私の好きな聖書の言葉から。5回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。
あの天のことに,身も心も振り向けなさいな,この世のことじゃなく。
(コロサイ 3:2)
英語でも,日本語でも心や頭の話みたいに翻訳されていますけれども,全身全霊で,という意味ですね。
やっぱり,ヴァン・デ・コーク教授やダマジオさんがいうみたいに,身体の中身が,心から奪い取られているからでしょうね。
私の好きな聖書の言葉から。5回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。
あの天のことに,身も心も振り向けなさいな,この世のことじゃなく。
(コロサイ 3:2)
英語でも,日本語でも心や頭の話みたいに翻訳されていますけれども,全身全霊で,という意味ですね。
やっぱり,ヴァン・デ・コーク教授やダマジオさんがいうみたいに,身体の中身が,心から奪い取られているからでしょうね。
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ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.95,13行目途中から。昨日の部分もご一緒に。
『いま起きていることを感じる心』は,アントニオ・ダマジオの主著ですが,私にとっては,この本を読むことは,神様からの啓示になりましたね。ダマジオはまず初めに,自分が生きている実感と,自分の身体の五感が,深く分裂している,ということをはっきり指摘しました。ダマジオは詩的にこう説明しています「私どもは自分の心を使って,詩論な事実を発見することもありますが,事実を隠すこともあります。…その目隠しが一番上手に隠しているものの一つが,身体,自分自身の身体です。つまり,身体のいろんな中身,身体の内側にあるものを隠しています。慎み深くするために肌を覆うベールのように,その目隠しは,心の中から,身体の中の様々な状態を部分的に奪ってしまっています。この身体の中の状態こそ,命の流れを組み立てるものですし,命の流れが日々の旅の中で,自由に歩き回るのと同じで,自由に動き回っています」と。
生きている実感と五感の分裂すると,心も分裂し,自由を失います。
自由を回復するためには,生きている実感と身体,鋭い五感をもう一度赤ちゃんの時みたいに一体にすることです。
それは,ヴァン・デ・コーク教授や,エリクソンが教えてくれているように,サイコセラピー,ヨガ,ペッソ・ボイデン体感療法,マインドフルネスなど,体感を回復する手立てがいろいろあります。身体,体感を意識すことが大切です
意識を研究しているアントニオ・ダマジオに関心がある方は,TEDのこちら
https://www.ted.com/talks/antonio_damasio_the_quest_to_understand_consciousness?language=ja#t-1097236
をどうぞ。
エリクソンの叡智: 永遠の宝物発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間7......
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.96,11行目途中から。数日分もご一緒に。
悪い良心という主犯が,六法全書の中で骨となり現実になるみたいに,私どもの信頼する心の中にも書き込まれて,心が悪い良心に独占されると,ルールは,1人の都合のいい容疑者に執行されます。いったん,被告席の中で,その容疑者が「1人の見せしめ」となりますと,その見せしめになった容疑者同様に悪い良心の持ち主である多くの人々は,自分の心の中にある恥をその見せしめにぶっつけます。その見せしめのいろいろな行いが,有無を言わせずに示しているのは,その昔にお母さんが「ダメでしょ」などととがめたことですし,その昔,兄弟たちが,「そうだ,だめだぞ」とはやし立てたことですし,その昔,周りの者達が「○○ちゃん,お母さんが言う通り,だめですよ」とダメ押ししたことでしょ。悪い良心のよって下した判決を話し言葉にすることは,その場限りの激しい怒りや判事,あるいは,お母さんの個人的な仕返しではなくて,神様がよしと賛成した神聖なことに基づくものです。その見せしめになった容疑者が,その罰を後悔して受け入れるか否か,にはお構いなしに,あるいは,その罰が「その見せしめになった容疑者に教訓を教える」ことになるか否か,には関係なく,(訳注:この世の)正義は,神様に奉げられた儀式の中で執り行われてきました。
かくして,悪い良心は,裁判まで支配することになります。
ノルウェーのクリスティ教授が教えてくれているような,良い良心に基づく,裁判の仕組みに,変えていきたいものですね。
聖書の言葉: #皆さんの眼の中にある梁はり #悪い良心 #この世の不幸の源インターメッツォ : 主にまかせよ 小さな哲学者たち 小学生は小さな哲学者。心理臨床をしていますとね、そう感じることが、度々ある......
発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。
Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.62の,第3パラグラフの最後から。下から5行目途中から。昨日のところもご一緒に。
馴染んで習慣になっていた,お母さんが赤ちゃんを日々何度も大事にしてくれることが,母親みたいに思えたり,お母さんみたいに感じられたりする代わりもいないのに,有無を言わせずに急になくなると(さもなければ,もっと悪い条件の下では),赤ちゃんは急に気分が落ち込みますし(スピッツ,1945),軽度ではあっても,ずっと「あれさえなければ」と嘆く気持ちが続くことになります。その「あれさえなければ」と嘆く気持ちは,落ち込んだ気持ちの通奏低音となって,生涯にわたって,響き続けることになります。ところがですよ,もっと好ましい環境でさえ,この生後半年から1年の間の舞台は,心が生きる中に,無理やりお母さんとバラバラに離ればなれにされた気分と,失くした1つしかない天国に対する,ほのかではあっても,どなたにでもある,母親との一体感を失った痛みと混ざったいつまでも消えない疼きとを,もたらすものですね。
育ちの環境が恵まれていても,母親を失った痛みが生涯残る。
厳しいですね。
赤ちゃんに歯が生え始める生後半年から生後1半までが,人生で一番対応が難しい時期だ,と言えます。
赤ちゃんが半年から1年半になる時期のお母さんを,社会全体が応援して,時間的にも,経済的にも,心にも,ゆとりをプレゼントしなくてはなりません。
今のニッポン社会を想像しましょう。そして,未来のニッポン社会を創造しましょう。