「今年も最初の遠征先は関西 #3-2」のつづきです。
あすから福岡遠征なので、続けざまに書いてしまいます。
京都市による東福寺についての説明板がありました。
恵日山(えにちざん)と号し、臨済宗東福寺派の大本山である。藤原道家が嘉禎2年(1236) 東大寺、興福寺と並ぶ大寺の建立を発願して東福寺と名付け、禅僧円爾弁円(聖一国師)を開山に招いて、建長7年(1256) 完成した。その後火災を受けたが、室町初期に道家の計画通りに再建され、京都五山の一つとして栄え、多くの伽藍、塔頭が建ち並び、兵火を受けることもなく明治に至った。明治14年に惜しくも仏殿、法堂など中心部を焼失したが、今なお堂々たる中世禅宗の寺観を保っている。
三門(国宝)は室町初期の作、禅宗三門として最古の遺構である。禅堂(禅僧の坐禅所)、東司(便所)、浴室も室町時代の建物(重要文化財)で、いずれも禅宗建築の重要な遺構である。本堂、方丈は近時の再建で、開山堂に至る渓谷には多くの紅葉があって通天橋が架かり、また、偃月橋、臥雲橋がかけられて紅葉の名所をなしている。
東福寺の建立を発願した藤原(九条)道家は、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した「三寅」くんのお父上なんですな。
また、円爾弁円(聖一国師)は、博多祇園山笠の「祖」とされていることも初めて知りました。
さらに、多くの塔頭が残っているのは、応仁の乱の戦火を免れたことが大きいのかなと思った次第
さて、禅堂の南隣にある大きな建物が「東司(とうす)」、つまりトイレです。
トイレとしてはあまりにも大きい 日本最大級ではなかろうか
東司 (重要文化財) 室町時代
「東司 (とうす)」とは便所の建物を云い。俗に百間便所(百雪隠(ひゃくせっちん))と称し、子供たちは「100人便所」とも云っている。禅堂の横に必ず「東司」が置かれる。禅宗叢林の便所では日本最古最大であり、現存する唯一の遺構である。
当時の排出物は貴重な堆肥肥料であり、京野菜には欠かせない存在となっていた。京都の公家、武家、庶民の台所をおいしい野菜で潤した。叢林としても現金収入の大きい糧となっていたとも云われる。
江戸時代、長屋の大家さんは、長屋から出る下肥を農家に売ることでも収入を得ていたということを聞いたことがありましたが、お寺もそうでしたか…
この東司の筋向かいにあるのが、三門です
「ダイジェスト」で書きましたように、この三門の模型(1/10)は、二度拝見してほぇ~ となったことがありましたが、遂に現物
を拝見することができました
ほんと、堂々として雄大です
一般的には「山門」と表記され、寺域の入口(境)を指す。しかし、東福寺では「三つの門:三門」と表記している。この意味は「三解脱門」の略で、涅槃に達するための通らねばならない門とされる。三つの門は、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無作門(むさもん)」である。大きさは、5間3戸、二階二重門、入母屋造り、本瓦葺き、左右に階段を覆う山廊を有す。構造的には大仏様(天竺様)であるが、視覚的には禅宗様である。三門正面二階には北朝第四代将軍足利義持の筆である扁額「玅雲閣」が掲げられている。「妙」は「女」偏が一般的ですが、額は「玄」の偏を用い、本来の「玄」の意味である「奥深い道理」の意味を添え、「妙」の意味の「心理・美しい」の意味を強化している。大きさは小さく見えるが畳三畳分あり、又、力強い筆運びである。二階内陣中央に35歳と云われる宝冠釈迦如来坐像、左前に月蓋尊者、右前に善財童子、両側に十六羅漢が安置されている。周りには五百羅漢とも、森羅万象とも云われる木片が置かれている。
天井・柱には極彩色の迦陵頻伽(極楽に住む人面鳥身の架空の鳥)や飛龍(極楽に住む応龍)を描き、又金襴巻や牡丹唐草等で天上界を表している。天上界は悟りに達した精神界究極の世界を現していると言える。東福寺の僧である兆殿司・寒殿司の筆にて描かれ、三門内陣に心の存在を感じさせる空間を創造している。大屋根の四隅の角柱は、桃山城崩落の天正大地震による三門の痛みを天正13年豊臣秀吉が行った大修理の際に補足した柱で、通称「太閤柱」と呼ばれている。
長々と説明板を転記しましたが、これを読んでいると、三門の二階に上ってみたくなります。
ときどき一般公開しているようですが、取り急ぎ、朝日新聞のこちらのサイトでガマンしておきましょ。
ところで、説明板にある「桃山城崩落の天正大地震」という記述、桃山城(伏見城)に大きな損害を与えたのは慶長伏見地震だと思います
本堂は明治14年の火災で失われた仏殿・法堂の後継として昭和9年(1934)に再建されたものだとか。
本堂には賀陽宮恒憲王の筆による「毘盧宝殿」という扁額がかかっていました。
恒憲王の后が東福寺と縁の深い九条家出身ということで筆を執ったのでしょうか?
堂内(入れません)には、釈迦三尊立像らしき仏さまたちが安置されていて、ちゃんと拝んでまいりました。
無料で見物できるのはここまでで、本坊庭園(方丈)と通天橋・開山堂はそれぞれ拝観料が必要です(共通券あり)。
私は、本坊庭園はパスして、通天橋を渡って開山堂まで行ってみることにしました。拝観料は600円でしたが、11月10~30日は「秋期期間
」として1,000円らしい
通天橋を渡ります。
拝観券は紅葉シーズン
の写真が使われていました。
でも、今の時季は、、、、
寒々しい…
でも、臥雲橋は今の季節の方が良く見えます なんて負け惜しみを言ったりして…
開山堂を目の前にして、振り返ると、
おぉ、いい眺め
屋根の連なりがイイ感じ
開山堂にお参りしたあと、
重要文化財の愛染堂にもお参りしました。
重要文化財 東福寺愛染堂 室町時代前期
江戸時代まで東福寺北隣にあった塔頭三聖寺(鎌倉時代創建、廃寺)の愛染堂で、昭和9年の室戸台風で倒壊し、現在は東福寺普門院辺のこの地に移転され修理された。朱塗の八角円堂で、屋根は一重、宝形造でこけら葺とする。八面観音開きの開口部とし、正面後方三面の位置に設けた須弥壇上に宝塔形の厨子を置き、中に鎌倉時代制作になる愛染明王を安置する。
愛染明王って、どこの像もみんな同じように愛染明王に見えるのはなぜなんでしょ
さて、このまま渡ってきた通天橋を戻るのも芸が無い… と思ったら、渓谷に下りていく小径があり、洗玉澗には小さな橋も架かっているようなので、こちらのルートを採ってみました。
すると、下から見上げる臥雲橋も、
通天橋もなかなかであります
以上を以て、東福寺の拝観は終了。
「東福寺の伽藍面(づら)」ということばがあるそうですけれど、建物好きの私にとっては、めちゃくちゃ楽しめました。
あと、あまり拝見できなかった東福寺の仏さんたちには、東京国立博物館の特別展「東福寺」でお目にかかることにしましょう。
ちょっと遠回りながら南門を通って境内から娑婆に戻りました。
そして、のんびりとJR東福寺へと歩きました。
と、中国人っぽいグループと出くわし、そのリーダーっぽい人から「バス停はどこですか?」と聞かれました。
私も東福寺界隈は初めてですし、電車を使うつもりですので、バス停の場所なんぞ知りませんし、見かけた記憶もありません。
そこで、どこに行きたいのかと聞いてみると、京都駅に行きたいといいます。それならJRで行くのが早いし安い(JAPAN RAIL PASSを首から下げていましたし)と説明しました(もちろん日本語
)。
でも、その後、そのグループと再度出会うことはありませんでした
バスに乗らなきゃならない理由があったのだろうか???
そんなことがありながらも、余裕を持って京都駅に戻ってきました。
例によって八条口にある551 HORAIにはドカンと行列ができていましたが、時間に余裕があるもので、行列に並び、ほかほかの豚まんを購入しました(この店ではチルドの取り扱いがない)。
かくして、予約通りの新幹線に乗り、帰ってまいりました。
あ~、MISIAのライヴも、観光も楽しかったなぁ
今年最初の旅行も良い旅になりました。明日からの福岡遠征も楽しむぞ
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