長く長く続く松林を抜けて唐津の街中に出た。
この街も新しい道が出来て本線の204号線がハッキリしない。
娘のスマホの指示にしたがってやっと見慣れた道に出た。
204号線で伊万里に向かうことになる。
走っていると<平戸まで70分>の看板が出ていた。
思い切って右折してその道に入る。今では珍しい白の点線道路だ。
前に大型トラックが走っていたがそこそこのスピードだったので追い越しはせず、静かに後を追った。
しばらく走ると大きな橋が見えてきた。
伊万里湾大橋といって存在は知っていたがはじめて通る橋だ。
巨大な橋のおかげで、伊万里市街地まで行かなくて、ショートカットできるのだ。
それからは懐かしい204号で平戸を目指す。
息子が生まれた頃、お産で帰っていた妻と生まれたての息子を見に何度も通った道だ。
今福、松浦、田平を抜け、平戸大橋を渡る。
右手に平戸城(亀岡城)が見える。
娘が大好きな平戸の街。
何せ鎖国時代の前の時代からポルトガルやオランダと交易をしていた街だ。
なんとなく雰囲気がある街で歴史を感じさせる。
チョッと路地に入るとなんともいえない感じだ。
これだけは言葉では言い表せない世界だ。
教会があったので行ってみた。
フランシスコ・ザビエルがこの地にやってきて何年になるのか知らないが、生誕500年ということらしい。
割と小さな教会なのだが威厳がある。
中に入るとステンドグラスで囲まれた独特な雰囲気だ。
禁止事項には写真撮影は無かったので、正面から写した。
天草の崎津や大江の教会は禁止事項だったけどここは良いのかと疑問を持ちながらだ。
教会を出ると教会の前に猫がいた。
気品のある猫で写真を撮ろうとするとすたこらと逃げていった。
平戸を出て妻の実家を目指した。
夕方5時過ぎに着いたので、そのまま妻の両親の墓参りに出かけた。
墓は静かな山の登り口にある。
黒色の立派な墓で、金の文字で家紋と名前が書かれている立派な墓だ。
掃除をして線香を炊いて久しぶりの魂の挨拶だった。
今日は義理の兄夫婦にお世話になる。
兄が経営する会社の新年会とバッタリあってしまった。
その新年会に私たちも来いという。
でわでわと、出かけてしまった。
迎えのバスで山間にある料亭へ向かう。
ふぐの刺身に和牛のしゃぶしゃぶ。
それから佐世保市内に出てスナックに和風の居酒屋。
兄の家に戻ったのは午前様の1時過ぎだった。
この街も新しい道が出来て本線の204号線がハッキリしない。
娘のスマホの指示にしたがってやっと見慣れた道に出た。
204号線で伊万里に向かうことになる。
走っていると<平戸まで70分>の看板が出ていた。
思い切って右折してその道に入る。今では珍しい白の点線道路だ。
前に大型トラックが走っていたがそこそこのスピードだったので追い越しはせず、静かに後を追った。
しばらく走ると大きな橋が見えてきた。
伊万里湾大橋といって存在は知っていたがはじめて通る橋だ。
巨大な橋のおかげで、伊万里市街地まで行かなくて、ショートカットできるのだ。
それからは懐かしい204号で平戸を目指す。
息子が生まれた頃、お産で帰っていた妻と生まれたての息子を見に何度も通った道だ。
今福、松浦、田平を抜け、平戸大橋を渡る。
右手に平戸城(亀岡城)が見える。
娘が大好きな平戸の街。
何せ鎖国時代の前の時代からポルトガルやオランダと交易をしていた街だ。
なんとなく雰囲気がある街で歴史を感じさせる。
チョッと路地に入るとなんともいえない感じだ。
これだけは言葉では言い表せない世界だ。
教会があったので行ってみた。
フランシスコ・ザビエルがこの地にやってきて何年になるのか知らないが、生誕500年ということらしい。
割と小さな教会なのだが威厳がある。
中に入るとステンドグラスで囲まれた独特な雰囲気だ。
禁止事項には写真撮影は無かったので、正面から写した。
天草の崎津や大江の教会は禁止事項だったけどここは良いのかと疑問を持ちながらだ。
教会を出ると教会の前に猫がいた。
気品のある猫で写真を撮ろうとするとすたこらと逃げていった。
平戸を出て妻の実家を目指した。
夕方5時過ぎに着いたので、そのまま妻の両親の墓参りに出かけた。
墓は静かな山の登り口にある。
黒色の立派な墓で、金の文字で家紋と名前が書かれている立派な墓だ。
掃除をして線香を炊いて久しぶりの魂の挨拶だった。
今日は義理の兄夫婦にお世話になる。
兄が経営する会社の新年会とバッタリあってしまった。
その新年会に私たちも来いという。
でわでわと、出かけてしまった。
迎えのバスで山間にある料亭へ向かう。
ふぐの刺身に和牛のしゃぶしゃぶ。
それから佐世保市内に出てスナックに和風の居酒屋。
兄の家に戻ったのは午前様の1時過ぎだった。