あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

お祝いごと

2009-03-13 23:36:32 | Weblog
ニュースで「はやぶさ」のことを聞いて書いたブログ。
その小学校4年生だった息子も24歳です。
そして、今日も、明日の高校のときにお世話になった水泳部の先生の結婚式の準備に大忙しです。
いろんな可愛いものが目に入る。いい結婚式になりそうですね。
一生懸命やっている息子もいいな。
きっと息子にもいいことがありそう。

先生は息子達にとても慕われていたし、私達、親からも信頼されていた。
心のある先生だった。あの時は非常勤だったけど、今は中学校の教師になっていらっしゃる。
息子が私にも寄せ書きを書いてと・・・たくさんの人が書くから少しでいいよって・・だから、息子の近くに少しだけ書きました。可愛いお花の模様も入れてね。

M先生、お幸せに。
ますます、いい先生になられるだろうと思います。
子ども達に慕われる先生って最高ですね


夫は今夜は職場の定年退職される方のお祝い&飲み会。
気心の知れた方々と。
昨夜、筆でお祝いのメッセージを書道の紙に大きく書いている。
これまた、心のこもったもの。
第二の人生へのいいお祝いができたかな。

息子も夫もなかなかいいなあと思うよ

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ブルートレイン「はやぶさ」の思い出

2009-03-13 22:51:21 | Weblog
春の嵐なのでしょうか。
雨です。
ふるさとで聞いた雨音を思い出す。あれは春の雨だった。

今朝はときどきお日様が顔を出していたので、高菜を干す。
新聞紙を一杯広げてその上に。今回は3キログラム。
そして、午後には塩でもみながら漬ける。
高菜の香りがプーンと鼻をくすぐる。ああ、いい匂い。ふるさとの匂い。

ふるさとといえば今日でブルートレインの「はやぶさ」がおしまいとの由。
今は熊本までだけど、その前は鹿児島まで走っていた。懐かしいな。
以前は、子どもたちと帰省するときには「はやぶさ」だった。子どもが小さいときには、席が幅広かったので、一つの座席に二人寝せた。
今は笑い話になったけど、横浜に来ていた母と一緒に帰るときに、次女が二階から母の広げていたお弁当に落ちたこと。
お弁当は台無しだったけど、母は怒りもせず、娘も怪我もせず・・・あのときのお弁当ももったいなかったけど、娘も怪我しなかったのは奇跡だっただろうか。
「落ちないように気をつけてね」といった矢先の出来事だった。

そして、やはり「はやぶさ」で夏に帰省するとき、ふと私が夜中にお手洗いに起きると息子が通路の窓側に座っていた。
私の「どうしたの?」に「神戸を見ようと思って」と言う。息子は心を痛めていたのであろう。
その年の1月にあの震災があったのだ。息子が小学校4年生だった。
その前のお正月にも子ども達だけ帰省していて、3学期が始まる前にやはり「はやぶさ」で横浜に帰ってきたと思う。その10日ほど後の震災だった・・子ども達の乗っているはやぶさが地震時に神戸を通っていたら・・・と思ったのを覚えている。

ふるさとへの帰省の「はやぶさ」ではのんびりできた。
いろいろな情景が浮かぶ。

お水を飲む紙コップが珍しかったこと。
母が私のお産の手伝いで「はやぶさ」で来たのだけど、何かあって、横浜を前にして停まって・・・夫は横浜駅で待っていたのだけど・・・でも、母は違う電車に乗り換えて来れた・・・私は長女を産んだばかりで、病院にいたのだけど、母が横浜に来るのは初めてだったから無事に来れるかが心配だった。父の1回忌を終えてすぐに来てくれた母。でも、さすが母、機転を利かせて無事に来られたのを聞いたときはほっとした。

いろんなことがあった。

子ども達だけ行かせたときは「はやぶさ」でお世話になった方とお付き合いが始まった。亀戸のお煎餅を送って貰ったことがあった。今はご無沙汰だけど、お元気でしょうか。

まだまだ、たくさんの思い出がある。
いろんな思いを横浜から熊本、鹿児島へ。
そして、鹿児島、熊本から横浜へ。

電車の旅・・・「はやぶさ」ありがとう。
思い出をありがとう。

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