エリクソンを正しく理解することにおいてさえ、いいえ、だからこそ、肩書や社会的地位とは関係ないんですね。「権威」と言われている「権威」がニセモノであることが日本(の学会、大学)では特に多いと感じます。残念!
p241の下から4行目から。
しかし、国際的道義におけるこの行き詰りが、最も勇敢な抵抗、最も強制的な解釈、あるいは、最も預言者的な警告によって、果たして突破することができるかどうかです。この世の破局を警告することが、あまりにも強烈ですから、たいていの人はその警告を無視しますでしょ。それはちょうど、自分の死は無視しやすく、自分が地獄いきだという見通しも無視しやすいのと同じです。それどころか、倫理的な心構えをもつことによってのみ、イキイキとした国際協調をする方向性を堅持することによってのみ、武装した防衛というくびきに、エネルギーをつぎ込むことをせずに済ますことができます。私どもが生きている時代は、今や全人類滅亡の可能性がありますから、全人類まで及ぶ自分を確かにする道、真に普遍的倫理、、世界宗教、ヒューマニズム、哲学者たちが今まで準備してきた道や倫理を、実際に初めて考えることができる時代なのですね。
核の危機は、実感を持つのが難しい。核の悲劇を想像することは、膝をすりむいたり、足の骨を折ることのように、想像することは難しいでしょ。
エリクソンは、この核の時代の危機を突破するのは、倫理的な力だと言いますね。私も賛成ですね。世の中は、権力やヤクザナ人間が支配しているように見えますでしょ。そうすると、ズルやウソを使っても、人をコントロールしようとすんですね。でもね、私はそれは表層的だと思います。私の体験からして、そうじゃぁないと言えますね。
みんなが「人類皆兄弟」を考えなくちゃぁ、持たない時代。
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