エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

積み木を解釈する着眼点:その子ならではの要素

2013-06-11 03:20:28 | エリクソンの発達臨床心理
 ロバートの作品の紹介が終わりました。その中心は挿絵の通り、スッと両手を広げて立つブロックです。しかし、その周囲には、創世記を彷彿とさせる人物や動物がいます。





 このような積み木を分類しようとすると、数えることができる「共通要素」を強調することがあります。「共通要素」とは、所定の文化的舞台背景が同じ一定数の子ども達、ないしは、同年齢や同性ということで共通の一定数の子ども達が示すことです。あるいは、あのヘビといったような何らかの象徴に焦点を当てることもあり得ます。あのヘビは、害をもたらすることに余念がない被造物を典型的に表しますし、ここでも暴力的な反応を誘発し、他の動物たちがそのヘビを殺したいと団結します。あのヘビが、こそこそとした種のあらゆる危険、あるいは、「悪の権化」、男根の象徴、もしかしたら、これらすべてを一緒にしたものを、示すかどうかを決めるのは、私どもの理論的傾向や騙されやすさ(簡単に信じ込んでしまいやすさ)次第なのです。また、積み木を使うことや他のおもちゃの並べ方を評価する人もいるかもしれません。ここで私だったら、この子の場面を、極めて男の子らしく、また、年の割には明らかに上手だと判断することでしょう。しかし、申し上げたように、いかなる「臨床的」技法でも、たとえ、発達上のデータに応用する場合でさえ、解釈するための第一の道具は、積み木における何らかの「その子ならではの要素」をハッキリ言葉にすることです。そして、これは、たまたまそうなのですが、何百もある場面のうちで、人形が両手を広げて立っている唯一の場面なのです。このようにその子ならではの要素は、手掛かりをくれるのが普通です。実際、私どもが驚いたのは、このブロックの積み木そのものが、両手を外側に広く広げて立つ姿に幾分似ている(ブロックの手堅く、単純な方法において、かも)という事実に対してです。もちろん、ほかにも似たような塔はあります。しかし、この積み木には、腕のような、とても長い突き出し部分があります。そして、これが人の体「である」のならば、黒人の少年の人形は、その体の頭のところにあることになります。





 ロバートの積み木とおもちゃの場面について、エリクソンの解釈が紹介されます。ここでエリクソンは、子どもの積み木を解釈する際に最も大事な道具が、「その子ならではの要素」をハッキリ言葉にすることだと言います。しかし、解釈において「その子ならではの要素」が最も大事な道具になるのは、なぜでしょうか?
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