本来なら薬師詣でに出かけるべきだった四日前の八日。体調が悪かったわけではないのですが、グダグダと過ごしているうちに昼を迎え、さらに一時、二時と過ぎてしまったので、久しぶりに出かけるつもりだったプチ旅行を断念してしまいました。
で、今日も薬師如来の縁日である十二日。埼玉県の草加までプチ旅行を試みました。新型コロナウイルスの波に襲われるようになってから、薬師詣でのプチ旅行は行ったり行かなかったり。ほんの数十分乗るだけですが、電車に乗って薬師詣でに出かけるのは去年十二月の終い薬師以来です。
電車に乗る前、例によって地元の慶林寺に参拝。お賽銭をあげて行きます。
行きの電車(武蔵野線)はこんな感じでした。
ちなみに帰りの電車もこんな感じでした。
新越谷で東武線に乗り換えて、獨協大学前で降りました。
この駅は確か違う名前だったはず、と思ってみれば、前の駅名にちなむ住宅公団の松原団地もリニューアルして、今風というか、意味不明(つけられた名はフランス語で快適、という意味なのですが、何ゆえにフランス語かという意味で、意味不明)というか、コンフォール松原と名が変わってしまったので、獨協大学前と駅名を変えたばかりです。
まだ変えて間もない(といっても、すでに四年)からかどうか、いずれまた名前を変えるつもりかどうか、「草加松原」と垂れ幕のようなものが掲げられているところには、どの駅にも○○駅東口というような表示版があったりするのですが、ここにはありません。
東口から東武バスに乗ります。
この日は午前中所要があったので、出発できたのはお昼。薬師如来を祀る三覚院と、かつてはその薬師如来を祀っていた薬王寺跡を巡るだけという予定です。
乗車九分。日立建機前という停留所で降車。
東京外環道の高架下をくぐって行きます。高架下を走るのは国道298号線。両側を綾瀬川放水路が流れて、この先中川に注ぎます。
バスを降りて歩くこと十一分。三覚院に着きました。真言宗豊山派の寺院です。かつては三蔵院と称し、「武蔵国郡村誌」には、慶長十年(1605年)ごろの創建と記されています。
三覚院と院号が変わったのは明治四十一年(1908年)、近くにあった東覚寺を併合したからです。
本堂。文化八年(1811年)に建立されたものと伝えられています。
三覚院の門前を葛西用水が流れています。
ところどころに涼み台と川面に降りられる石段があります。
キタミソウ。こういう草花があるのを初めて知りました。この掲示板には十一月から四月の間に二度花を咲かせると記されているので、まだ咲いているのではないかと覗き込んでみましたが、にわか仕込みの知識ではどれがキタミソウなのか、捜し当てることはできませんでした。
背後から近づくと、消防の倉庫かと思わせましたが、地図には八坂神社とありました。
水門がありました。
用水に沿ってさらに歩くと、この地区の自治会館・青柳志茂会館があり、会館前には「妙見山薬王寺跡」という石碑が建てられていました。
石碑に曰く「(薬王寺は)明治四十二年政府の寺合併策により青柳村三覚院に移管され本尊薬師如来、三尊、その他は三覚院に現存する」とありました。
さらに石碑には「平成二年外郭環状道路の通過に伴い移転のやむなきに至る」とも記されているので、実際には薬王寺があったのは別の場所で、ここではなかったようです。
行きに降りた日立建機前の隣・越戸橋から帰りのバスに乗りました。
昔懐かしい雰囲気の待合所がありましたが、ベンチに坐ったのではバスがきても見えません。
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