新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年も最初の遠征先は関西 #3-2

2023-02-24 13:57:02 | 旅行記

「今年も最初の遠征先は関西 #3-1」のつづきです。

京都市京セラ美術館を出た私は、三条駅から京阪電車に乗るべく、仁王門通りを西へ、川端通りを目指して歩き始めました。

と、なんとも不思議な建物が目に止まりました。

最上部に八角堂風のものが乗っかっていて、入口には中国風の獅子が一対佇んでいます。

なんともただならぬ雰囲気を醸し出すこの建物、なんだろ?
と思ったら、京都市が設置した説明板がありました。

公益財団法人藤井斉成会 有隣館
有隣館第一館は、藤井善助(1873~1943)が収集した中国の美術工芸品を展示するために建設された美術館で、大正15年(1926)に武田五一京都帝国大学教授の設計、大林組の施工により竣工した。
外観は装飾が少なく、壁面は平滑な仕上げであるが、屋上には中国から移築された八角堂が乗り、内部も、陳列室の折上格天井の各格間に東洋風の模様の布を張り、陳列ケースも中国風意匠としている。
この建物は、近代的な民間美術館では現存最古の建築遺構である。また意匠的にも特色があり、昭和60年(1985) 6月1日、京都市登録有形文化財に登録された。また、第二館と収蔵庫は平成12年(2000) 2月15日、国登録有形文化財に登録された。

ほぉ~
知りませんでした。
でも、開館してない…
Wikipediaによると、

開館は原則として1月・8月を除く毎月第1・第3日曜の12:00-15:30のみ(その他、臨時に開館する場合がある)。その他の時期の入館は事前の申請が必要。

だそうです。
京都にはこうした「なかなか開館していない美術館」少なくない気がします。

それはそうと、この歩道はどうしたことだ

カチンコチン凍っています

圧雪路にはちょっと自信をもっている私ですが、凍結路無理

建物の北側の歩道を歩くのは危険だと判断した私は、去年1月にロームシアター京都から地下鉄の三条京阪駅まで歩いたときのように、古川町通りから三条通りへと進路を変更しました。

そして三条通り沿いのそば屋さん昼食

それにしても、どうして「三条京阪駅」京都市営地下鉄の駅で、「三条駅」京阪電車の駅なんだ?

Wikipediaに書かれている「地下鉄開業以前から、バス停の名称や地域名として『三条京阪』と呼ばれている」ということからなのだろうか
こちらで書いた「七条」(しちじょう/ななじょう)といい、こちらで書いた「西院」(さいん/さいいん)といい、京都のしきたりには田舎者はついて行けませぬ

   

途中、高校の修学旅行で宿泊した(はず) 旅館の前を通り、三条駅に到着し、京阪電車に乗車しました。

三条駅から東福寺駅までは、4駅、所要時間はたった7分
そもそも、距離が3.2kmしかないのに、4駅ってのは多過ぎませんか? ほとんどバス停並みの間隔です。
就職して上京したとき、品川から横須賀方面に行くのに、時間に余裕があるからと京浜急行各停に乗ったら、あまりにも頻繁に駅があることに辟易して、川崎で特急に乗り換えたことを思い出しました ちなみに京急品川~京急川崎間11.8kmで13駅ですから、平均の駅間距離は900mです

   

東福寺駅は、JR京阪電車駅が隣接していて、こんなに乗り換えが簡単な駅は関西では珍しいのではないかと思ったりして。

さて、東福寺

塔頭がたくさんあります
これほど多くの塔頭が残っているお寺は京都では少ないのではなかろうか?
大徳寺にも多くの塔頭が残っていますが、現存の塔頭の数は大徳寺の22に対して、東福寺は25だそうな

気づいたのは、「新墓地受付中」としている塔頭が多いこと。
これから日本の人口が減っていくであろうことを考えると、お寺間の競争も激しくなっていきそうです

さて、いよいよ東福寺核心部に入るぞ と思わせてくれたのが、境内を東西に流れる渓流「洗玉澗」に架かる屋根付きの橋、臥雲橋でした。

新緑紅葉のハイシーズンには、この臥雲橋や、一つ上流にかかる通天橋は観光客で大変な賑わいだそうですが、今の季節は閑散としています。

臥雲橋を渡って、更に先に進み、

日下門をくぐると、東福寺の境内です。

さっそく大きな建物が目に飛び込んできました

大きな懸魚(けぎょ)が片面に5もついています
この建物は「禅堂」

説明板によりますと、

禅堂(重要文化財) 室町時代 貞和3年(1347)
禅宗の叢林で重要な建物である禅堂である。選佛場とも称し、坐禅を通じ自己究明と自己の心の佛を撰ぶ場所である。僧侶になるための修行道場であり、修行僧である雲水が、座禅はもとより寝食を行う所であった。昔は400名以上の僧が修行を行ったこともあった。
内陣の「選佛場」扁額は宋国径山万寿寺無準師範(佛鑑禅師)の筆であり、無準師範の心が残っている。無準師範は東福寺開祖聖一国師の師匠である。入口の扁額「禅堂」は当山303世福島慶道管長の筆である。禅堂の大きさは桁行7間梁間4間、一重もこし付切妻造、本瓦葺である。我が国最大最古の道場である。

だそうです。
この文中にでてくる「径山万寿寺」「径山」「きんざん」と読むそうで、金山寺味噌の名前の由来だそうな
知らなかったぁ~
これだから「復習としてのブログ書きやめるわけにいきませ

と、心を新たにしたところで、「#3-3」(おそらく完結編)につづきます。

つづき:2023/02/24 今年も最初の遠征先は関西 #3-3 [完結編] 

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