新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

金環日食まであと24時間を切りました

2012-05-20 10:10:39 | ニュース

いよいよ世紀のイベント「金環日食」が近づいてきました


いつものStella Theater Proで現在(5月20日 7:33)の状況をシミュレートしますと、


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かなり太陽が接近しています。
これが24時間後には、


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おぉ、金環日食
しかも、太陽が重なっているだけでなく、水星・木星・太陽&月・金星がほぼ一直線


もっとも、金環日食の真っ最中でも、このシミュレーションのように星空が見えるわけではなく、「薄暗いかな?」程度のようです…


   


国立天文台のサイトによれば、東京では7時31分59秒に金環日食が始まり、7時34分00秒食が最大になり、7時37分00秒金環日食が、そして9時02分37秒日食が終わるのだそうで、私は通勤途中東名高速・港北PA(下り)で見物しようと考えています。


その見物方法はといいますと、もっとも簡単な方法、ピンホール作戦


小さなを空けたカードを準備して、その影を観察してみようというもの(詳しくは「世界天文年2009 日食観測ガイド」をご参照ください)。
これなら眼を痛める恐れはないし、お金もかかりませんから


先週金曜日、ふとあることを思いつきました。
うまく5つの穴を開けたカードを使えば、金環オリンピックのマークを描くのではなかろうかということ


本番を明日に控えて、実験してみました。
こんな風にが映れば、「金環でオリンピックマーク」が期待できます


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ところが、試作品をつくって、白い紙に映すと、


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だめだぁ~


太陽光は限りなく平行に進みますから、五つの穴はいつまで経っても独立した五つの穴で、重なり合うことはありません

こんなことは小学校で習ったはずなのに…


   


先週木曜日の通勤途中、東名高速・港北PA(下り)コンビニでその日の昼食を買ったのですが、レジ横にこんなカードが置かれているのを発見


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宇宙兄弟公開記念 日食観測用 ピンホールカード」とな


これがあれば、わざわざピンホールカードを自作する必要はありませんLucky といただいてきたのは言うまでもありません。
もっとも、その後、「金環でオリンピックマーク」なんてことを思いつき、今日に至っているわけではありますが…


そんなこんなで、金環日食当日は、この「宇宙兄弟公開記念 日食観測用 ピンホールカード」を使って観測することにします。
そして予行練習も無事に完了


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ただ、天気が…


天気予報によると、太平洋沿岸地域は曇りっぽい…
たった5分間のできごとなのですから、その時間だけでも雲間太陽が見られるよう、空に気合いを送りましょう


そんな思いを込めて、昨夜、映画「宇宙兄弟」を観てきました


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ストーリーの流れとかエピソードとか、登場人物のキャラクターとか、かなりベタな感じでしたが、映画にとって最も重要な「絵」良くできていたと思います。


いくらかでも宇宙に興味を持っている人にはお奨めできる作品ですぞ


と、金環日食ジャスト24時間前に書き始めたというのに、洗濯だ、朝食だ、ピンホールカードの実験だと、アップするのにこんなに時間がかかってしまいましたとさ


つづき:2012/05/21 ピンホール・カード作戦は空振り

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沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その3)

2012-05-19 19:16:11 | 旅行記

またもや一息入って、「沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その2)」のつづきです。


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私、子どもの頃は、動物園とか水族館とか植物園とかあまり好きではありませんでした嫌いではないものの、連れて行ってくれと親にせがんだ記憶がまったくなく、保育所や学校の遠足などで行くだけで充分だった気がします(代わって、私がたまらなく好きだったのはお祭り)。
それが、歳を取るにつれて、こんな生き物を集めたところが好きになってきまして、5年半前に大阪の海遊館に行ったときは、私の水族館に対する見方が大転換してしまいました
水族館ってこんなに楽しいんだ とネ


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もっとも、その後、水族館に行くこともなく、今回の沖縄美ら海水族館の訪問に至ったわけです。


それはともかく、いやぁ~、(その2)に書いたとおり、ホント、楽しかった


120518_2_03 沖縄美ら海水族館自慢巨大水槽巨大なジンベエザメ には度肝を抜かれましたし、大小様々なエイが泳ぐ様は優雅で、ダンスを見ているような気になりました。


その巨大水槽、「世界最大」の看板はドバイ・アクエリアムに譲ってしまったそうですが、その観客と魚たちとを隔てるアクリルパネルがまた凄い


右に載せた巨大な寒天のようなものが、アクリルパネルで、厚さは約60cm

横から見ると厚さ数cmのアクリルパネルを貼り合わせて作られていることが判るのですが、正面から見ると、普通のきれいな一枚のガラス板にしか見えません


いったいどうなっているのでしょうか


実は海遊館の水槽も、沖縄美ら海水族館の大水槽も、さらに世界最大のドバイ・アクエリアムのパネルも、香川にある日プラというメーカーが作ったものだそうな。


日プラさんを紹介したこちらの記事によりますと、


沖縄に建設される美ら海水族館から、目玉となる「黒潮の海」展示水槽の話がきたのは、01年のこと。設計図には何と、外枠の高さ8・2m、幅22・5mという、世界にも例のない超巨大な窓が付けられていた。


ところが、この設計図を見た日プラの社長さんが、


「観客には窓があることさえ忘れてほしい。まるで海の中にいるみたいな気分になれるよう、水と魚以外は視界から消せないか


とおっしゃって、現在のような、補強材のない、まるで一枚のガラスのような巨大なパネル製作に繋がったのだとか。

一般人には気づかないところに、日本の技術が潜んでいたのですねぇ。


   


名物・巨大水槽の「黒潮の海」以外にも、見どころがたくさんありました。

今回改めて不思議に思ったのは、南の海に住む魚って、どうしてこんなに色鮮やかなんだろうということ。


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こんなきれいな魚たちが泳ぐ南の海、潜ったら夢の世界なんだろうな、と、ダイビングする人たちの気持ちが判る気がしました。


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また、きれいな魚がいる一方で、こんなひょうきんかわいらしい魚(ヘビやミミズの類ではない)とか、


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とんでもない面相のこちらとか、


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こちらとか、


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眠りこけているまぶたがないので確たることは言えませんが)のとか、


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次から次へとワクワクする魚たちが現れて、もう、タ・マ・リ・マ・セ・ン


さらに、ウミガメさんが、よぉ挨拶しながら(?)目の前を泳いでいくし、


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セイウチくんは、前ビレを足のように使って「歩いてくる」し、


120518_2_11 で、楽しいったらありゃしません


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これほど多様な生物が生きている海、大事にしなければいけませんなぁ。


改めて、沖縄に来たからには、沖縄美ら海水族館を見に来ないともったいないと強く思った私でありました。


【追記】「お祭り好き」「エイ」で思い出したことがあります。


私、幼少のみぎりは、毎年7月、母の実家にお祭り見物に行くのを楽しみにしていました。

母の実家に行くと、出される料理の中に必ず入っていたのが、カスベという食べ物。
何かを甘辛く煮詰めたもので、私の実家では食べたことなく、母の実家の街でしか食べたことがありません。

形も妙だし、食感も独特だし、いったい、これは何だろうか?と長いこと思っていました。


このカスベなるもの、Wikipediaの「エイ」に記述されているように、


(エイの)ヒレの軟骨部分を長時間煮て甘辛く煮付けたもの


です。
長いことカスベを食べていません。
首都圏でカスベを食べさせてくれるお店はあるのかな… (2012/05/19 19:56)


つづき:2012/05/26 沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その4)

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思いがけないところで「恋は終わらないずっと」

2012-05-19 13:55:36 | MISIA

今度の火曜日、5月22日から、NHKドラマ10「はつ恋」が始まります。


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このドラマ、わたし的には、番組HPにもあるように、


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中園ミホ × 木村佳乃 × MISIAの組み合わせからして、かなり期待できる作品ではなかろうかと思っています。


番宣(番組サイトでも見られます)は、見事に自宅ブルーレイ・レコーダーHDDに収まっておりまして、流れてくる、


恋しくて 切なくなくなる
あなたを忘れられなくて
もう一度……


サビの部分だけ何度聴いたことか…


でも、このサビ以外を聴いたことがない…


もういくつ寝ると聴けるのか、心待ちにしている今日この頃でありました。


   


さっき、PC通信用のデータ端末を買い換えに(そしてデータ通信の契約変更のため)近所のドコモ・ショップに行ってきました。


お店は結構混んでいて、私は1時間近く待たされることになったのですが、その待っている最中、かすかに流れるBGMに聞き覚えのあるような歌声を認識しました。
なんとなくMISIAっぽいと思って、意識をBGMに集中しますと、これがなんと、


恋は終わらないずっと<br />(初回生産限定盤) 恋は終わらないずっと
(初回生産限定盤)

価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2012-06-20
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NHKドラマ10「はつ恋」の主題歌で、6月20日に発売されるMISIAの新曲「恋は終わらないずっと」でした

しかも、周りの雑音に紛れて良く聴き取れなかったもののフルバージョンで流れていたようです


なんという奇遇 なんという幸運


それにしても、音源は何だったのでしょうか?


もしかして、有線放送ではもう「恋は終わらないずっと」が流されているのでしょうか?

もっとも、ジタバタしてもしなくても、今度の火曜日にはTV「恋は終わらないずっと」が聴けます

途切れ途切れに聞こえた「恋は終わらないずっと」、かなりよさげでしたから、ますます期待が高まります

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沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その2)

2012-05-16 22:22:39 | 旅行記

一息入れて、「沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その1)」のつづきです。


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やって来ました沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館


噂に違わない素晴らしい、そして楽しい施設でした


那覇からは結構離れていますけれど、沖縄に観光に行ったら沖縄美ら海水族館に行かないともったいない
ついでに言えば、沖縄美ら海水族館に行ったら今帰仁城(なきじんぐすく)に行かないともったいない


おっと、指が滑りました 今帰仁城のことは後日にとっておきまして、まずは沖縄美ら海水族館のお話。


   


120516_1_02_2 沖縄美ら海水族館入館料金は、大人(個人)の場合、1800円です。
私が使った入館券には、右に載せた写真のように「園外販売券 Advance Ticket」と印字されています。私は宿泊先のホテルでこのチケットを買いまして、チケットには「1800円」と印字されていますが、実際に支払ったのは1割引1,620円でした。


今、この記事を書きながら思ったのは、「券面に『1800円』としか書かれていないのなら、園外販売券の値付けは、それを売るお店の自由か?」ということ。


さっそく調べてみると、すぐにこちらのサイトに行き着きました。
それによりますと、案の上、園外販売券の値付けは、それを売るお店に委ねられているようで、


公園内でご購入した場合大人¥1800ですが、水族館周辺の飲食店やダイビング・ショップやコンビニでは¥1650で購入できます
しっかしっ
ファミリーマートでは、さらにお安く、なんと¥1620で購入できます
そして最安値は
道の駅許田では、なんと¥1550円


ですって


道の駅許田とは、、、、、


アクセスマップをみると、私もこの前を通ったはずです。
やはり事前調査って大事だと思います…


それはそうと、許田IC沖縄自動車道から降りて沖縄美ら海水族館に向かう途中、あちこちで「美ら海水族館の割引入場券あります」という看板を目にしました。

しまいには、「最後の美ら海水族館の割引入場券販売所です」(といった内容)の看板までありました。


ここで改めて考えるのは、許田ICからに向かうまでに存在する圏外販売券取扱店の値付けはどうなっているのかということ。
あまり安く売っては儲けが少ないし、高ければ他の店にお客を取られます。

ガソリン価格マップのような「沖縄美ら海水族館 圏外販売券 実売価格マップ」はないものでしょうか?


   


と、またもや本題に入れないまま、本日はこれまで


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つづき:2012/05/19 沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その3)

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沖縄旅行記の真っ最中ですが…

2012-05-15 22:36:59 | ニュース

きょう、5月15日沖縄が日本に復帰してから40周年の節目の日。
2週間前にこの目で見た沖縄コンベンションセンター宜野湾市)で記念式典が開催されたようです。


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今回の沖縄旅行を控えて沖縄の歴史を勉強したり、実際に行って沖縄県平和祈念資料館糸満市)で沖縄の近現代史の史料や展示を観たり、そして何よりも、沖縄の自然や文化・風俗を実際に見て思ったのは、沖縄の人たちにとって「日本」は祖国なのだろうか、本土は沖縄の人たちから「祖国」と呼んでもらえる資格を持っているのだろうか「本土復帰」「アメリカの治政よりも日本の方がマシ」というだけだったのではないかということでした。


120515_1_02 また、日本に復帰したといっても、それから40年経ってもなお、沖縄本島の面積の約18.4%をアメリカの軍用地が占めている事実は、沖縄の位置が地政学的に重要であるとしても、異常だと思います。
実際、沖縄自動車道を走っても、国道58号線を走っても、延々と米軍施設の区画を示すフェンスが続く区域があり、本土では比較的に米軍基地が多い神奈川県に比べるまでもなく、沖縄が置かれている特殊な状況を推し量ることができました。


ところで、神奈川県中部にある私の職場、上空を頻繁に日米の軍用機が飛び交っています。


プロペラ機のP-3Cでもかなりやかましいというのに、ジェット戦闘機のFA18ときたら、ハンパないやかましさで、目の前の人との会話さえままならないほど。
2010年10月の記事「軍用機の爆音はすさまじい」で書いた観閲式に向かう戦闘機と、通常業務の戦闘機とでは、やかましさが一桁違う気がします


そんなやかましい通常業務を行う軍用機が行き交う普天間飛行場は、ホントに街の中にあります。


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日頃、軍用機の爆音を耳にしているだけに、この異常な状況を、より一層異常に感じられます。


残念ながら沖縄から軍事基地がなくなることはあり得ないと思っている私ですが、なんとかもう少しでもマシな状況になることはできないものだろうかと考え込んでしまいます。
そんな考えに耽るきっかけになったことだけでも、今回の沖縄旅行は有意義でした…。


※この記事に使った沖縄の地図・航空写真は、沖縄県知事公室基地対策課の資料「沖縄の米軍基地の現状と課題」から拝借しました。

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沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その1)

2012-05-14 22:40:32 | 旅行記

「沖縄旅行記は2日目から始まる(その6)」のつづきは沖縄旅行3日目に突入です。


3日目は、当日の記事「空梅雨かもしれない沖縄旅行・3日目のあらすじ」で書いたように、レンタカーを駆ってひたすらドライブの一日でした。
「JAFナビ」で作成した予定のルートはこんな具合


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旅行前、つらつら考えていた旅行3日目の訪問ポイントは以下の4カ所でした。


①今帰仁城趾
②沖縄美ら海水族館
③さんご畑 陸上のサンゴ礁
④宜野湾海浜公園


このうち、敬愛するMISIAゆかりの地が2カ所含まれているところが、私の旅らしいところと言えるかもしれません。


MISIA絡みの話はまた後日書くとして、JAFナビの見積もりによれば、ホテル9:30に出発した場合、上記の4カ所を巡り、ホテルに帰着するのは19:01と、走行距離190km総所要時間9時間31分でした。


これに対して、実際の行動は、ホテルを出発したのが8:17で、帰着したのが18:22総所要時間は10時間05分でした。予定より30分ほど余計にかかっていますが、これは主に今帰仁城趾の滞在時間が1時間の予定が1時間50分に、さんご畑 陸上のサンゴ礁の滞在時間が1時間の予定に対して1時間15分にそれぞれ伸びたためで、その分を差し引けば、クルマの走行時間5時間の見積もりに対して4時間30分と、かなり正確、かなりスムーズだったことが判ります。


ちなみに、沖縄美ら海水族館への滞在時間は予定の2時間に対して2時間05分宜野湾海浜公園予定の30分に対して31分と、時計を見なかったことが信じられないほど(腕時計つけ忘れて出発してしまいましたピッタリでした。
このように、気の向くままに動き回っていた割には、所要時間は予定調和的に収まるところに収まった3日目、1週間以上経ってしまった今、思い返しても満足です


   


初めて走る沖縄自動車道那覇ICから入ると、しばらく椰子並木が続いていて、おきなわぁ~と大盛り上がり 当然ながら写真はありません なにせ運転していましたから…。


さて、かなりスムーズに流れる沖縄自動車道を走りながら、私は、当初の予定どおり今帰仁城趾沖縄美ら海水族館の順番で訪れるか、逆に沖縄美ら海水族館今帰仁城趾の順番にするか考えていました
この日、5月1日ゴールデンウィークながら平日です。かなり混むことが予想される沖縄美ら海水族館とそれほどでもなさそうな今帰仁城趾と、先にどちらへ行くべきか… と。


そんなときに起こったのが、「空梅雨かもしれない沖縄旅行・3日目のあらすじ」で書いた警告事件


ふと我に帰って(それまでも運転にはある程度集中していたつもり)、決めました。
先に沖縄美ら海水族館へ行こう と…。


当初の予定どおり、先に今帰仁城趾へ行ったらどうなったか知るよしもありませんが、結果からすれば問題ない決断だったと思います。


   


首里城近くのホテルを出発してから約1時間30分後、無事に沖縄美ら海水族館に到着し、駐車場にもすんなりと入ることができました


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おぉ、順調、順調


あ、そうだ
往路では沖縄自動車道那覇ICから許田料金所まで使ったのですが、出口では料金が500円と表示されたような気がしました。


あれ、安すぎやしませんか


通勤では、毎日、東名高速東京IC横浜町田ICを走って、750円支払っている感覚からすれば、500円という金額はかなり安い


あとでETC利用明細を見ると、


120514_1_03 利用証明書の右下に印字されている「004」、
こちらにあるとおり、


120514_1_04


ETC通勤割引が適用されていました。


首都圏(大阪圏も)に住んでいると何の恩恵にもあずかれないETC通勤割引、ついに使うことができました


当初の予定(9:15)より1時間近く早く出発した甲斐があったというもの。
まさしく「早起きは三文の得」ってやつですな


まだ本編に突入していない状況ですが、平日の夜につき、きょうはここまで
ちびちび書き続けます。

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噴水が復活!

2012-05-13 11:51:18 | タウンウオッチング

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上野公園の噴水が復活している [携帯]


【追記】写真をデジカメで撮ったものに差し替えました。


もうお気づきのように、上野に行ってきました。

今日は博物館と美術館をハシゴして、二つの特別展を楽しんできました。


120513_2_02まず東京国立博物館(東博)本館・日本ギャラリーの1階3/4だけ観て、平成館に移動して「日本の考古」を観た後、特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」を鑑賞


そして、一旦東博を後にして、東京藝術大学美術館に行き、「近代洋画の開拓者 高橋由一」展を鑑賞。


そしてそして、再び東博に戻り(パスポートを持ってますから)、本館・日本ギャラリーの2階を鑑賞してきました。


きょうも楽しんでまいりました。天気がとてつもなく良かったし、「ボストン美術館 日本美術の至宝」の混み方もほどほどでしたしネ


きょうの博物館・美術館のハシゴのお話は後日 (2012/05/13 17:39)

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沖縄旅行記は2日目から始まる(その6)

2012-05-13 09:41:16 | 旅行記

「沖縄旅行記は2日目から始まる(その5)」のつづき、2日目の最終回です。


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思い起こせば、去年のゴールデンウィーク、南九州旅行を敢行して、熊本城の壮大な縄張りと石垣に感嘆したものでした(記事はこちら)。

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上に載せた熊本城の石垣は、規模の大小はともかく、本土の城としてはなじみ深いものですが、首里城の石垣は(翌日訪問した今帰仁城も)かなり様相を異にしていました。

節々がチョワンと立ち上がっていて(ご理解いただけます?)、その曲線の具合は本土では見られない気がします


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石垣もさることながら、この 首里城で実質的に最初の門になる「歓会門」アーチなんて、ねぇ (意味不明ですか?)


   


ところで、「実質的に最初の門」と書きましたが、ここに至るまでには守礼門と、もうひとつの門があります。


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この門はしっかりと閉じられて、観光客の入門を拒んでいます
説明板によりますと、この門は「園比屋武御嶽石門(そのひやん うたき いしもん)」というのだそうで、


石門とその奥の森を園比屋武御嶽といい王府の祈願所であった。石門は神社でいう拝殿にあたるが、本殿に相当する建物はなく、石門の後ろに広がる森がそれにあたるという。
石門の創建は尚真王時代の1519年。1933年には旧国宝に指定されたが沖縄戦で大破。1957年に復元され後に解体修理し1986年に完成した。
石門は竹富島の西塘(にしとう)の作と伝えられる。石材は主に琉球石灰岩を用い板葺唐破風屋根を表す。屋根の飾りなどに日本と中国の様式を合わせて用いた沖縄独特の優れた石造建築である。


とのこと(句点、句読点を補足しました)。
本殿に相当する建物がなく、森や山が礼拝の対象となるケースは、日本本土では珍しい話ではありません。自然そのものを崇拝するというのは日本に近い感覚なのかもしれません。


   


首里城、それも正殿前の御庭(うなー)に関して以前から疑問に思っていたことが二つありました。
それは、


①御庭が縞々になっているのはなぜなのか?
②御庭が長方形ではないのはなぜなのか?


ということ。

首里城のリーフレットから御庭の図を転載しますと、私の疑問をご理解いただけるのではなかろうかと…。


120512_2_05①の縞々は、私が撮った写真から。


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この二つの疑問について、展示やリーフレットに答がありました。


まず、①。
公式HPによれば、


年間を通じて様々な儀式が行われた広場である。御庭には磚(せん)【敷き瓦】というタイル状のものが敷かれているが、この色違いの列は、儀式のさいに諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。


だそうで、北殿に展示されていたジオラマでその様子を見ることができました。


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そういえば、かつて会社の講堂の床が色違いのカーペットで縞々になっていましたっけ…。


それはともかく、クルマを走らせていて、道路に描かれた速度注意を促す朱色の縞々デコデコと通過するたび、首里城の御庭を思い出す私であります。


さて、疑問の②はこれまた北殿にの展示の中に答らしきものがありました。


120512_2_08 Q. 「御庭(うなー)」の形は真四角でしょうか?


に対しての答が、


120512_2_09 A. 真四角ではなく、変形しています。
このため中央の「浮道(うきみち)」も斜めになっています。もともとは真四角で、建物の増改装のため変形したとの説があります。


「との説があります」というぼんやりした回答が苦しい…


もう一つ、実際に来てみて不思議に思ったことにも答らしきものがありました。
中国にしても、それに倣った日本にしても、宮殿(正殿)は決まってを向いているものですが、首里城正殿西を向いて建っています。

これについての答は、


120512_2_10 A. 国王は太陽として尊敬されており、東を背にしたので建物が西向きになったとの説があります。


またもや「との説があります」の登場ですが、中国とも違う、日本とも違う沖縄の特質が表れたお話だと思います。


   


帰ってきてから非常に残念に思っていることがあります。
それは、首里城の北側を通る道路(龍潭通り)から見上げた首里城の佇まいを写真に撮ることができなかったこと。
クルマを停めるタイミングがなかったためです


龍潭池を挟んで見上げる首里城の朱色の壁と瓦の連なりはなかなかの見ものでした。
もし沖縄にお出かけの際は、このスポットをお見逃しなく


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首里城は、沖縄戦で徹底的に破壊され、戦後は琉球大学のキャンパスに変わった時期もあったとのこと。
この辺りの経緯は公式HPにも記述があります。


1879年(明治12)春、首里城から国王が追放され「沖縄県」となった後、首里城は日本軍の駐屯地、各種の学校等に使われた。1930年代に大規模な修理が行われたが、1945年にアメリカ軍の攻撃により全焼した。戦後、跡地は琉球大学のキャンパスとなったが、大学移転後に復元事業が推進され現在に及んでいる。


また、沖縄戦と首里城(とりわけ軍司令部が置かれた地下壕)との関わりについては、琉球新報が1992年に連載した「首里城地下の沖縄戦~32軍司令部壕」がとても参考になります。この連載記事、内容だけでなく、WEBで読めるということも素晴らしい


   


さて、現在も復元工事が行われている首里城、右掖門を抜けて帰ろうとしたとき、


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石垣にこんな表示がありました。


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ところが、じっくり見ても「復元石積」「遺構石積」の区別がつきません


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良い仕事だと思います


そろそろ「旅行記2日目」終わりにしたいところですが、これを載せておかねば


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真ん中に写っているのはコマ、ではなく日影台(にちえいだい)、つまり日時計です。
このすぐ近くにある「漏刻門(ろうこくもん)」の中にあった漏刻(水時計)による時間管理を補完していたそうです。

北京・故宮でも、太和殿のすぐ前に日時計がありましたっけ…


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皇帝・国王がを支配するということなのでしょう。


120512_2_17 また、日影台の左後方にある四阿のような建物の中には「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」レプリカが吊されています。


重要文化財に指定されている「万国津梁の鐘」現物は、この日の午前中に沖縄県立博物館で拝見いたしました。


   


なんともとりとめのない首里城趾訪問記になってしまいました…
まだまだ紹介したい写真がたっぷりあるのですが、それらは折に触れて載せたいと思っていますし、獅子(シーサー)たちのコレクションは、後日まとめて載せることにします。
ということで、首里城訪問記っつうか、沖縄旅行2日目のお話はこれにて一巻の終わりです。


いやぁ~、楽しかった


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つづき:2012/05/14 沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その1)

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沖縄旅行記は2日目から始まる(その5)

2012-05-12 11:12:05 | 旅行記

「沖縄旅行記は2日目から始まる(その4)」のつづきは、沖縄のシンボルともいってもよいのではないかと思う首里城の訪問記です。


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上の写真は、帰り際、17:52に撮ったもので、もう観光客は少なめですが、この1時間前には、もう夕方だというのにかなりの人出でした(中国人観光客の声がデカイ)。


写真やTVなどでは何度も見ていたこの首里城正殿と御庭(うなー)、第一印象は、「思ったよりこぢんまりしている」というものでした。
もっとも、これは「カメラのマジック」に欺されていただけのようで、これまでも、国立霞ヶ丘競技場とか、北京の故宮・太和殿とか、同じ印象でした。


北京の故宮を例えに使ったついでに書けば、故宮・太和殿の階段の真ん中は浮彫が施されたスロープになっていて、階段を昇ろうとすると、真ん中を避けて歩かなければなりません。
どうしてこんな造りになっているのかというと、この「浮彫が施されたスロープ」は皇帝のためだけのスペースで、皇帝は、左右の階段を昇る従者たちに支えられた輿に乗ってこのスロープの上を通ったのだとか。


一方の首里城正殿前の御庭の真ん中に、正殿に続く「赤い道」があります。これは、こちらの説明によれば、


中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者【冊封使(さっぽうし)】等限られた人だけが通ることを許された。


ということで、似た発想です。


   


さて、久しぶりに「べつやくメソッド」を使って首里城の感想を表現してみましょうか。

120510_1_02 正殿の特徴的な唐破風は、その名とは裏腹に日本風ですが、屋根を飾るを始めとした全体のバランスが全然日本と違います


120510_1_03 正殿2階の御差床(うさすか=玉座)なんか、まったくもって中国風でした


120510_1_04 ちなみに、故宮・乾清宮の玉座がこちらで、


120510_1_05_2 平城宮高御座(たかみくら)がこちら


120510_1_06 まるで趣が異なりますなぁ。


ところで、御差床の正面、正殿の大きな破風の下に、琉球王の「椅子」が置かれていました。


120510_1_07 琉球王は壁に向かって座り、沈思黙考した…なんてのは冗談で、説明によりますと、


御差床(うさすか)の正面には御庭(うなー)に面した小部屋があり、正月の儀式の時など、国王が御轎椅(うちゅーい=椅子)に座り御庭に並ぶ諸官の謁見を受けた。


のだとか。

外からこの場所を見るとこんな具合です。


120510_1_08


唐破風といい、こうした趣向といい、東大寺大仏殿観相窓を連想してしまいました。


120510_1_09


ついでに書きますと、私があまり好きではないと公言(?)している「唐破風」、その名に反して、日本で鎌倉時代に作られた様式だそうです。
「唐」から来たわけでもないのに「唐破風」とは、天津飯とかナポリタンみたいなものでしょうか?


「日本と違う」といえば、国王の冠(複製:実物の1.2倍大)もかなり独特のものでした。


120510_1_10


冠を横に貫く巨大なピン(簪:かんざし)が印象的です。


120510_1_11 もっとも、日本の冠で留める仕組みだったようで、右に載せた伝・源頼朝さんが被っている垂纓冠についているのようなものが簪です。
私、以前から、どうして冠に菜箸のようなものがついているのだろうかと不思議に思っていましたが、今日になってその秘密(?)を知りました


それはさておき、NHKのドラマ「テンペスト」で見るように琉球王国のお役人さんたちはそろいの帽子を被っています。
この帽子、ハチマキと呼ぶのだそうで(沖縄県立博物館で知りました)、このハチマキの色や柄で、お役人さんの官位が一目瞭然になっていたのだとか(Wikipediaをご参照方)。
また、どうしてハチマキなのかといいますと、現物を見ますと、確かに布がグルグル巻かれた構造になっています(ただし、てっぺんはふさがっていて、帽子状です)。

「ハチマキの歴史」は、「テンペスト」の歴史考証を担当された歴史家・上里隆史さんのブログをご参照くださいませ。


   


実はこの記事、5月10日(木)にアップするべく書き始めたものなのですが、なかなか時間がとれず、ようやく今日、ここまで書きました。
ですが、なんとなく流れが思う方向とは別に向かっていますので、「その5」はここで終わりにして、心機一転「その6」で沖縄旅行2日目を締めることにします。


つづき:2012/05/13 沖縄旅行記は2日目から始まる(その6)

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沖縄旅行記は2日目から始まる(その4)

2012-05-09 22:00:29 | 旅行記

一昨日で私の連休も終わり、昨日からいつもの通勤が戻ってきました。
連休前に比べて、2日とも、そして、往復とも、渋滞もなくすんなりで、かなり気分よろしです


それはそうと、「沖縄旅行記は2日目から始まる(その3)」のつづきです。


120508_1_01


レンタカー屋さんでクルマを借り出した私、ひとまず一泊目のホテルに行き、預けておいた荷物を引き取りました。


そして、2~3泊目のホテルに向かい、チェックイン
部屋まで荷物を運んでくれるホテルに泊まるなんて、ホントに久しぶりです


120508_1_02


たまには贅沢してみるのも良いものです。


   


一息ついた後、再びクルマに乗り込み、首里城公園に向かいました。
首里城公園には公営の駐車場があることを確認済みだったのですが、この駐車場観光バス優先とかで使えず(そういう立て看板がありましたけど、もしかすると民間駐車場の策略かもしれず…)、近くの民間駐車場を利用することにしました(1回500円)。


そして、まず向かったのは、琉球王家第二尚氏)の陵墓、玉陵(たまうどぅん)


120508_1_03


突然のにたたられたものの、良かったぁ~

本土にはこんなお墓はありません


120508_1_04


よく知られた守礼門とか首里城正殿華やかさと対極にある渋さ


リーフレットから転記しますと、


玉陵は、1501年、尚真王が父尚丹王の遺骨を回葬するために築かれ、第二尚氏王統の陵墓となりました。
墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。墓域は、2,442㎡。
沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、修復工事が行われ、往時の姿を取戻して今日に至っています。


だそうです。


上に載せた写真は外庭から撮ったもので、中庭から東室を見ますとこんな具合。


120508_1_06


そして、中室西室がこちらです。


120508_1_07


そしてそして、東室の左(東)、東室と中室の間:円塔西室の右(西)に鎮座するシーサーたちがこちら。


120508_1_08


ん~…、趣き深い… (まんなかのシーサーが「あぉ~んって感じでかわいい


玉陵は、この後訪れた首里城跡とは比べものにならないほど観光客がまばらでしたが、せっかく沖縄に出かけたのなら、玉陵も観ないともったいないですゾ


続いて、首里城訪問のことも書きたいところですが、守礼門の写真だけでご勘弁を


120508_1_09


つづき:2012/05/12 沖縄旅行記は2日目から始まる(その5)

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