エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

≪私≫の中には、≪約束≫がある

2014-11-13 08:01:48 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「私には夢がある」と言ったのは、かのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師。夢があることは、人間が日々心豊かに、そして、意識的に生きていくうえで、非常に大事なものですね。

 でも、今日お話したいのは、「夢」ではありません。≪約束≫です。しかも、「私には≪約束≫がある」というんじゃぁ、ありません。「≪私≫の中には、≪約束≫がある」というんです。

 それはどういう意味なのかな?

 2つの意味がありますね。

 1つは、≪私≫は≪約束≫がないと育たない、ということ。

 ≪私≫は、赤ちゃんが、お母さんを見上げて、2人が≪見つめ合う≫事に始まります。≪見つめ合う≫時、おっぱいをあげたり、オシメを取り換えたり、あやしたり、があります。そうすると、おっぱいのあげ方に、オシメの取り替え方に、あやし方に、そのお母さんとその赤ちゃんに特有のパターンができますでしょ。それは繰り返しの中に、自ずから生まれるパターンです。すると、赤ちゃんは、それぞれの時のパターンを予測するようになります。おっぱいを貰う時に、「こういうパターンだな」と感じて、そのような見通しを持つようになります。その≪見通し≫に対して、お母さんか「ハイ、おっぱいが欲しいのね」などと、≪話し言葉≫を添えます。そして、実際に、お母さんが赤ちゃんにおっぱいを含ませることによって、その≪見通し≫を確実に≪出来事≫にしていくわけです。ここでしていることを定式化して申し上げると、お母さんが赤ちゃんに「献身」することによって、赤ちゃんは、≪見通し≫、≪話し言葉≫、≪出来事≫を一致させる、ということでしょ。赤ちゃんがこの3つを一致できるのは、赤ちゃんの≪見通し≫を裏切らない、お母さんの「献身」が必ず必要です。

 これは、別にお母さんが赤ちゃんと、契約書を交わしたわけでも、約束をした訳でも、口約束さえした訳でも、ありません。でもね、お母さんの「献身」は、最も誠実な≪約束≫を、忠実に履行する態度がないと、「献身」になりませんでしょ。そうして初めて、赤ちゃんの中に「≪私≫という感じ」が芽生える訳ですね。ですから、≪私≫は≪約束≫なしにはあり得ません。赤ちゃんの時期以降も、≪私≫が育つためには、≪約束≫が必要です。詳しくは、また、別の機会に。

 もう1つのは≪私≫の核の一つに良心がありますが、この良心という言葉が、≪約束≫を意味している、ということ。

 良心は英語で、conscience。conscienceは、con(共に)+science(見て知る)、「共に見る」という意味です。語源を遡ってみると、ラテン語では、conscientia(con=「共に」+scientia=「知ること」)で、やはり、「共に見る」ということですし、さらに遡ると、ギリシャ語のσυνείδησις(συν=「共に」+είδον<όρϖ=「見る」「見て知る」「見て分かる」〉syneidesis(シュネーデシス))になるますから、これも「共に見る」ことでしょ。しかもこれは、英語に限ったことではなくて、ドイツ語でも、Gewissen、フランス語でも、conscience、イタリア語でもcoscienza、など、いずれも「共に見る(知る)」という意味です。さらにさらに申し上げれば、意識も、英語やラテン語やギリシャ語その他の西洋語で「共に見る」という意味です。

 「共に見る」ことは、眼の前のことを「共に見る」ということを意味するだけじゃぁ、ありません。同時に、未来のことを「共に見通す」ことでもあります。「共に見通す」ということは、すなわち、≪約束≫なんですね。ですから、言語学的に申し上げても、≪私≫≒「良心」+「意識」ですから、「≪私≫の中には、≪約束≫がある」、という訳です。

 「≪私≫の中には、≪約束≫がある」、のですから、子どもの≪私≫を育てたいと思う方は、子どもとの≪約束≫を何よりも大事にしなくちゃね。

 


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