柏市役所が発行している文化財マップというのがあります。
どんな内容なのか、まだ見たことがないのでわかりませんが、手にできれば昨日のブログでは不明のまま放置することになった医王寺も吉祥院も由来がわかるかもしれぬと思うのではありますが、いまだに手に入れられません。
土浦へ行った日(先月十九日)の帰り、わざわざ柏で途中下車をして、駅前の「かしわインフォメーションセンター」を覗いてみました。ここは市役所の出張所でもあると同時に、観光パンフレットのたぐいも置いてあると知ったからなのです。
ズラリと並べられたパンフレットを眺めましたが、どうもそれらしきものは見当たらない。
で、訊ねてみると、取り置きがなくなってしまったとのことでした。
一昨日(十五日)は柏市立高校へ行くために柏駅で降りたので、また寄ってみましたが、三週間も経っているのに、依然補充されぬままでした。「どうしようもねェところだな」と独り言をぶつくさ呟いて、せめて帰りがけの駄賃になるものはないかと捜したところ、「取手宿ひなまつり」というパンフレットを見つけました。
建国記念の日から始まって、桃の節句までの三週間、取手駅を中心に一般の商店など一二四か所で雛飾りがあるというのです。翌日早速行くことにしました。
西口に出ました。取手にきたのは去年一月以来ですが、くると必ず長禅寺にお参りしているので、東口のほうはわりと勝手知ったる街です。
で、あまり歩いたことのない西口を先に散策……と思ったのです。が、国道6号線まで歩いても、雛飾りをしていると見えたのは二軒あっただけ。
店先に飾ってあるのが見えて、「ご自由に」と貼り紙があったりするのですが、なにがしかの商売をしている店に、物を購う意思はなく、ただ飾りを見せてもらうためだけに出入りする、というのは気が引けます。そそくさと勝手知ったる東口に河岸を変えることにしました。
西口には(確か)何もなかったと思いますが、東口に行ってみると、駅の飾りつけもこんな感じです。
長禅寺下の道(大師通り)に、老舗の奈良漬店「新六」の蔵があって、その蔵の中に雛飾りがありました。最初に出会ったのが商売をしている店ではなかったので、すんなり入ることができました。
蔵の入口には、かぐや姫のようなカワユイお雛様が……。
通称本陣通りと呼ばれる旧水戸街道に軒を並べる新六本店(左)と田中酒造店。
新六は代々田中新六と名乗って、徳川家綱の代といいますから、十七世紀後半にはすでに取手に居を構えて、なにがしかの商売を始めていたみたいです。寛政二年(1790年)に取手新六酒店を創業、明治元年にいまの奈良漬製造業を始めました。
隣の田中酒造は明暦元年(1655年)の創業。
道路にはこんな幟が風にはためいているだけ。
行き交う人もあまりありませんが、雛飾りのある店に入ると、そこそこに観光客らしき人たちがたむろしていて、お茶の接待を受けたりしています。
姫の祭りなのですから、当然といえば当然のことながら、私のようなおっさんは二十人に一人か二人だけ。たまにおっさんが数人いて、珍しいと思えば、祭りの裏方でした。
客のほうはほぼ全員姫です。応対するほうも姫ばかりですが、厳密にいうと、姫は姫でも、99%が元・姫なので、私のほうでも取り立てて緊張することはありません。
神輿が出たり屋台が出たり、という賑やかな祭りもいいが、こういう静かな祭りも風情があって佳いものです。「女もする雛祭りといふものを、男もしてみむとて、するなり」テナ感じで足を進めてみました
つるし飾りと呼ばれる独特の飾り方です。
ここは店ではなく、「つるし雛を愛でる会」という団体が借りて飾っているのだそうです。
犬(安産の象徴)、唐辛子(娘に悪い虫がつかないように)、巾着(お金が娘に集まるように)、糸巻き(裁縫が上手になるように)、花(美しい娘に育つように)、猿っ子(災いが「去る」にかけて)、鶴(長寿の象徴)、雀(五穀豊穣、食に恵まれるように)などなど……こんなにもろもろ願うなんざ欲張り過ぎではないかとも思えますが、じつにさまざまなものが吊されています。
旧取手宿本陣(染野家)表門です。
寛政六年(1794年)、火災に遭ったあと、文化二年(1805年)に再建されたものです。門の向こうにあって見えない建物は火災の翌年に再建。毎週金曜~日曜の三日間だけ公開とのことなので、水曜日のこの日は見ること能わず。
田丸屋という呉服店の中。昭和初期の雛飾りだそうです。
かなりの年代物を飾っている店もあれば、申し訳程度という店もありと、飾りは千差万別ですが、なにせ一二四か所もの飾りつけがあるというのですから、それらをすべて見て回るわけにもいかないし、写真に撮るわけにもいかない。
これは油市(あぶいち)という人形店の飾りつけ。人形店ですから売り物で、値札がついています。
ここまで私はまったく意識していませんでした。
いまから遙か三十八年前、あと数分で生まれるというところまで漕ぎ着けながら、結局この世の生を受けなかった自分の娘のことを、です。
順調にいけば、生まれてすぐ初節句でありました。出産を控えて新宿の病院に入院していた妻を見舞ったあと、ウキウキしながら三越と伊勢丹へ雛飾りを見に行った憶えがあります。
当時の私はまだ二十六歳でした。
薄給の身にとって五段の雛飾りは眼の飛び出るような金額で、頭から冷水を浴びせられる思いを味わいましたが、なんとか工面して買ってやりたいものだと思いました。
生まれてすぐに初節句ですから、飾ってやってもまだ眼の見えないときです。娘のためというより、自分に買うようなものではありますが……。
突如、雛飾りを見ることが私には耐えがたいものとなってしまいました。
思わず涙をこぼしそうになってしまったので、見せてもらったお礼の言葉もいえず、店を飛び出しました。
このところ、私はまったくだらしがない。
火曜の夜は「四十九日のレシピ」というNHKのドラマを視ていて、思わず涙ぐんでしまい、つづけて視ることができなくなってしまいました。
我が娘と何年か一緒に暮らしたというのであればともかく、ランドセルを背負った姿はおろか、よちよち歩きする姿も見たことがないのに、ドラマでは離婚を決意して実家に帰ってくる、という設定の娘(和久井映見)を視ていると、自分の娘が生きていればこの年ごろなのだと思い、伊東四朗演ずる不器用な父親がまるで我が身のように感じられて、切なくなってしまったのです。
幸い人通りが少ないので、初老のおっさんが泣きながら歩いているところは見られずに済みました。
別に見られたって構やしないのだが……。
気持ちを落ち著かせるために、通い慣れた長禅寺の参道を上って本堂にお参りしました。
私が行くとき、境内は必ず無人です。高台にあるので、残った雪が解けて下水溝に流れて行く音が耳に心地よい。
少し我を取り戻しました。
平將門が愛妾・桔梗の前を見初めた、といわれる三世堂は変わらず優美な姿を見せてくれています。
枝垂れ梅が咲いていたので、三世堂をバックに少しは芸術的なアングルでも、と思いながらシャッターを切りましたが、モニタを見てみるとそうでもない。
思わず苦笑いを噛み殺しているうちに、不覚の涙は止まっていました。
ただ、この日はもう雛飾りを見ることはできません。
まだ日にちがあるので、機会があればもう一度……。
最新の画像[もっと見る]
- 2024年六月の薬師詣で・中野区 8ヶ月前
- 2024年六月の薬師詣で・中野区 8ヶ月前
- 2024年六月の薬師詣で・中野区 8ヶ月前
- 2024年六月の薬師詣で・中野区 8ヶ月前
- 2024年六月の薬師詣で・中野区 8ヶ月前
- 2024年六月の薬師詣で・中野区 8ヶ月前
- 2024年六月の薬師詣で・中野区 8ヶ月前
- 2024年五月の薬師詣で・豊島区 9ヶ月前
- 2024年五月の薬師詣で・豊島区 9ヶ月前
- 2024年五月の薬師詣で・豊島区 9ヶ月前
あまり興味がなかったのですが 記事を見て行ってみようかと。
貴方の目を通じて きっと娘さんもお雛様を見ています。
また見せてあげに行ってくださいね。
きっと見て、喜んでくれているんですね。
齢とともにどうも感傷的になってばかりでいけません。
もう一度取手に行って、見せてやろうと思います。