私の好きな聖書の言葉から。10回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。
最後に,兄弟の皆さん,さようなら(歓んでいなさい)。本当の自分を全うしなさい,互いに勇気づけあいなさい,身も心も(キリストに向けて)1つにしなさい,弱っている人が1人もいないように完全な平和を実現しなさい…。(Ⅱコリント 13:11)
ここも,本田哲郎神父様が教えてくださることが,本物だとわかるところです。
私の好きな聖書の言葉から。10回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。
最後に,兄弟の皆さん,さようなら(歓んでいなさい)。本当の自分を全うしなさい,互いに勇気づけあいなさい,身も心も(キリストに向けて)1つにしなさい,弱っている人が1人もいないように完全な平和を実現しなさい…。(Ⅱコリント 13:11)
ここも,本田哲郎神父様が教えてくださることが,本物だとわかるところです。
現世考 : 一言発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.95,最後の第5パラグラフ,最後の行の途中から。ここ何日かの部分もご一緒に。
ダマジオは,この「目隠し」が,自分自身の様々な問題を,自分に都合良く,外の世界に押し出すように心がけて,働く仕方を説明し続けます。しかし,それは高い代償を支払うことになります。「自分の課題を自分に都合よく人のせいにすることは,私どもが本当の自分と呼ぶものが,可能性に満ちた源であり,そういう可能性に満ちた本質がある事を,感じ取れなくなってしまいます」とダマジオを言います。ウィリアムズ・ジェームズの100年前の著作に基づいて,ダマジオが論じたのは,自意識の核心は,身体の内的な状態を知らせる体感にある,ということです。
始まりにある様々な気持ちのおかげで,私どもは,自分の身体が生きている実感を感じることが出来ます。その身体が生きている実感は、言葉になりませんし,飾り気もなく,只々,生きている,ということ以外の、何者でもありません。この始まりにある様々な気持ちが,様々な次元で沿った身体のいまここの状態を映し出しています。…喜びから痛みまで測る物差しに沿って,大脳皮質よりも(訳注:脳の内奥,原始的な部分で,呼吸その他の生命維持を司る)脳幹のレベルから始まるものです。いろんな気持ちを感じること全てが,初めにある様々な気持ちを土台にするいろんな音色なのです。
私どもの感じる世界が形作られるのは,生まれる前からです。子宮の中で,自分の皮膚を羊水が押すのを感じていますし,流れる血液の音や消火器が動くのが,かすかに聞こえますし,お母さんがいろいろ動くのに合わせて,伸びたり丸まったりしています。生まれた後は,自分との関係と身の回りとの関係を体感が決めます。私ども人間は,オシメを濡らし,おなかペコペコで,アキアキして,眠たいところから始まります。訳の分からないいろんな音,訳の分からないいろんなイメージが,心に響かないこととなって,私どもの末梢神経に押し付けられて,傷を残します。
心に響かないこと。違和感があったり,腑に落ちなかったりすることですね。それが繰り返されれば,痛み,辛さ,悲しみ,怒りなどとなることでしょう。
心に響かないこと,腑に落ちないことを押し付けられることこそが,心の傷,トラウマなのでしょう。
心は楽器でもないのに,なぜ響いたり,響かなかったりするんでしょうか?
心は,プシケー,動いている空気,息,風… ,つまり,音,声だからでしょう。
The Galilean saying and the sense of "I" 「ガリラヤのイエス・キリスト物語と≪私が今ここで生きている≫実感」から,p.336,6行目途中から。 少なくとも,4回目の訳し直し。さっきの続き。
(訳注:通常の意識では,その存在さえ気が付かない,意識の主体である)≪私が今ここに生きている≫の実感の重要性についてお話すれば,「私は『私は今ここに生きている』というものだ」(『旧約聖書』の2番目の章の「出エジプト記」第3章14節にある)という神様のお名前を引用します。リーフ・ボーマンは,「今ここに生きている」(ヘブライ語で,❝hayah❞ ハーヤー)という言葉は,ヤーウェという名前と関係していること,しかも,やり取りを自分から始める心の習慣がある,ことを指摘しています。「今ここに生きている」とは,神の命が回転する場では,今ここに生きていること,今ここで新たな存在になろうとすることと同じこと,さらには,他の人とのやり取りを自らはじめることと,他の人に自ら語りかけることと同じことであるように見えます。「神様は語りかけた,だから,その語り掛けたことが出来事になった」([訳注:『旧約聖書』の真ん中辺にある詩集]「詩編」第33編9節)とありますからね。…
エリクソンが,ライフサイクルの心理学で大切にしていることは,私が今ここで生きていることを実感する心の習慣と,日常生活を,神様を日々礼拝する中で形成されるものと,ハッキリと位置づけたことです。それをユダヤ教などから,学びました。
それは,いずれも,自分から人に語り掛け,自分から人とのやり取りを始める私が今ここで生きていると実感する心の習慣を作り出し,その心の習慣を人生の習慣にした日常生活を送ることに繋がります。
でも,日本の心理学の教科書,エリクソンのライフサイクル心理学の解説書にそう書いてあるものは皆無です。エリクソンの専門家面している「学者」,鑪幹八郎さんや西平直さんらが,おしなべて,エリクソンの封印が解けないので,エリクソンのことが全く理解できていないためです。
発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。
Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.63の,第3パラグラフ,3行目目途中からから。 第2パラグラフもご一緒に。
赤ちゃんは,信頼している,とは言えても,赤ちゃんは「自信がある」とまで言ったら,言い過ぎになるでしょうね。信頼が創造する復活とは,さらには,外から赤ちゃんの将来を見越して様々な世話をするお母さんがいつでも共に居て,いつでも対等で,赤ちゃんと一心同体になる人で,しかも,いつでも身も心も赤ちゃんと共に居て,絆がある,というだけではありません。自分自身を信頼し,自分を縛り付ける者(訳注:悪い良心=自我の上に立ち,自我に様々な文句を付けて,縛り付ける悪い良心そのものの超自我と,子どもや人の上に立ち,子どもや人に様々な注文を付けて,縛り上げる悪い良心の持ち主である大人達)と戦う自分の様々な働きの度量も信頼することです。つまり,私どもは,自分自身と十分に当てになることを一体として見る(見なす)ことができるんですよ。ですから,赤ちゃんの将来を見通して世話してくれる人たちに,もう守ってもらう必要はないし,プレゼントを運んでもらう必要もないのです。
精神病理学の論文では,「口が寂しい性格」という場合が多いものですが,これは,この口の舞台の悪い良心との戦いが未解決であるのが原因となって,知らず知らずのうちに自分と何を一体にしたらいいのか分からずに迷子になっていることが骨身に沁みて,自分は信頼できると見なすまともな発達ができずにいる人です。口の舞台の最悪の生き方は,支配者となり,他の生き方の余地がなくなりますと,赤ちゃんの様々な危機は,相手にされずにホッタラカシにされるかもしれないという不安,あるいは,単に,独りぼっちにされるかもしれないという不安,それに,関わってもらうことに飢えている不満ですが,その赤ちゃんの様々な危機が見て取れるのは,落ち込んでいる様子で,相手にされずホッタラカシにされて落ち込み,神様に見捨てられたかと勘違いして,役立たずと感じて落ち込んでいます。
自分と信頼できるを,=であるかのように見なすことが,口が寂しい人はできません。
この口が寂しい人は,発達トラウマ障害と考えてもいいと思います。
=であるかのように見なす唯一無二の接着剤は,「共に居る」ことです。それを端的に示しているのが,聖書の神様のお名前,ヤーウェです。それは「いまここにいる」ということですが,それは「いつでもどこでもずっと,あなたと共に居る」ということでもあります。
その神様の代わりをこの世ですることが,お母さんのお務めです。
今のニッポンのお母さんたちの現状を想像しましょう,そして,未来のニッポンを創造しましょう。