パソコン(デスクトップ)がひと足早く夏休みに入ってしまいました。
九日の月曜日、郷里(メーカーの修理部門)に向かって出発。命の洗濯をして、帰ってくるのは来週なかばになりそうです。
で、ほとんど壊れかけたノートブックパソコンを引っ張り出しました。しばらくお蔵入りさせておいた間に、液晶画面がめっきり薄くなり、動作も鈍くなったようです。四苦八苦しながらブログの更新に挑んでいます。
昨日、四週間ぶりの通院でした。八時に病院に着くように、またラッシュアワーの電車に乗りました。新松戸から北小金に転居して、東京方面へは一つ駅が遠くなっただけですが、武蔵野線への乗り換え駅で、そこそこ乗り降りの烈しい新松戸の手前で乗ることになるので、シルバーシートに坐ることができました。早速「隆慶一郎全集」を開いて読書。
八時。到着して診察カードを出すと、すぐ採血室へ。
採血をする技師(♂)は結構歳が行っていて(といっても、私よりは若い)、昔、引っ越しのサカイのTVCMで「ベンキョーしまぁっせ、引っ越しのゥ……」とやっていた俳優にどことなく似ています。
もう三~四回目になるので、私には毎度お馴染みの人ですが、向こうは毎日何十人という人に対処しなければならないからか、血管だけを見て人の顔を見ている暇がないのか、私の腕にゴム管を巻きつけ、アルコール消毒をしながら、「アレルギーはありませんか。少しチクッとします」と同じことをいっています。
採血そのものは五分程度で終わります。
診察は九時からで、いつもならそれまでの一時間を潰すのが苦痛なのですが、本を持っていたので、あっという間に診察の時間がきたという感じでした。
松戸市役所の直前にある、さして急でもない坂を上ったり、跨線橋の階段を上るときなど、まだ息が切れるような感じがあって、体調は十全ではないと思わせますが、五月、六月の相当ひどかったころと較べれば、身も心も天と地ほどに違って軽やかになりました。しかし、数値のほうは先月とほとんど変わりがない。
で、また同じ薬をひと月分。
処方箋が出てくるまでの三十分ほど、それをもらって薬局に行き、薬が用意されるまでのまた三十分ほど。二か月前に偶然会って、家の近くまで車に乗せてもらうことになったYさんを捜しましたが、いないようでした。
先月は病院を出たあと、急に遠くへ行きたい、という思いに駆られて、茨城県の石岡まで行きましたが、今日は最初から遠くへ行こうと思っていました。前回は手提げ袋いっぱいの薬に閉口したのに懲りて、リュックザックを持ってきています。
また不忍池畔を通って、上野駅には十一時前に着きました。朝、食べていなかったので、コーヒー屋に入って、種類の違うホットドッグを二本、アイスティ(大)にたっぷりのミルクを入れて、昼食も兼ねました。
栃木県南の栃木市に江戸時代の土蔵がたくさん遺されている一画があると知ったので、そこを訪ねるつもりです。
上野発十二時六分の宇都宮行に乗って、栗橋着はちょうど一時間後の十三時六分。ここで東武線に乗り換えました。
ところが間合いの悪いことに、栃木へ行く電車は六分前に出たばかり。次の電車まで四十四分も待つ、という幸先の悪さです。待っている間に上野からくる電車は四本もありました。
栃木駅着は十四時十九分。
市の中心部を貫流する巴波(うずま)川。渡良瀬川に合流し、利根川に合流して太平洋に注ぎます。
橋の上から見ただけですが、かなり澄んでいて、川底がハッキリと見えました。市内流域では到るところに錦鯉が棲息し、その数数万匹といわれます。
天台宗定願寺。
駅でもらったパンフレットでは、駅から一番近いところにあった卍の印だったので寄ってみました。創建の地は現在の大平町。天正年間(1573年-92年)、現在地に移転。
真言宗満福寺。
弘長二年(1262年)、大平山麓に創建。やはり天正年間、現在地に移されたといわれています。
近龍寺。
山号を三級山といいます。三級とは、三段になった高い滝のことで、それを上り切った鯉は龍になるという「登龍門」の言い伝えに因んでいます。
創建は応永二十八年(1421年)。天正十六年(1588年)に現在地に移されました。山本有三のお墓があります(画像下)。山本有三は私と誕生日が一緒。
あだち好古館。
江戸末期から呉服問屋を営んでいた安達幸七が集めた浮世絵や古美術品があります。
あだち好古館入口に接してある好古壱番館。
そばもあり、焼きそばもあり。コーヒーもあります。
栃木の焼きそばはじゃが芋入りが定番。じゃが芋好きの私としては是非とも味見をしたいところでしたが、上野でホットドッグを二本も食べていたので、残念ながらパスすることに……。
蔵の街美術館。
善野(ぜんの)家という江戸時代の豪商の蔵を改造した建物です。
画像手前から西蔵、中蔵、東蔵。別名おたすけ蔵。江戸時代末期、困窮した人々を救うため、蔵にあった銭や米を供出したことに由来します。
建築年代は文化年間(1804年-18年)初期から天保十一年(1840年)にかけて。蔵の街に現存する土蔵の中でも最古の建築物だそうです。
栃木は蔵の街としてだけでなく、鯉が泳ぐ街としても著名なのだそうです。
丸三家具店。
焼きそばとハヤシライスとコーヒーの店。
この店の焼きそばはニンニク入りのようです。栃木の人は一軒でいろんなものを食べさせる店が好きらしい。
阿部呉服店。
山本有三ふるさと記念館。
記念館の隣が山本有三の生家(呉服店)跡です。
古久磯(こくいそ)提灯店見世蔵。
梁の墨書から弘化二年(1845年)の上棟であることがわかっています。いまは別のところで営業しているようです。
下野新聞栃木支局。
肥料と麻芋の豪商だった毛塚家の蔵屋敷を修復したもの。建築は文久元年(1861年)。
万町という交差点にある交番も蔵の街を意識したつくりになっています。自販機もこんな感じ。かなり意思統一されています。
駅前からつづく蔵の街大通りもこのあたりで終点です。〈つづく〉
ポチしましたが。
おぢさんに気がつきました。おじさんとされない意味はあるのでしょうか。旧かな遣いにこだわっておられるのですか。
目立つところにはそのうちペーストするつもりです。今はパソコンが不自由な状態ですから…。
「おじさん」より「おぢさん」の方が時代遅れのような感じがあっていいと思うので使っています。
まあ、一口で言えばへそ曲がり、であるだけです。