「今年最初の関西旅行記」を再開します。
「今年最初の関西旅行記 #2-3」のつづきも、大阪市立東洋陶磁美術館の見聞録です。
もともと陶磁器に疎い私、今回、初めて「粉青(ふんせい)」なる言葉を知りました。
朝鮮前期の陶磁器を代表するのは粉青である。粉青は「粉粧灰青沙器」の略称で、日本では「三島(みしま)」とも呼ばれ、鉄分を含む胎土に白泥で装飾を施したものである。
高麗青磁の伝統を受け継ぎつつ、白泥を用いて、粉青はまったく新しい生気に満ちた意匠に変貌を遂げた。そのシンプルで力強い造形や大胆にデフォルメされた文様は、現代の抽象画にも通じる。個性的な文様や形の上に表現された白化粧の多様な技法は、白色を尊ぶ儒教の美意識への変容を象徴している。
だそうで、「粉青掻落 牡丹文 瓶」(朝鮮時代・15世紀)とか、
「粉青鉄絵 蔓草文 瓶」(朝鮮時代・15後半~16世紀前半)とか、デフォルメされた文様が楽しい
そんな中で、「ん??」と思ったのが、「粉青粉引 瓶」(朝鮮時代・16世紀) でした。
使い古されて、ところどころ釉薬部分が剥がれた、ちょいと不細工な壺としか見えなかったのですが、説明板によると、
全面に白化粧を浸しがけした粉引(こひき)技法だが、長年の使用で所々に生じた「染み」は日本では「雨漏(あまもり)」とも呼ばれ、茶人の間では「景色」として珍重された。口のくびれは注ぎやすくするための工夫である。加賀・前田家伝来と伝えられ、粉青粉引瓶の最高傑作である。
ですと
やはり私は陶磁器にも茶道にも疎い「野暮天」です
朝鮮・中国の陶磁器コレクションが凄まじい大阪市立東洋陶磁美術館ですが、日本産のものにもド素人の私が見ても素晴らしい作品がありました。
私にも「織部だ」と判る「織部 舟形向付」(桃山時代・17世紀初/美濃窯)とか、
「志野だ」と判る「鼠志野 草鳥文 額皿」(桃山時代・16世紀末-17世紀初/美濃窯)とか、
「乾山だ」(銘が入ってる
)となった「色絵 椿文 輪花向付」(江戸時代・18世紀/尾形乾山) とか、
「これは信楽かな?」と思ったら、ピンポ~ンだった「甕」(室町時代・15-16世紀/信楽窯)とか…。
随所に長石の粒が吹き出した信楽特有の土は、独特の触感を生みだしている。淡緑色の自然秞が窯の中で降りかかった跡が数ヶ所白い斑文のようになり、見事な「景色」となっている。室町時代の信楽甕屈指の優品である。
だそうです。
こんな私でも、東京国立博物館で日本の陶磁器を何度も何度も拝見していますので、この程度は判ります
そんな中に、再び「染み」が「景色」になっている作品がありました。
これは古くて、奈良時代の作品。
重要文化財「三彩 壺」(奈良時代・8世紀)
本作は薬壺(やっこ)と呼ばれる形の「奈良三彩」で、蔵骨器として出土した類例も知られる。緑釉に白秞と黄秞(褐秞)が点じられ、随所に秞の剥落や銀化が見られる。江戸時代の安政年間(1854-60)に奈良県生駒郡で出土したと伝えられ、大阪・平瀬家伝来品である。
とのこと。
なお、「薬壺」というのは文字どおり「薬を入れる壺」のことで、薬師如来像のシンボル(左手に載せている)とも言える持ち物です。
野々村仁清と尾形乾山の師弟が造った香合が、二人の個性が際だっていて面白かったなぁ。
まず、華やかでかつなんともかわいらしい 仁清の「色絵 結文形 香合」。
つづいて、「いかにも乾山」な、乾山の「銹絵染付 羊歯文 香合」。
小さな作品だし、2個まとめてお持ち帰りしたかった
大阪市立東洋陶磁美術館のマスコットキャラクターのこれ、何に見えますか?
私はてっきり猫だと思ったのですが、
吾輩は虎である。名前はなかったが、このたび「mocoちゃん」となった。
生まれは18世紀の朝鮮半島。王室専用の白磁の官営工房・広州官窯において、優れた「画青匠」(画工)の手によって誕生した。
遠くに見える山並みの上に満月がかかる夜、断崖の上を闊歩する堂々たる姿には我ながらほれぼれとして、思わず笑みがこぼれる。
ツートンカラーの毛並みにスマートな胴と尻尾が自慢だ。虎は朝鮮半島では霊獣として信仰され、崇められてきた。幸せをつげる鵲(カササギ)と一緒に描かれることも多い。
壺の裏側では猫のように丸まっている。猫に似ているとよく言われる。吾輩はもしかして虎ではなく、猫なのか?
ですと
この「mocoちゃん」が描かれている「青花虎鵲文壺」(朝鮮時代・18世紀後半/広州官窯) が展示されていました。
収蔵品をもとにしたマスコットキャラクターを持つ美術館・博物館は少なくありませんけれど、普通はマスコットにふさわしくデフォルメするものですが、「mocoちゃん」はポーズこそ違うものの、ほとんど現作品そのままです
大阪市立東洋陶磁美術館は良い作品をお持ちだぁ
なお、「青花虎鵲文壺」も安宅コレクションです。
そういえば、京都国立博物館のトラりんも、収蔵品である尾形光琳「竹虎図」のデフォルメされている虎を微修正した感じだった
大阪市立東洋陶磁美術館ご自慢の設備として、免震装置を組み込んだ回転台があります。館内には全部で3か所に設置されているそうですが、その一つに乗ってクルクル
回っていたのは、「加彩 婦女俑」(唐時代・8世紀)でした。
8世紀の盛唐、ふっくらと豊満なスタイルの女性像が主流となった。左手には本来小鳥が止まっていたようで、そのさえずりに耳を傾けるように首をややかしげている。
彩色はほとんど落ちてしまったが、かえって造形の美しさが際立つ。
とする説明板には、作品のひと言解説のように、
盛唐女性はぽっちゃりがお好み
と書かれていました。
ほんとにぽっちゃりです
そして、そのポーズもかわいい
この作品を観て思い出した、正倉院宝物の「鳥毛立女屏風」に描かれた女性もぽっちゃり系でしたなぁ「鳥毛立女屏風」は国産品(中国にはいないヤマドリの羽毛が使われている)ですが、時は8世紀、唐の流行を取り入れて制作されたのでしょう。天平時代の日本人もぽっちゃり系がお好みだったのかどうかは判りません
こんなところで「#2-5」につづきます。
つづき:2025/02/05 今年最初の関西旅行記 #2-5
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