「特大連休をふり返ってみる #4」のつづきも、4月28日(日)の旧江戸城散策のお話です。
旧江戸城・本丸を平川門から出た私は、江戸城の「艮(うしとら)=北東」角の「鬼門消し」を堪能したあと、この日のメイン
の目的地
日本武道館
のある北の丸公園へ移動しました。
ランニングする人たちに次々に追い越されながら内堀沿いを歩き、北桔橋門を過ぎたところからから歩道橋を渡り北の丸公園へ…。
そして、平日はほぼ毎朝クルマで走っている首都高・都心環状線の北の丸トンネル手前を歩道橋で横切り、まだ一度も入場したことのない 科学技術館の前を通過しました。
この科学技術館の建物、映画「シン・ゴジラ」では「ヤシオリ作戦」の司令部になってたな…
なんて思い出しながら…。
科学技術館を通り過ぎたところから右に曲がり、吉田茂像の前を通り過ぎ…って、今、この吉田茂像をググったら、なんと、この銅像の作者は、舟越保武さん
このときは写真を撮らなかった
ので、慌てて
、2014年1月(「MISIA星空のライヴVII」@日本武道館に参戦の際)に撮った写真
を探し出して、載せておきます
舟越保武さんは、このブログでは何度も何度も取り上げているくらいお気に入りの彫刻家でありまして、直近では、昨年11月の盛岡遠征の際、岩手県立美術館
でウルウル
させていただきました。
この銅像(改めて写真を観ると、、イイ…)、近いうちにじっくりと鑑賞
してこようと思っています。
さて、これまた2014年1月以来となる清水門。
これまた(2度目)、今回初めて知った話ですけれど、北の丸公園には重要文化財
が3件あって、それは、九段下駅
から日本武道館
に向かう途中にある田安門、
東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部庁舎)、
そして、この清水門。
この清水門がイイ…
構造的には、他の旧江戸城の城門と同様、四脚門(高麗門)と枡形と渡櫓門で構成されているのですが、城内から渡櫓門に向かう下り坂がイイ…
ただの坂道ではなくて、なだらかな石段になっているのですよ
下から見上げるとこんな具合。
なんだか江戸時代にタイムスリップしたように気分になります
ところで、田安門・清水門、と来ると、田安家・清水家、そして一橋家の「御三卿」を連想します
「御三卿」というのは、将軍宗家に跡取りがいない場合に、次の将軍を送り出す役割を担った徳川一門で、水戸・尾張・紀伊の「御三家」と違って「藩」を持っていません。
江戸中期以降、時の将軍と血縁が薄れてしまった御三家に代わって、「跡継ぎ」を用意することが御三卿の存在意義になっていたんですな
最後の将軍、徳川慶喜が、御三家の水戸徳川家から御三卿の一橋徳川家に移り、そして将軍に就いたことが思い出されます。
で、私は、田安門・清水門という城門の名前は、田安家・清水家の家名に由来するものだと思っておりました。
が、実は、一橋家も含めて、逆でした。
田安門・清水門・一ツ橋門の内側に、それぞれ屋敷を構えたから、それぞれの家名がつけられたのだとか。
なんとなく、キーウィとキウィフルーツの関係を思い出したりして…。
なかなか終わらない 皇居東御苑&北の丸公園のお話、まだ続きます。
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