桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2020年初薬師・柏市

2020年01月08日 22時58分23秒 | 薬師詣で

 2020年の初薬師です。
 薬師詣でを始めたのは2011年一月八日ですから、十年目という節目を迎えたことになります。毎月八日の一日だけとはいえ、我ながらよくつづけてきたと思います。
 ごくごく稀ではあっても、外に出ることはおろか、小用に立つのもままならぬという日があるのに、不思議なことに毎月八日がそういう体調に当たったということがありませんでした。
 寝込むような体調ではないが、遠出はちと困難という日は何度かありました。そういう日でも地元の慶林寺(本尊は薬師如来)には参拝してきました。

 十年目ですから、今月はちょいとホネのあるところ(交通の便のあまりよくないところ)へと、去年の十二月十八日までは考えていました。すなわち、永年の念願である茨城県美浦村の海源寺へいよいよ、と思っていたのですが、一月八日が水曜日ではダメではないか、
と気づいたのが去年十二月十八日の水曜日でありました。
 なぜ水曜日であることが問題なのかというと、高血圧と狭心症で二週間おきに通っているクリニックの通院日が十二月十八日水曜日だったからです。二週間後に当たるのは一月元日ですから、クリニックは休診。
 次の通院日は三週間後の八日ということになり、しかも、「次回から(診察は)一か月おきにしましょう」ということになって、三十日分の薬をもらうことになっていたので、スルーして延ばすわけにはいかなかくなったのです。
 受付に診療券を出しに行くのは午後三時半です。どのようにやりくりしても、美浦村まで行って、三時半に間に合うように帰ってくるのは無理です。
 結局、美浦村行はまた日延べです。

 そういうわけで、2020年の初薬師は柏市の布瀬(ふぜ)というところにある木崎薬師堂と柏駅~布瀬の途中にある、福満寺を訪ねることにしました。
 柏駅東口からバスに乗りますが、木崎薬師堂の最寄りのバス停まで行くバスは十時四十七分発の東武バスただ一本しかありません。この便を逃すと、次の便はな~んと三時間半後の十四時二十三分までないのです。
 その前は、というと、二時間半も前の八時九分。平日は一日八本、土日祝日は六本しかないという路線なのです。

 降ったり熄んだりでしたが、前日からあいにくの雨です。出かけるときも小雨ながらも雨。
 十年もつづけていると、何度か雨に見舞われたこともありましたが、出かけるときから雨というのは初めてではないかと思ったら、2018年の三月と2015年の二月も朝から雨でした。
 雨が予想されるときは荷物を少しでも軽くするために、折りたたみ傘かポンチョを持つのが常ですが、この日は昼ごろにはかなり強い雨になるという予報だったので、普段使いの大きめの傘を持ちました。



 バスに揺られること四十分近く。終点・布瀬の二つ前-高野(こうや)という停留所で降りました。四十分もバスに乗るというと、運賃も結構弾んで、490円也(私はスイカを持っていたので483円)。
 バスに乗っている間に、小雨だった雨が土砂降りに近い状態になっていました。

 終点で折り返してくるバスがやってくるのは十六分後です。際どいみたいですが、事前にグーグルマップで計測しておいたところ、バス停から薬師堂までの所要時間はわずか二分。
 薬師堂前で私がする決まりごとといえば、賽銭箱があればお賽銭をあげて友人・知人の無病息災を願い、香炉があればお線香を焚いて、御堂をカメラに収めることぐらいです。何分もかからない。往復四分を足しても、なんということはないはず。
 ただ、行ったことのない場所ですから、手間どることがあるかもしれない。が、まさかバスに間に合わないほど手間どることはないだろう、しかし…、と危惧しながら道を進むと……。



 バス停から目と鼻の先といってもいいほどの近さに、事前にグーグルストリートビューで視ていた建物がありました。

 


 前に廻ると、集会所のような趣きですが、掲げられている木札にはうっすらと「薬師堂」という文字が遺っていました。その上にはお寺であることを示す「○○山」とあるようですが、これは読めません。
 この薬師堂に関して、インターネットで得られる資料はほとんどないのに等しく、さらに無住、加えて嵐のような雨の中を歩く人も見当たらない、という状況では、どんな由緒があるのか、何もわかりません。この中に薬師如来がおわすのであろうと信じて、友人・知人たちの無病息災を祈るのみです。



 薬師堂の左手には墓所がありました。



 薬師堂前の小径をそのまま進むと、下手賀沼に出ます。晴れた日であれば、沼を望むことができるのかどうか。私が訪れたときは霧-それも濃霧-で、遠望はまったく効きませんでした。

 沼の対岸は白井市で、白井市内ではただ一つの国指定重要文化財である滝田家住宅があり、その先には平塚の薬師堂があるのですが、下手賀沼を渡る橋はないので、行くためには「コ」の字を逆にした形で迂回しなければなりません。
 歩いて行くと、四十分近くかかります。白井市内を走るコミュニティバスがあるようですが、そのバス便は鉄道の駅に接続していません。さほど遠いところではないのに、車を持たぬ私にはすこぶる不便なところのようです。こういう機会でないとなかなか行けないとは思うのですが、雨はさらに強い雨に変わっていました。三時半の通院がなくても、行くのはとても無理な話です。



 迷うことなく、手間取ることもなく行って帰ってきたので、バス停に戻ったのはバスがくる十分近くも前でした。
 時刻表を何度見ても同じこと。柏駅からきたバスが折り返して戻ってくるしかないのですから、私が待っている十一時四十一分の前は八時台、次は十五時台しかありません。

 強い雨は熄む気配を見せません。天気予報は珍しく大当たりでしたが、一方では南風が吹き込んで春一番が吹くときのような暖かさ、ともいっていたのに、こちらは大ハズレで、冷たい雨です。

 当初、帰りは途中にある大井というバス停で降りて、福満寺に寄るつもりでしたが、バス停から少々歩かなければならないので、バスを待っている間に、今日は取り止めにしようかと迷いが出ました。



 迷っていながらも大井バス停で下車しました。なぜ降りたかというと、車酔いを起こしかけたのです。

 バスを降りると、まだ傘を打つ音がするような強い雨です。柄を伝って雨が落ちてきて、厚手の手袋の中まで染み込んできます。
 バス停周辺には店舗はいろいろありますが、リサイクルショップだったり、ケアハウスだったりして、喫茶店のような雨宿りのできそうな店がありません。

 これから目指そうという福満寺は九年前-2011年の九月-に訪れたことのある寺院です。このときは薬師如来の縁日ではなかったので、縁日に訪れるのは初めて、ということになります。
 
 雨には思考を惑乱させる力があるのでしょうか。
 福満寺へは、柏駅を背にすると、バスが通る通りをどこかで左に折れたという記憶があり、地図を見てもそのとおりなのですが、前回きたときはどこで曲がったのか、まったく記憶がありません。バス停周辺の景観も記憶にありません。
 土地勘が戻らなかったのは、前回は柏駅からきたのに、今回は逆方向からきた、ということがあるのかもしれませんが、九年の歳月が経って、私の何かが衰えた、というのが主たる原因だったのかもしれません。

 結果、あとで振り返ってみても、どこであったのか、わけのわからないところを堂々巡りしました。
 歩きながらスマートフォンの地図を視ていたのですが、傘を差しているのに、画面に雨のしずくが落ちてくるので、どこがどこやらわからなくなってしまいます。先の薬師堂に参拝したときから、靴はもちろん、スラックスの膝のあたりから下はずぶ濡れです。なかばやけくそです。

 堂々巡りのあと、再びバス通りに戻ると、八人ほどの中学生の一群が歩いていました。歩道が狭いので、縦一列になって歩いています。ふと福満寺と同じ方向に二松学舎の付属高校があったのを思い出しました。付属高校にはスクールバスがあるので、歩いている生徒などいるはずがない、とあとでわかるのですが、その子たちのあとを追うようにして歩くうち、二松学舎と福満寺の方向を示す標識を見つけたのでした。
 二松学舎の生徒ではなく、地元の中学生だったらしい子どもたちは順繰りに姿を消して行きましたが、前回きたときも左に曲がる目印にした酒店があるのを見つけることができました。しかし、その他の記憶はまったく残っていません。
 道を外れると、一帯は畑地で、九年という年月が経っても変わらない風景だろうと思えるのですが、酒店以外の記憶は蘇ってきません。



 黙々と歩きつづけて、やっと見覚えのある大井香取神社の鳥居が見えるところまでくると、雨は上がって、なんたることか、陽射しまで出ました。
 このあと、福満寺の境内を歩いていた間はずっと陽射しがありましたが、離れると、どんよりとした曇り空に変わってしまいました。



 無事福満寺の入口に着きました。



 享保十三年(1728年)に建立された山門です。



 平将門大明神の案内板があったところから、道は手賀沼に向かって下って行きます。下り切ったところに福満寺の伽藍があります。



 観世音堂。



 妙見堂。画像には写っていませんが、陽が当たって、濡れた屋根から湯気が立つ、という不思議な光景を見ることができました。



 妙見堂の右には平将門大明神の祠があります。



 本堂。わずかな間に、直前まで冷たい雨だったというのが嘘のような青空になりました。

 福満寺の参拝を終えたときはまだ零時半過ぎでした。三時半にクリニックの受付を済ませるには、最低でも三時に帰り着いて、診察券を取って出向けばいいのですから、二時間ぐらいの余裕があります。

 この日は薬師詣でをするためにきていたのですが、この日に限ってもう一つ目的がありました。
 九年前にきたときに捜し当てることのできなかった、車ノ前の五輪塔を捜しに行こうというのです。車ノ前とは平將門の愛妾(母親という説もあります)で、將門の没後、妙見堂を建て、遺児とともに隠れ棲んだ跡が五輪塔だと伝えられています。
 ところが、地図には「車ノ前五輪塔」と記載されているのに、そこへ行く径が載っていないのです。地図上では周辺の道路から孤立したところに五輪塔があることになっています。ある場所はわかりますが、周囲は畑地に囲まれているようで、ズカズカと足を踏み入れるわけにもいかないようです。
 柏市のホームページを視ると、薄暗い中(森か? 林か?)でフラッシュを焚いたらしい画像があるので、どんな径なのかわからないながらも、径があって、行くことができるはずなのです。
 柏市地図情報配信サービスというのがあって、九年前、捜し当てることなく帰ってきたあとで視て、「ああ、ここに径があったのか」と思った記憶がありました。
 で、今回も視てみました。同じサービスはありましたが、内容が変わっていました。径が載っていた地図はなくなって、ただポツンと印だけがある地図に変わっていました。

 雨に打たれているときは五輪塔探索のことは諦めていましたが、幸い雨は上がりました。二時ごろまで捜し廻って、見つけられなければ諦めよう。そう決めて歩き出しました。
 グルリを巡るように歩き始めると、恐らくそこであろうと思われる杜は常に右手に見えているのです。しかし、行けそうな径がない!  あった! と、欣喜雀躍すると、民家の入口でした。
 福満寺の山門がある高台を下り切ったあたりで、ほぼ半周したことになります。



  そこに休憩所みたいな東屋がありました。簡易トイレも設置してありますが、草が生えるに任せられているようで、使われている様子はありません。



 そこで立ち止まって目を右に転ずると、高台に上って行けそうな径がありました。



 足を踏み入れてみると、どうやらてっぺんへ行けそうな気配ですが、結構急な上り坂です。



 坂を上り切ると、右(車ノ前五輪塔のある方向)に行けそうな径があるのが見えました。



 寸前まで降っていた雨のせいで、こんなぬかるみになっていました。
 私が履いていたのは長靴ではない普通の靴です。すでに雨でビショビショ。しかし、ここまできたからには、ぬかるみごときに臆してはいられない。できるだけ水溜まりに足をとられないように注意を払いながら、歩みを進めます。



 小さな杜と見えましたが、どうやら枝分かれをした一本の樹のようです。なんの樹なのかはわかりません。



 近づくと、ありました、ありました。



 これが車ノ前五輪塔です。
 総高160センチ、 室町時代初期に建てられたと考えられています。
 伝承によれば、ここには將門の愛妾・車ノ前が遺児とともに隠れ棲んで、將門が信仰していた妙見菩薩を祀るお堂を建て、その菩提を弔ったところであるといいます。



 何を祀っているのかわかりませんが、小祠もありました。妙見堂跡ともいわれているので、妙見様を祀っているのかもしれません。



 五輪塔を護るように覆いかぶさっている樹はかなりの老木のようです。鉄柱で支えられています。

 前回きたとき、帰りは手賀沼畔に出て、北柏駅まで歩きましたが、今日はできるだけ早く帰りたいので、大井バス停に戻り、柏駅から帰ることにします。この日、最初に訪れた高野とは違って、大井は柏駅へ行くバスが何系統も走っているので、あまり待つこともなく、柏駅に戻ることができました。



 北小金駅に舞い戻ったのは二時。慶林寺に参拝しても、三時半のクリニックの受付には悠々間に合いました。

 帰ったあと、グーグルマップの航空写真を視ると、車ノ前五輪塔へつづく径が確かにありました。gooやらヤフーやら、役に立たない地図をためつすがめつ視ていないで、もっと早い段階でグーグルの航空写真を視なかった私が悪かったのです。



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