ルターも、その実、お勉強家でした。
Young Man Luther 『青年ルター』p198の第3パラグラフ 7行目途中から。
ルターは、どんなユマニストに比べても、学者としても、空想家としても、イチャモンの多い外国語通でした。最初の学期の講義では、想像の翼を広げて、自分でも当惑することもありました。仲間を探したことありました。でもね、結局ルターは自分自身の1人の道に舞い上がることになりました。ルターに惹きつけられた聴衆たちも、何が起きているのか、ルターの講義が自らの責任で、国中の反感をを買うことになるまで、知りませんでした。ルターの役割があまりに政治的、思想的になってしまったために、ルターが最初にやった講義が忘れ去られ、19世紀末から20世紀初めになって初めて、再発見されることになります。ルターは、自分が神学的に関わった前史のすべてを、ルターが有名になった、1517年に事件に、全部はめ込んでしまう癖がありましたから、ルターが歴史の舞台に躍り出た時には、ルター神学がその概要が出来てたと、今世紀になってようやく見なされただけでした。それなのに、こういった理解が、政治となり、政治宣伝になって、ルターは、私どもがよく知るルターになったわけですね。
ルターは、カトリックが使っていた聖書が、間違いだらけであることを、ギリシャ語(コイネ)とヘブライ語に遡って、原典で読んで、気付いたんですね。それで正しい翻訳に基づいて、自分の信頼を点検したんです。
これは昔話のようで、現在進行形のお話です。
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