神社を含めて、御祭神がすべて国津神だということ。なお、大国主神・大物主神・大己貴神はすべて同一神です。それなのに、大神神社が、御祭神を大物主大神としつつ、配神にも大己貴神としているのは不思議です
「本殿の無い神社」というのは国津神をお祀りする神社だけに見られる特徴なのかなと思いきや、同じく「本殿の無い神社」として有名らしい金鑚神社(かなさなじんじゃ)の主祭神は天津神の代表格的な天照大神と、天津神⇒国津神と「移籍」した素戔嗚尊だというのですから、困ってしまいます
と、困ってしまったところで「#3-2」につづきます。
つづき:2023/10/26 良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #3-2