「江戸を感じた日曜日(その2)」のつづき。
台東区立一葉記念館では特別展「一葉と江戸」が開催中(2010/10/1~12/24)でした。
一葉女史は明治5年(1872)生まれですから、「江戸」は「東京」に名前を変え、時代は既に「明治時代」。
それなのに、なぜ「一葉と江戸」?
特別展のフライヤーから引用しましょう。
幕末に青春時代を過ごした両親に育てられ、幼い頃から蔵の中で草双紙を読みふけり、江戸時代に大成した書を学んでいた、そんな一葉を、明治~昭和期の評論家・相馬御風(そうま・ぎょふう)は、「最後の江戸の女」と評しました。一葉のまわりには「江戸」が息づいていたのです。
本展では、一葉自身の内面や一葉作品に映し出される「江戸」を、様々な資料を通してご紹介いたします。
だそうな。
そんなわけで、展示は「一葉の父母が生きた幕末」「一葉が学んだ江戸の書」「一葉作品から見える江戸」「江戸文学と一葉」「目で楽しむ江戸」という構成になってなっていました。
一葉女史そのものに関する資料というよりは、一葉女史の生活や創作活動の背景となった江戸の残香がそこはかとなく漂う資料が多かった印象でした。
ここでちょいと寄り道。
この記事を書くにあたって、「江戸⇒東京」の改称の経緯を調べておりましたところ、Wikipediaの「東京」にこんな記述を発見しました。
江戸を東京と改称するという構想は、江戸時代後期の経世家である佐藤信淵が文政6年(1823年)に著した『混同秘策』に既に現われており、大久保利通はこれに影響を受けて江戸を東京とする建言をしたという。
なんと、「ここで逢ったが百万年」(「のだめカンタービレ」でのミルヒーの言い回し
)、佐藤信淵さんが登場しました
9月15日の記事「超々久しぶりの千秋公園(その6)」でご紹介した、あの佐藤信淵さんデス
いやぁ~、ビックリしました…。
正直申し上げますと、一葉記念館の展示には、一葉女史が実際に使った日用品とか手回り品の現物が少なくて、ちょっと…でした。
この「愛用の文机」も複製だそうです(写真は台東区文化ガイドブックから拝借)。
それでも、「ほぉ~。私の文机(今は物置台と化しています)よりかなり低いなぁ」と、頭痛と肩こりに悩まされながら執筆に励む一葉女史の姿に思いを馳せることができました。
また、吉原遊郭のガイドブックともいうべき「吉原細見」(店だけでなく、遊女ごとにランクづけされている)とか、一葉女史の下谷龍泉寺町の居宅や棟割り長屋の模型なんぞは、私の目をグイグイと惹きまくり
模型といえば、3m四方の大きな大きな「江戸風俗人形・三浦屋模型」は素晴らしい作品でした。
現物は撮影禁止なもので、上の写真はフライヤーから拝借しました。
「建物:三浦宏、人形:辻村寿三郎、小道具:服部一郎」の共作によるこの模型、江戸時代の吉原遊郭の大見世(最も格の高い遊女屋)はこうだったんだ、と「目から鱗」の大作です。
しげしげと花魁の居室(私室)なんぞを見ていると、日曜劇場「JIN-仁-」の鈴屋のセットを思い出します…。
そういえば、この模型で三浦屋の玄関に掲げられている暖簾に染め抜かれているのは「丸に橘」紋。栄・恭太郎・咲の橘家の紋所と同じデス
後で知ったことですが、この「江戸風俗人形・三浦屋模型」は、台東区の所蔵品で、一般公開は約2年ぶりなのだとか。私は何とラッキーだったのでしょうか
この機を逃してはもったいないですぞ
もう一点、一葉記念館ならではの展示品がありました。
それは5000円札の現ナマ
もちろん、一葉女史の肖像が使われている現行の5000円札です。
一葉記念館に展示されている5000円札は、日本銀行から寄贈されたものだそうで、シリアルナンバーは、2番(AA000002A)
ちなみにシリアルナンバー1番は日銀の貨幣博物館が所蔵しているのだとか。
(いま、ふつふつと貨幣博物館に行ってみたい気持ちが湧き上がってます)
私が一葉記念館を見物している時、小学校低学年くらいのお嬢さんを連れて観覧しているお父さん(らしき人)がました。
ところどころで、お父さんが展示品について説明してあげていましたけれど、子どもには判らない(判ったら怖い)「大人の世界」に関する展示が多いだけに、うまく説明できたのでしょうか?
お子様連れでの見学をお考えのお父さん・お母さんたち、しっかりと下準備して行かれた方がよろしいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます