「礼拝」ritualizationは、≪私≫という感じ a sense of "I"が育つ舞台だから、大事なんですね。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p43の下から2行目から。
ジェー・ハックスリーとケー・ローレンツがイキイキと描いた、動物達の「礼拝」と対応するような、毎日のやることを選ぶとすれば、人のお母さんが、目覚めた自分の赤ちゃんに挨拶しようとして近付くことを思い出しますね。あるいは、同じお母さんが、自分の赤ちゃんにおっぱいを挙げたり、オシメを取り換えたり、あるいは、寝かしつけることを思い出しますね。それでハッキリしますね。私どもが人間の文脈で「儀式をする関係」と呼ぶものは、極めて個人的である(その特定のお母さんと、そのお母さんの赤ちゃんになった特定赤ちゃんに「特有」のものである)と同時に、外から見ているものにとっては、人類学的な比較に従えば、伝統的な道すじに沿って、ハッキリと典型的であると見えます。
人間の「礼拝」とは、2人の間では、その人たちに特有の、独特のものね「私どものやり方です」と言い得るものなのに、日本人なら日本人、関西人なら関西人に典型的なやり方にもなっている、そんなやり取り、対話が、「礼拝」と言えるんですね。
自分の日常をよく見れば、「礼拝」はすぐに見つかりますよ。そして、その「礼拝」を意識して実行することが、何にも増して、大切です!
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