新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

紀伊半島旅行記(その30:奈良⑥)

2014-07-19 17:50:24 | 旅行記

あちこちに寄り道して、いくつかのシリーズが同時並行的に進行中でありますが、「紀伊半島旅行記(その29:奈良⑤)」のつづきを書きます。

奈良県立美術館「アメリカ現代美術の巨匠達」を楽しんだ後、私は当日の記事「4泊5日の紀伊半島旅行終了」で書いたように、東大寺・転害門を観に行きました。

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門の名前は「転害門(てがいもん)」ですが、町の名前は「手貝町」なんですな。地域の名に「害」の字を使うのをためらったのでしょうか?

さて、転害門の門前には、上の写真に写っていますけれど、観光案内所がありまして、ちょっと立ち寄ってみました。さっそく観光ボランティアのおじさんが、待ってましたとばかりに、転害門の中に東大寺の鎮守・手向山八幡宮御神輿を鎮座させるための台座石が設置されていること、その関係で、転害門にはお寺には珍しいしめ縄が張られていることなんぞを説明してくださいました。
大変ありがたかったのではありますけれど、この観光案内所の建物が、

昭和15年に南都銀行手貝支店として建築されました。近代建築家である岩崎平太郎氏により設計され、町家の形態を遺した近代建築として貴重なものです。

という由緒あるものであることはお話ししてくれず、この記事を書くために「裏を取る」作業で初めて知った次第です。
当日は、あまりにこぎれいな建物なもので、そんな歴史を持っていたなんて気づきませんでした 知っていたら、もっと写真を撮ってきたのに…

それはともかく、転害門、、、いい

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説明板を転記しますと、

轉害門 国宝 奈良時代
轉害門は、もと平城京左京一条大路に西面して建立され、佐保路門ともよばれた。
中世の修理を受けているが、東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構で、その雄大な姿は創建時の建築を想像させるに十分である。
この門は当寺鎮守八幡宮(手向山八幡宮)の祭礼が行われて遷座の場所となり重要視されてきた。
基壇中央には、神輿安置の小礎四個が据えられ、天井も格天井に改められ、現今も川上町の有志により大注連が中央の二注に懸けられている。
京街道に面していたために、平安時代末期から民家が建並び、中世以降には東大寺郷のひとつである轉害郷(手貝郷)が生まれ、江戸時代には旅宿として発展した。
 三間一戸八脚門
 切妻造
 本瓦葺
 門の高さ10.635メートル(基壇の高さを除く)

とのこと。
こちら「大注連」で、

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こちら「神輿安置の小礎」です。

140719_1_04 「いかにも天平端正な建物なのに、柱には節だらけの木材が使われていて、細部は結構ワイルド

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こんなに魅力的な転害門だというのに、周辺はエアポケットのように観光客がいません

近くにあるこれまた天平期の建物、正倉院宮内庁の管理下になければ国宝指定確実 【追記】諸事情 によって1997年に国宝指定されていました)が常時公開されていれば、もっと賑わうのでしょうけれど、こちらで書いたように、正倉院正倉平日のみの公開ですし、そもそも、現在、正倉院正倉は大修理の真っ最中で、ますます拝見する機会は限られています。っつうか、工事現場の公開は既に終わり、今年11月(予定)に竣工して公開再開を待つ段階に入っています。
でも、おかげで、ホント、もったいないくらい、ぽつり一人で転害門をしげしげと鑑賞いたしました。

ちなみに、Wikipediaには天平期の「代表的な仏教建築」として、?唐招提寺金堂・講堂、②唐招提寺経蔵・宝庫、③薬師寺東塔、④東大寺法華堂(三月堂)・転害門、⑤正倉院宝庫、⑥法隆寺東院夢殿、⑦栄山寺八角堂が挙げられていまして、私、栄山寺八角堂を拝見すればコンプです(でも、なかなか難しそう…

それはともかく、じゃ、次に行こうか、、、と思ったところで、転害門の内側、すぐ北にある建物が目に止まりました。

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「鉄筋コンクリート瓦葺き」っぽいこの建物、何かといいますと、

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「奈良市立鼓阪(つざか)小学校」です

「鼓阪小学校のあゆみによれば、140年を超える歴史を持つ学校ですが、

昭42. 7 新校舎ができあがる。

とありますから、やはり「鉄筋コンクリート瓦葺き」なのでしょう。
でも、場所が場所ですから、こうした意匠の学校って良いモノです

思い起こせば、太宰府市中学校の校門とか、

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京都の本願寺中央幼稚園とか(記事はこちら)、

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大阪市立愛珠幼稚園とか(記事はこちら)、

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日本各地で歴史的あるいは地域の歴史を象徴するような学校建築を観たものでしたっけ…
こうした学舎(まなびや)に通学できる(通学できた)子どもたちがうらやましいゾ

でも、でも、鼓阪小学校の場合は、場所が場所ですから、「いかにも悩みもあるようですが…。

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この後、私は大仏池の西側を通って東大寺ミュージアムへと向かいました。

140719_1_11 東大寺ミュージアムは、そりゃ素晴らしい仏さまや仏具が展示されていましたが、改めて書くような目新しいものはありませんでした。
それよりも、たまたま「お日柄もよろしく…」で、めったに拝見できないものを拝見させていただくことになったのですが、その話は「その31・奈良⑦」で書くことにします。

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