「遊びの舞台」の章では、激しい怒りも、社会福祉・社会教育の仕事に生かせるケースがあったこと、積み木遊びに現れた子どもの心の時間と空間が、その子の社会の文化における時間と空間をも示すことを教えられましたね。
今日からは「遊びの目的 (Play's End)」の章に入ります。
私どもはいまや、精神分析を発表するのに特有な重要な時に近づきつつあります。喜びに満ちた想像力にある視覚的な面と展望を開く面の、生育歴上の始まりを大づかみにしようとする私の試みは、人生最初の段階をなかなか「離陸する」ことができません。それに、私はその後のいくつかの段階に、幅広く急ぎ足の筆遣いで近づきつつあります。私どもが初めに拘る、考えうる情緒的理由は、「ピーナッツ(チャーリー・ブラウンとスヌーピー)」の中でうまく表現されています。ルーシーは、医者ですが、「流行って」いて、ルーシーの診察はインフレになる以前から5セントでした。ちびちゃんのライナスは、自分は子どもの頃のいくつかの問題を解決しているところだと感じる、との主張に、セラピーをしていて出合いました。ルーシーは力強く認めてこういいました。「それはいいね、ライナス。だって、そうすれば、準備okだもの。10台の問題にも、青年の問題にも、結婚問題にも、中年の問題にも、衰える時期と老人の問題にもね」。一瞬、息を呑む瞬間と沈黙がありました。それから、ライナスは、振り返りたい願いと前を見なくてはならない必要性との板挟みを示す、謎のような表現で、こう言いました。 「自分の子どもの頃の問題に立ち返ろう」と。
過去は、「振り返る」ものと考えられがちです。しかし、医者になったルーシーが言うように、子どもの頃の問題群はその後の人生の様々な問題を解くカギになっているのですね。ですから、「自分の子どもの頃の問題に立ち返ろう」ということにもなるのでしょう。その意味では、過去は後ろにあるのではありません。過去は目の前に置くべきものなのです。