エリクソンは難しいことを優しく教えてくれていると思いませんか?頭脳明晰な人が、難しいことを易しく教えてくれる典型だと私は常々考えています。その点でも似ているのが、加藤周一であり、井上ひさしです。
今日のところでは、『子どものころと社会』(みすず版のタイトルは『幼児期と社会』)で取り上げた黒人の少年の積み木遊びと、彼が大人になってからの仕事について語られます。
一つの事例を、読者の中には馴染みのある文脈から選んでみたいと思います。『子どもの頃と社会』で触れた黒人の少年を取り上げてみましょう。その子は「寝る前にときどき『ローン レンジャー』を聞くのが好きなんだ。でも気が付くと、急にその番組のスイッチを自分で切っちゃうんだ。だって、ローン レンジャーは僕自身(黒人)なんだもん(と間違って想像しました)」と告白しました。当時彼はニッコリ笑ってこう報告してくれました。それはまるで、彼が問題と上手に折り合えている感じでした。彼も、いつくか積み木遊びを私のために10台の初めにしてくれました。彼のブロックの積み木のうち2回は、特に独創的で、形もよくできていました。すべては、制服を着た人々と犬たちが見張っている、野生動物を入れた檻を表していたのです。「動物園」と彼はお話では言うだけでした。この抑制の効いた音色と形全体が、悲しいほど、彼の目立って「抑制的な」外観とピッタリしている感じでした。しかし、彼の遊びの質を見ると、彼がとても有能であることも分かりました。
最近になって、それ以来30年以上たってから、私はこの男性を、彼が転居したとある街に訪ねることがありました。彼は自分自身、特別な名前を名乗っていましたが、それは、彼が最も困難な状況下で、破壊的(自己破壊的)活動に関わりそうな10代の黒人グループの味方になって、その相談に乗ることができる力があったからなのです。私は、彼が強い印象を与えるくらい知的で、力強い男性であることが見て分かりました。彼は私と逢ったことは覚えていましたが、私のために積み木遊びをしたことは、(よくあることですが)朧気にしか覚えていませんでした。また、彼は何を作ったのかも私に訊きませんでした。ところが、私が、「暴力に関わりそうな雰囲気のある若者たちの、相談に乗る力の源泉は、いったい何だと思いますか」と尋ねると、おおよそ次のようなことを言いました。「こういった少年たちは、私が力強いことは見て分かりますし、私自身が内心、暴力的だと分かっていることも、感じてもいるのです。しかし、彼らは私が自分の怒りとうまく折り合っていることも分かるし、自分たちが私を怒らせて、私の価値に逆らって私を行動させることもできないことも分かっているのです。ですから、彼らは私の話を聞くのです」。これは、私がこれまでに耳にした中で、非暴力に関する最も優れた言葉なのです。しかし、この言葉はまた、彼が10代の初めに作った積み木遊びに繰り返し現れた音色とよく響きあっているようでもありました。すなわち、感情の爆発をコントロールし、規律と自己表現によって、その感情の高まりを乗り越える、という音色です。
積み木遊びに現れた音色と、その少年が大人になって仕事をしている際に奏でる音色は、響きあっているのです。それは、交響曲ではないかもしれませんが、美しいデュエットではあるはずです。