「2024年の美術館・博物館めぐりの振り返り [後編]」のつづき、「番外編」です。
この「番外編」は2023年版から始めたもので、
「前編」「後編」で取り上げた美術館・博物館での企画展・特別展以外の、私が今年観て/行って、楽しんだもの/感慨深かったものを列挙しておこうという趣向です。
ということで、まずは、
噂には聞いていた「えさし藤原の郷」には、昨年5月の帰省ドライブの途中、初めて行ってきました。
その訪問記を完結できずに終わってしまったのが残念ですが、こんなに楽しいところとは思いもよりませんでした
クルマだと、浦和から約5時間
かかりますので、首都圏からは気軽に行けるところではありませんが、行くだけの価値がある施設だと思いました。
「20haの広大な敷地に厳密な時代考証のもと再現された日本初の平安時代の歴史テーマパーク」だというだけあって、エリアが広いし、それよりもなによりも、本物ぶりがハンパありません
古いお寺を訪問したとき、電灯が下がっていることにちょっと興ざめすることが良くあるものですが、ここではそんなことはありません。
元をたどればNHK大河ドラマ「炎立つ」のオープンセットとしてつくられ、その後も多くのTVドラマ(とりわけNHK大河ドラマ)や映画の撮影に使われている場所ですから、来場者の便利さよりも、「平安時代の再現」が優先されるのもむべなるかな、です。
そして、昨年の場合は、NHK大河ドラマ「光る君へ」で、何度もえさし藤原の郷で撮影された場面が登場して、そのたびに私はウヒョヒョと喜んでいました。
この「政庁」では、前庭に舞台を設置して「五節の舞」のシーンが撮影されたほか、大宰府の街もここで撮影されていましたっけ
「政庁・正殿」の内部も、小屋組が照明器具無しで再現されているし、城柵は自然に汚れていて、こりゃ、ロケ地
として人気があるのも当然でしょ。
こんな「平安ワンダーランド」の入場料が1,000円
だなんて
また遠からぬ時期に再訪してみたいと考えています。
別邸からならクルマ
で2時間の時間・距離ですし…。
お次も東北で、こちらも初めて行ってきました。
私が受けた歴史の授業では、東北の縄文遺跡としては秋田・大湯の環状列石のことは出てきたけれど、三内丸山遺跡なんて聞いたことがありませんでした。
それもそのはず、Wikipediaによれば、
本格的な調査は新しい県営野球場を建設する事前調査として1992年から行われた。その結果、この遺跡が大規模な集落跡とみられることが分かり、1994年には直径約1メートルの栗の柱が6本見つかり、大型建物の跡とも考えられた。 これを受け同年、県では既に着工していた野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定した。
と、発見されてから30年ほどしか経っていないわけですから、学校の授業に出てこなかったのは仕方ありません。
さて、「縄文時代前期中頃から中期末葉 (約5900-4200年前) の大規模集落跡」だという三内丸山遺跡は、私が訪れた日が好天だったことも相まって、とても気持ち良く楽しむ
ことがことができました。
まず、写真などでは観たことがありましたが、シンボル的存在の「大型掘立柱建物」のなんとデカい
こと
説明板によると、
この復元した大型掘立柱建物は、発掘調査の成果や柱穴の底にかかっていた土圧の分析結果などから全体の大きさを推定したもので、柱間と同じ4.2m間隔で床を作り、3層の建物としています。屋根についてはさまざまな説があることから現在のところ復元していません。
掘立柱建物は柱穴を掘り、柱を立て、床や屋根を支えています。ここからは直径約2m、深さ約2mの柱穴が3個ずつ2列並んで見つかりました。柱穴の中からは直径約1mのクリの木柱が見つかりました。縄文時代中期後半(紀元前約2,600年)のものと考えられています。
「大型掘立柱建物」の右側に白いドーム状のものが見えますが、ここがそもそも「大型掘立柱建物」が立っていた場所で、ドーム内部には掘立柱の遺構が残されていました。
この「大型掘立柱建物」はなんのための建物なんでしょうか?
物見台か、祭祀場か何かだったんでしょうな
それはそうと、「大型掘立柱建物」の隣の「大型竪穴建物」もかなりデカい '(遠くに見える山は八甲田山みたい…)
説明板によると、
長さが10m以上の竪穴建物は大型竪穴建物と呼ばれています。この復元大型竪穴建物は長さ約32m、幅約9.8m、床面積約250㎡であり、日本最大のものです。縄文時代中期後半(紀元前約2,800年)のものを復元しました。住居の他に、集会所や共同作業場などの説があります。
ほわぁ広い
地面から1m以上も掘り下げていることもあって天井が高く、「住居の他に、集会所や共同作業場などの説」に加えて、「体育館」説があっても良いかもしれません
ところで、縄文・弥生時代の住居は「竪穴住居」というイメージがありますが、三内丸山遺跡にもありました。
説明板によると、
竪穴建物は地面を掘って床を作り、柱を立て、屋根をかけています。縄文中期(紀元前約3,000年)の竪穴建物を再現しており、屋根は、茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類で復元しています。
時代によって、平面形、柱の配置、炉の位置や構造に違いが見られます。
だそうです。
一方、掘立柱建物は、
掘立柱建物は地面に柱穴を掘り、柱を立てたもので、地面に炉や床などの跡が見つからないことから、高床建物であったと考えられています。柱は約35cmの倍数で配置されています。
だそうな。
この「35cmの倍数」について、Wikipediaでは、大型掘立柱建物の柱の間隔が4.2mであることに関連して、
特に4.2メートルというのは35センチメートルの倍数であり、35センチメートルの単位は他の遺跡でも確認されているので、「縄文尺」とも言うべき長さの単位が広範囲にわたって共通規格として共有されていた可能性が考えられる。
と書いています。三内丸山遺跡の説明板もこの「縄文尺」の存在を臭わせていますが、それであれば、大型掘立柱の柱の幅と深さも2mではなく2.1mでなければつじつまが合わないのではないかと考えたりして…
そんなことを考えつつも三内丸山遺跡を楽しんだ私は、続いて、ほぼお隣の施設に移動しました。
「あおもり犬に会いたい
」という思いで行ってみた青森県立美術館が、三内丸山遺跡のエリア内にあるとは思いもよりませんでした
そして、青森県立美術館が、タイポグラフィーも含めて統一的なデザインに基づいたお洒落な美術館だったこと、
弘前出身の奈良美智氏と良好な関係を築いていること、
ゆったりかつ広い展示スペースを持っていることに感心しまくりでした。
シャガールが描いたバレエ「アレコ」の背景画なんて、シャガールらしい色彩はもちろん、その圧倒的な大きさ(約883~914cm × 約1,472~1,524cm)に、しばらく口がぽかんと開いたままでした。
この背景画は全4点のうち3点を青森県立美術館が所蔵し、残り1点をフィラデルフィア美術館から27年3月末まで貸与されているのだとか。
恐らく、その1点が返還される際には、他の3点も「お礼参り」として渡米するのでしょうな…。
こんな青森県立美術館に引き換えわが故郷の県立美術館ときたら… と、どうしてもうんざりせざるを得ませんでした。
その私の気持ちを更に逆なでするように、青森県立美術館の次の企画展(24/7/13 ━ 9/29)が、よりによって秋田出身の鴻池朋子さんの展覧会だというのがなんとも…
昨年7月、「PEACEFUL PARK 2024 for 能登」のため金沢に遠征しました。
ところが、このライヴで、史上最悪の体験をしてしまい、そのことを封印
するべく、この金沢遠征のことは、敢えてブログで触れずに来ました
でも、「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」に行ったことは記録に残しておきたい
常設展示の谷口吉郎による「迎賓館赤坂離宮 和風別館『遊心亭』」の再現は、見事でございました
遊心亭でご接待を受ける機会なんて、一生無いわけで、気持ちだけ味わってきました
そんなわけで(どんなわけだ)、今年も「こんな凄いところがあったのか
」みたいな場所に行き着きたいものです。