私の好きな聖書の言葉から。戦い,続きから。
信頼の戦いを善く戦い,いつでも陽気で楽しく生きなさいな。
(Iテモテ 6:12)
自分が生きている実感がありますと,陽気で楽しくなってきますよ。

ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.95,ブランクの後の引用句から。一昨日,昨日の部分もご一緒に。
ダマジオは,この「目隠し」が,自分自身の様々な問題を,自分に都合良く,外の世界に押し出すように心がけて,働く仕方を説明し続けます。しかし,それは高い代償を支払うことになります。「自分の課題を自分に都合よく人のせいにすることは,私どもが本当の自分と呼ぶものが,可能性に満ちた源であり,そういう可能性に満ちた本質がある事を,感じ取れなくなってしまいます」とダマジオを言います。ウィリアムズ・ジェームズの100年前の著作に基づいて,ダマジオが論じたのは,自意識の核心は,身体の内的な状態を知らせる体感にある,ということです。
始まりにある様々な気持ちのおかげで,私どもは,自分の身体が生きている実感を感じることが出来ます。その身体が生きている実感は、言葉になりませんし,飾り気もなく,只々,生きている,ということ以外の、何者でもありません。この始まりにある様々な気持ちが,様々な次元で沿った身体のいまここの状態を映し出しています。
発達トラウマ障害は,イメージを活用したサイコセラピーが効果がある場合も少なくありませんが,身体を活用したボディーワークが,本来のセラピーなのかもしれませんね。

Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』。 P.96,第2パラグラフの7行目途中から。昨日の所も,ごいっしょに。
生涯を通して,日常生活は,善と悪,淨と不浄を区別する境界線を不動にします。これらの善悪などの分別の境界線が,大人の世界の中にある善悪などの分別を言葉にする暮らしの中で,あらゆる日々の礼拝に当てはまる善悪などの分別の判断基準を,一番正しいもの(訳注:であるかのように)にします。その日々の礼拝では,人間は,神様の教えに身も心もピッタリと従いますし,礼拝の進め方の細かいところにも全体にも目を配ります。礼拝に参加する人たちの現実をともに乗り越えた,神様を信頼する気配が匂い立って際立ちますし,共に分かち合っているもの全てを,互いに自分から分かち合いますし(願わくば,容疑者が自分の罪を告白する事も含まれてほしいものですが),そして,日々の礼拝こそは,決して手放し得ない1つの心の習慣です
悪い良心が,日々の生活全てを支配している事に気付いて,日々の礼拝と日々の祈りの中で,神様の創造の秩序は,身も心も,ベクトルを向け直すことが,何よりも大切です。
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Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.63の,3行目途中から。
赤ちゃんは,信頼している,とは言えても,赤ちゃんは「自信がある」とまで言ったら,言い過ぎになるでしょうね。信頼が創造する復活とは,さらには,外からプレゼントをしてくれる人が同じで,自分と一心同体になっている,というだけではありません。自分自身を信頼し,自分を縛り付ける者(訳注:悪い良心=自我の上に立ち,自我に様々な文句を付けて,縛り付ける超自我と,子どもや人の上に立ち,子どもや人に様々な注文を付けて,縛り上げる悪い良心の持ち主である大人達)と戦う自分の様々な働きの度量も信頼することです。
ですから,信頼と言っても,温厚円満,ということではありません。内なる戦いがある以上,必然的に,外なる戦いもあるからです。
キリストの信頼だけが復活を創造するのですから,私どもも神様の創造に参加するためには,岡本太郎さんが言う爆発がある(「芸術は爆発ダァ」)かはともかく,キリストの十字架に似た戦いが必ずある,ということは,忘れない方が良いことですね。