東京新聞の記事【<91342人 裁判員10年>(2)死刑でよかったのか 37件 重くのしかかる命の判断】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/CK2019052002000110.html)。
《判決言い渡しから四年がたったが、「本当にあれでよかったのか」との思いが頭から離れない。死刑執行を伝えるニュースに触れるたびに、「自分も人を殺すのに加担したのではないか」との後悔がぶり返す》。
なぜ〝素人〟裁判官に「死刑のスイッチ」を押させる必要があるのか、さっぱり理解できない。国の意図にまるまま乗せられていないか? 十分な審議時間を要する、死刑が予想されるような重大事件に何の知識も経験ももない〝素人〟裁判官を関わらせる意図が不明だ。国会議員が関わるような重要な刑事事件にこそ、参加させればよいではないか。
沖縄タイムスの【社説[裁判員制度10年]市民の参加促す工夫を】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/422319)によると、《刑事裁判に一般市民の感覚を反映させる目的で導入された裁判員制度が21日で10年となる》。
どこの社説も、裁判員制度に前向き過ぎて、不思議過ぎる。御用広報紙を使い、最高裁がやらせタウンミーティングまで開いて導入した裁判員制度だから?
『●『つぶせ! 裁判員制度』読了』
《政府は、タウンミーティング(TM)という企画を主催し、…この中で、
司法制度改革をテーマにした七回のうち六回までがシナリオ通りの
やらせだったといいます…。…ほとんど、「平成田舎芝居」…》。
「サクラの動員も」。
《産経新聞は、…「裁判員制度全国フォーラム」(最高裁、
産経新聞等の主催)で、一人当たり三〇〇〇円から五〇〇〇円を
支払うことで計二四四人をサクラとして動員したが、…魚住昭氏が
「最高裁が手を染めた『27億円の癒着』」(『月刊現代』平成一九年
四月号)という記事で詳細にレポートしています。…産経新聞としては、
最高裁から出る広告料金でサクラの動員費用を支払って余りある
という計算があるらしい。ここまで来ると最高裁とマスコミの癒着ぶりは
よくわかります》
『●善良な市民には関係ない??
死刑制度存置派驚異の8割の我国では全く揺るがず!?』
『●袴田冤罪事件を機に死刑制度の再考ができない我国』
『●「死刑のスイッチ」を強制する裁判員制度:
「やった人でないと、この苦しみは分からない」』
『●裁判員の心を慮る・・・』
『●シロウト裁判官の地獄…: 「裁判員の経験を
話した親しい友人にこう問われた。「人を殺したのか?」」』
『●NNNドキュメント’13:
『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』』
『●①飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か? 廃止か?」
…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン』
〝素人〟に《死刑のスイッチ》(森達也さん)を押させるなんて…あまりに残酷だ。
『●無残!……『朝日』は、素人に《人を裁くという経験を通じ、
死刑と向き合い、是非を考え》させたいらしい』
『●手遅れ!! ~死刑のスイッチを押すことと死刑執行~』
『●「裁判員制度」の下での「死刑制度」存置支持』
『●それは、職業裁判官の怠慢にすぎない』
『●裁判員制度下で少年死刑判決』
『●裁判員の心を慮る・・・』
『●そのスイッチを押せない』
『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(1/2)』
『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(2/2)』
『●それは、職業裁判官の怠慢にすぎない』
奇妙な論理の展開。
〝素人〟に裁判官をやらせると、冤罪が無くなるのか? 〝素人〟に《死刑のスイッチ》を押させることが民主主義? 《良き学校》?、冗談じゃない。
東京新聞の記事【市民裁判員10年 民主主義を学ぶために】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019052002000154.html)によると、《<陪審制や参審制でも導入しない限り、わが国の刑事裁判はかなり絶望的である> 裁判官は捜査結果を追認するだけに終わり、それが冤罪(えんざい)の原因になっていると…。「真実を見抜く眼力を持っていると裁判官が考えるのは自信過剰」とも記した…◆人民のための学校だ 十九世紀のフランスの政治思想家トクヴィルは米国の陪審制についてこう記した。<人民の審判力を育成し、その自然的叡智(えいち)をふやすように役立つ(中略)無料の、そして常に公開されている学校のようなものである> 単なる裁判ではなく、民主主義を養う人民の学校であると看破した。日本の裁判員制度もまた同じであろう。長い歴史を持つ陪審と比べ日本はまだ十年だ。民主主義を成熟させる良き学校としたい》。
また、【裁判員裁判10年 経験者が課題指摘 「貴重な経験できた」「人生を左右は重い」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201905/CK2019052002000148.html)によると、《判決後の心理的負担を訴える参加者もいた。六十代男性は「判決が下り、被告人とその家族は今どうしているのだろうか、と前橋に来る度に思い出す」と述べた。別の六十代男性は「人の人生を左右するのは重いと感じる」と明かした…前橋地裁では裁判員裁判で一八年十二月末までに百七十六人の被告に判決を下し、千四百三十八人が裁判員、補充裁判員に選任された。裁判員の辞退率は最初の〇九年が48・8%、一〇年は45・6%、一一年は54・1%。〇九年と一〇年は欠格事由に該当するとして呼び出されなかった人などが含まれるため単純比較はできないが、一八年は69・4%と過去最高だった》。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/CK2019052002000110.html】
<91342人 裁判員10年>(2)死刑でよかったのか 37件 重くのしかかる命の判断
2019年5月20日 朝刊
【裁判員裁判で死刑判決を受けた人数
(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/images/PK2019052002100053_size0.jpg)】
長い前髪の隙間から見上げる被告の目が、裁判員席をにらんでいるように見えた。でも、全く感情が読み取れない。反省しているのか、いないのか。親子三人が殺傷された強盗殺人事件。裁判官と裁判員の計九人で出した結論は死刑だった。
愛知県小牧市の会社員男性(31)は二〇一五年二月、名古屋地裁で裁判員裁判に参加した。公判は結審まで十回あったが、中国人の被告はほとんど言葉を発しなかった。「命で償って」と極刑を求める遺族と、「より長く罪と向き合って」と無期懲役を望む被害者の元婚約者。「ちゃんと被告から話を聞きたい。時間が足りない」と思いながら判決の日を迎えた。
判決言い渡しから四年がたったが、「本当にあれでよかったのか」との思いが頭から離れない。死刑執行を伝えるニュースに触れるたびに、「自分も人を殺すのに加担したのではないか」との後悔がぶり返す。
裁判員裁判の対象には、殺人など最高刑が死刑の事件が含まれる。最高裁によると今年三月末時点で、全国で三十七件の死刑が言い渡された。死刑求刑事件は「究極の判断が迫られる重大事件こそ、市民の視点を入れるべきだ」として対象になったが、「市民には負担が大きすぎる」との懸念が依然として根強い。
東京都練馬区の不動産業、田口真義さん(43)は一〇年九月、東京地裁であった保護責任者遺棄致死事件の裁判員裁判に携わった。直面したのが、被告の人生を左右する判断を迫られ不安がる裁判員と、「私たちが間違えるわけがない」と言わんばかりの自尊心を見せる裁判官。田口さんは「人は誰だって間違えることはある。重大な事件こそ、市民の慎重な視点が必要」と考える。
ただ、負担の大きさは否めない。裁判員経験者や弁護士でつくる市民団体「裁判員経験者ネットワーク」の牧野茂弁護士は、「死刑を言い渡した市民には、どうしても自責の念が生まれがちだ」と指摘。緩和するために、「死刑の評決要件を全員一致にするなど、条件をより厳しくすることで、苦痛を和らげることが必要だ」と提案する。
強盗殺人罪に問われた中国人の被告は昨年十月、最高裁で死刑が確定した。「いつ執行されるか、恐怖にさらされているんでしょうね」と元裁判員の男性。制度導入後、既に裁判員に裁かれた三人が絞首台に送られている。「彼の刑が執行されても、そのニュースは絶対に聞きたくない」
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