新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

2025年最初の遠征は愛知へ #2-7 [完結編]

2025-01-21 16:46:22 | 旅行記

「2025年最初の遠征は愛知へ #2-6」のつづき、いよいよ完結編です。

私が大曽根駅からJR中央線に乗って向かったのは鶴舞駅でした。
 NHK 朝ドラ「虎に翼」で、名古屋市市政資料館と共に何度も登場した鶴舞公園にも行ってみようという次第です。

大曽根駅から鶴舞駅までは2駅、6分と、電車に乗ってしまえば速い

そうそう、JR車内アナウンス違和感を覚えた点がありました。
それは、「次は○○駅です。○○線と地下鉄線はお乗り換えです」と、なぜか地下鉄路線名を省略しているのです。
乗り慣れている人には何の支障も無いでしょうけれど、旅行者にとっては不親切に感じられました

で、鶴舞駅に着き、「駅直結」といっても良い鶴舞公園へ。

案内図を見ると、基本的に洋風ながら日本庭園っぽい部分もあって、どことなく日比谷公園と似た感じ

鶴舞公園のHPによると、

鶴舞公園は、明治42(1909)年11月19日に名古屋市が設置した最初の公園で、近世フランス式の洋風庭園回遊式の日本庭園とを合わせもつ和洋折衷の大公園です。
サクラ、バラ、ハナショウブなどの花の名所として、また、緑豊かな憩いの場、スポーツ・レクリエーションの場として市民の皆様に親しまれています。

だそうです。

朝は曇っていた名古屋ですが、気がつけば青空が広がっています
これはMISIAパワーなのでしょうか? (私は行かなかったけれど、この日も Aichi Sky ExpoMISIAのライヴがあった)

さてさて、あの噴水塔を見ます

「虎に翼」では、鶴舞公園は日比谷公園に見立てられていましたが、奥に見える「名古屋市公会堂」は、見立てた法曹会館に比べると格段に大きい
日比谷公会堂に見立ててもいいくらいです というのは言い過ぎか…

もそっと噴水塔に近づきましょう。

なかなか珍しい形をした噴水塔です

説明板によると、

明治43(1910)年、鶴舞公園を会場として第10回関西府県連合共進会が開かれました。会場の正面広場を飾ったのがこの噴水塔であり、以来、鶴舞公園のシンボルになっています。設計は鈴木禎次工学士、ローマ様式の大理石柱岩組みという和洋折衷式です。地下鉄3号線(鶴舞線)工事のため一時撤去されましたが、昭和52(1977)年に復元されました。昭和61(1986)年に市指定文化財に指定されました。

だそうです。
「共進会」というのは「博覧会」みたいなものらしい。

で、再び登場しました、設計担当の鈴木禎次さん
「#2-2」で紹介した「いとう呉服店」の設計を担当された方です。

更に噴水塔に近寄って土台を拝見。

なかなかワイルドな石組みですなぁ。

「虎に翼」の第1回では、終戦後、トラちゃんが法曹会館に間借り中の司法省就活するシーンで、この噴水塔の最上部が壊れ、石段の下に転げ落ちていました。
もちろん、あれはCGだったわけですが、それにしても、良くできたシーンだったなぁ

法曹会館に見立てられた名古屋市公会堂の前は、この日、晴れ着をまとった若者たちで華やいでいました

「成人の日」は翌1月13日ですが、名古屋市昭和区の成人式が1日早く行われていたようです。

名古屋市は区ごとに成人式をやるんだ… と、使われることのないであろうトリビアを仕入れました
ちなみに私の地元・さいたま市では、13日に、全市まとめてさいたまスーパーアリーナで開催したようです。この日の昼前、本宅最寄り駅は、式に向かうらしき晴れ着の若者でいっぱいでした。今後一生着ることは無い自信を持って予言できそうなド派手羽織袴の男性もチラホラ

それはともかく、「逆光の噴水塔」の写真を撮ったあと、鶴舞駅に戻りました。

今にして思えば、奏楽堂も観てくればよかったな…
この時点(12:27)で帰りの新幹線まで1時間半ありましたからねぇ

   

名古屋駅に戻った私は、昼食タイム

何を食べようかと駅ナカをウロウロした結果、なぜか喜多方ラーメンを食べました
ところが、「これは違うって感じ
これまで食べた「喜多方ラーメン」を標榜するラーメンの中では「Cランク」と言わざるを得ませんでした

そんなことがありながらも、コインロッカーから荷物を出して、新幹線ホームへ。

ここで、東海道新幹線車内販売無くなり、あの「固いアイスクリーム」ホームの売店で買えるという話を思い出しました
そうだそうだと、バニラアイスを購入した上で、新幹線に乗り込みました。

カチコチに固い食べづらいだろ、と、しばらく時間を置き、頃合いを見計らって食べようと思いつつも、がまんできずに食べ始めたら、ぜんぜん固くありませんでした
私は遠征に出かけると、夜にコンビニで買ったアイスクリームを食べることが多いのですが(定番ハーゲンダッツのクリスピーサンド)、前夜は「世界の山ちゃん食べ過ぎた感じでしたので、アイスクリームは省略しておりまして、これで元を取った(?)といったところ。

実は私、東海道新幹線名物といってもよいこの「固いアイスクリーム」を、これまで一度も食べたことがありませんで、これが初めてでした。
で、噂どおり、美味しかった これで昼食の失敗挽回できた気がしました

東海道新幹線のお楽しみ一つ、富士山は、往路では「#1」で書いたようにクッキリ鮮やかに見えましたが、帰路は、、、

う~む、残念…

   

新幹線定刻東京駅に到着
東京駅の駅ナカで夕食用に駅弁を購入して(遠征帰りの夕食は作りたくない)、本宅に帰りました。

本宅には16:30頃帰着し、もくろみ通り、余裕を持って「MISIA星空のラジオ~Sunday Sunset~」を聴くことができました

こうして、体調回復の一途を辿る中、1泊2日の愛知遠征滞りなく終了したのでありました。

今週末に大阪遠征を控え、愛知遠征記完結できて良かった
めでたしめでたし…。

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2025年最初の遠征は愛知へ #2-6

2025-01-21 08:24:30 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「2025年最初の遠征は愛知へ #2-5」のつづきです。

徳川美術館の展示で私がもっとも興味深く観たのは、第3展示室「大名の室礼-書院飾り-」でした。

大名の公式行事は表御殿の「書院」あるいは「広間」で行われた。御殿の各部屋に設けられた飾り付け専用の空間-床の間・違棚・書院床-には、武家の故実にそって各種の道具が飾られた殿中の飾り付けや典礼を「室礼(しつれい)といい、江戸幕府はその手本を室町幕府の故実にもとめたので、足利将軍家が秘蔵していた東山御物(ひがしやまごもつ)を第一に、唐物と呼ばれる中国製の品々を中心とした飾り付け方が規式(きしき)とされた。
多くの書画や工藝品の産地が中国であっても、それを飾り道具に採りあげ、とりどりに組み合わせ、調和の美を創り出したのは室町の武家社会であり、その美意識や価値観は、そのまま江戸時代の大名家に伝えられた。

書院造りの建物はあちこちで拝見したことはありますが、そこに「飾り付け」した様子は見たことがないような気がします。
名古屋城の復原本丸御殿でも、

熊本城の復原本丸御殿でも、

建物は復原しても、障壁画を除く「飾り付け」は復原されていませんでした。
徳川美術館では、名古屋城二の丸御殿「広間」の一部が「飾り付け」と共に復元されていました。

その「飾り付け」を拝見する前に、床間(とこのま)に向かって右の壁面にある「帳台構え」から。

う~む、、、きらびやか ←月並み
安土桃山~江戸時代にかけての室内装飾は中でも「釘隠し」凄いんですよ。ほら。

今なら、金型を作って、それでバンバンとプレスすれば大量生産ができますが(需要は無い)、当時も今も、金工職人がタガネとトンカチで打ち出して作っているわけで、その工数たるや大変なものです。

ということで、まずは「違い棚」の飾り付けを拝見

違い棚は床や書院床の脇に設けられた段違いの棚である。違い棚の上段と下段に置く品はそれぞれ決められており、違い棚の上段には、茶入・茶碗などの茶の湯道具や、香炉・香合などの香道具、また下段には、盆石や本来食物を収納する容器であった食籠(じきろう)などが飾られる。

だそうです。
展示の仕方から、見上げるしかなく、違い棚に飾られているものをしっかりと拝見できなかったのは残念

ま、次、メイン押板(床の間)飾りに行きます

書院の中央に位置する押板(おしいた) (近世以降は床間(とこのま))の最も基本的な装飾形式を「三具足(さんぐそく)飾り」(三具足:花瓶・燭台・香炉の3点一揃のこと)という。武家の重要な儀式に欠かせない、最も格式の高い室内装飾の形式である。

 

飾り方は、壁面に三幅対の掛物をかけ、中尊と呼ばれる中央の掛物の前に(じょく)を置き、その上に香炉を中心として、向かって右に燭台左に花瓶を配す。さらに卓の左右一対の脇花瓶を置く。

とまぁ、理由は判りません(とくに燭台)が、いろいろとしきたりが大変です。
有職故実美術品に通じた人は重宝されたんでしょうな。

私、「卓(じょく)」という物・呼び方を初めて知ったのですが、ネットで調べていたら、別邸の仏壇前にある燭台や香炉、などを載せた「机」は、正式には「前卓(まえじょく)」と呼ぶのだと知りました

それはともかく、最後は床間の左側の壁にしつらえられた「書院床(しょいんどこ)飾り」です。

私、本宅のリビングの出窓には、PCやプリンター、筆記具をはじめとする文房具などを置いておりまして、その形状や用途からこの出窓スペースを「書院床」と呼んでいるのですが、

書院床は、中世の寺院の窓下で僧侶たちが用いた机が起源とされている。中国の文人が心を清らかにしたり楽しんだりするために室内に文房具を飾った先例にちなみ、や硯に入る塵を防ぐ硯屏(けんびょう)、筆や刀子を立てかけておく筆架・墨・文鎮、墨をする水を入れる水注印章朱肉・糊などを収める印籠などが飾られた。

だそうで、あながち間違いではなかったようです うちの「書院床」装飾性は皆無ですけれど…

徳川美術館のこの他にも、茶室や、

能舞台も復元していました。

かなり手の込んだ、そしてお金をかけた展示だと感心

このあと、第5展示室「大名の雅び-奥道具-」を観て、私の徳川美術館見学は終了し、ミュージアムショップでちょとした買い物をしてから外に出ました。

あとになって気づいたことがあります。

それは、開催中のはずの企画展「めでたきかなお正月」を観ていないこと

Why???

改めて当日の自分の行動館内マップを照らし合わせてみると、第5展示室を観た後、本来ならば、第6展示室を通って本館にある企画展示室に行くべきところを、私はそのまま玄関ホールへと向かっていました

どうしてこんなミスを犯してしまったのか…
しかも、館外に出るまでそれに気づかなかったという…

今になって反省しきりです。

   

徳川美術館を出た私は、JR大曽根駅へと向かいました。
ほとんど土地鑑のない私ですので、たよりはスマホの地図アプリのみ。

徳川園・徳川美術館の案内図にしたがって、

東門を出ると左折し、赤荻町線というらしい通り沿いに、「徒歩10分」だというJR大曽根駅に向かって歩きました。

「徒歩10分」というには遠いじゃないかと思いつつ、名鉄とJRの大曽根駅にたどり着き、改札を抜けると、JR線ホームの北端で、土地鑑の無い私でもなんとなく「迂回」をしてしまったような気がしてきました

帰宅してから調べると、やはり「迂回」していました

JR大曽根駅には、Googleマップではかなり拡大しないと表示されない「南口」が存在して(下の)、私はその近くを通り過ぎて、北口(上の)まで歩いていたのでした
後の祭りながら、徳川園・徳川美術館の案内図にはしっかりと、

JR大曽根駅南口(徒歩10分)
地下鉄・名鉄 大曽根駅(徒歩15分)

と書かれていました

そんなこととはつゆ知らず、私は、10分と待たずにやって来たJR中央線に乗って、次なる目的地、鶴舞公園へと向かったのでした。

つづき:2025/01/22 2025年最初の遠征は愛知へ #2-7 [完結編]

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