今日は彼岸の中日。手に手に供花を持った人々が朝早くから本土寺に向かって参道を歩いてきます。
私は逆行する形で北小金の駅へ向かいます。
柏で東武野田線に乗り換えて四つ目 ― 高柳という駅で降りました。
高柳駅から持法院まではかなりの距離があります。ところが、バスの便がありません。代わりに乗合ジャンボタクシーという交通手段があるらしいのですが、私は利用したこともないし、目にしたことすらない。
どのようにして持法院まで行くかと調べていたとき、柏市のホームページでこのタクシーがあることを知りましたが、どこで降りたらいいのかと路線図を調べると、最寄りは向台か藤ケ谷新田という停留所。
やはり歩いて行くしかないかと心を決めて、歩き始めました。
高柳の駅をあとにして十五分、茅葺き屋根の福寿院観音堂に着きました。建立年代は不明ですが、前の建物が、安政二年(1855年)、落雷によって焼失したと記録されていることから、それ以降の再建と考えられています。十一面観音が祀られています。
このあたりは大津川という手賀沼に注ぐ川が形づくる狭い谷です。大津川11号橋を渡ると、左前方に大きな屋根が見えてきて、それが目指す善龍寺でした。
善龍寺。
本堂前にある五葉松です。
高さは約4メートル、根本の太さ60センチで、中程より少し上から左右に長大な枝を張り、上下前後に二十もの大玉を形成しています。 全体として調和のとれた美しい盆栽様の形状です。
この松の樹は、 文久二年(1862年)に上野寛永寺の輪王宮公現法親王より下賜されたものを、当時の住職が植樹した、とされています。
善竜寺観音堂。
さて、次の目的地にして今回の主目的地である持法院までは、半端ではないほどの距離がありますが、バス便はないし、仮にジャンボタクシーがあったとしても、どこに停留所があるのかわからない。運よく停留所を見つけたとしても、バスが何時にくるのかわからない。
歩いていると、突然広い道路に変わりました。なんとかロジスティックスという看板が見えたり、道端に大きなトレーラーが止まっていたりするところを見ると、周辺は造成途中の工業団地で、道路もそのために整備されているようです。
その先、私が持っていた地図では、T字路になって行き止まりになるはずが、十字路の交差点になっていて、地図にない新しい道路はなおも先へと伸びていました。
開発途上の地域を歩いていると、よくあることですから、別段愕いたりしませんが、困るのはどこまで道ができているのかわからない、ということです。逃げ道のあるところで行き止まりになっていればいいのですが、そうでないところで行き止まりになっていると、あと戻り、という無駄足を踏まなければなりません。
結局、善竜寺から持法院まで、四十分以上かかりました。
持法院山門。
私が歩いてきた方向からだと、この山門から入るのは遠回りになります。ここも天台宗のお寺です。
持法院本堂。本尊は阿弥陀如来です。本堂前に説明板が建てられていましたが、天台宗に関しての説明があるだけで、寺の由来は何も書かれていませんでした。
彼岸花を眺めながら境内を歩いて行くと、すぐ小高い丘になり、そこは墓所でした。
ここにも白い彼岸花がありました。
彼岸花はつくづく不思議な花だと思います。木陰になっているようなところは満開なのに、陽当たりのよさそうなところはまだこんな状態です。
丘を上り切ると、さらに一段高い丘があり、そこにも墓所があって、真ん中に御堂がありました。
建て札があったので近づいてみると、座高52センチの如意輪観音坐像を祀る観音堂で、観音像の製作年代は建久元年(1190年)。鎌倉時代の武将・千葉常胤(1118年-1201年)が運慶に彫らせた、とありました。
石段を下って、山門の石柱を見たら、登慶山如意輪寺とあったので、別々のお寺が隣り合っていたのだと思いました。
携帯していたグーグルマップを改めて見てみると、本堂のあるところに持法院とあり、石段を上ったところには如意輪寺とありますから、二つのお寺が隣接していると思ってしまいますが、持法院の山号は登慶山、院号は持法院、寺号は如意輪寺でありました。
→この日の行程です。
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